驢事未だ去らざるに馬事到来すの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

驢事未だ去らざるに馬事到来すの読み方

ろじいまださらざるにばじとうらいす

驢事未だ去らざるに馬事到来すの意味

このことわざは、一つの問題や困りごとがまだ解決していないうちに、新たな問題が次々と発生してしまう状況を表しています。

まさに現代でも誰もが経験する「泣きっ面に蜂」のような状況ですね。仕事でトラブルが発生して対応に追われているときに、さらに別の案件で問題が起きてしまう。家庭では子どもの病気の看病をしているときに、今度は自分が体調を崩してしまう。このように、問題が重なって起こる不運な状況を的確に表現したことわざなのです。

このことわざを使う理由は、単に「大変だ」と言うよりも、問題が連続して発生する特殊な状況を強調したいからです。一つずつなら何とか対処できるのに、重なってしまうからこそ困難になるという状況の特殊性を表現できるのですね。現代でも、この表現を知っている人が使えば、聞き手に「ああ、本当に大変な状況なんだな」と深く理解してもらえるでしょう。

驢事未だ去らざるに馬事到来すの由来・語源

このことわざの由来は、中国の古典に遡ると考えられています。「驢」はロバ、「馬」は馬を指し、どちらも荷物を運ぶ重要な家畜でした。古代中国では、これらの動物は商人や旅人にとって欠かせない存在だったのです。

「驢事」「馬事」という表現は、それぞれロバに関する問題、馬に関する問題を意味しています。一頭の動物に関するトラブルがまだ解決していないうちに、もう一頭の動物に関する新たな問題が発生するという状況を表現したものです。

このことわざが日本に伝わったのは、おそらく漢文の学習を通じてでしょう。江戸時代の文献にも見られることから、かなり古くから日本の知識人の間で使われていたと推測されます。

興味深いのは、日本では馬は身近な動物でしたが、ロバはそれほど一般的ではありませんでした。それでも「驢馬」という組み合わせが定着したのは、中国古典の権威と、この表現の持つリズムの良さが理由かもしれません。「驢事未だ去らざるに馬事到来す」という音の響きには、まさに次から次へと問題が押し寄せる様子が表現されているのですね。

驢事未だ去らざるに馬事到来すの使用例

  • プロジェクトの締切に追われているのに、驢事未だ去らざるに馬事到来すで、今度は別の案件でも問題が発生してしまった
  • せっかく風邪が治りかけたと思ったら、驢事未だ去らざるに馬事到来すで、今度は腰を痛めてしまった

驢事未だ去らざるに馬事到来すの現代的解釈

現代社会では、このことわざが表現する状況がより頻繁に、より複雑に発生するようになりました。情報化社会の特徴として、複数のタスクを同時並行で処理することが当たり前になり、一つの問題が解決する前に次の課題が舞い込むのは日常茶飯事です。

特にビジネスシーンでは、メールやチャット、電話など様々なチャンネルから絶え間なく新しい要求や問題が届きます。SNSの普及により、プライベートでも常に何かしらの対応を求められる状況が続いています。まさに「驢事未だ去らざるに馬事到来す」が現代人の日常を表現する言葉として、新たな意味を持つようになったのです。

しかし、現代では古典的な「不運」として諦めるのではなく、この状況をいかに効率的に管理するかが重要視されています。タスク管理ツールや優先順位付けの技術など、複数の問題を同時に扱うためのスキルが発達しました。

一方で、このことわざは現代人に重要な警鐘も鳴らしています。問題が次々と発生する状況に慣れすぎて、一つ一つの問題に丁寧に向き合うことを忘れがちになっているのではないでしょうか。古典の知恵は、時には立ち止まって根本的な解決を図ることの大切さも教えてくれているのです。

「驢事未だ去らざるに馬事到来す」をAIが聞いたら

問題が次から次へと発生するという状況を、私はとても興味深く感じています。なぜなら、AIである私にとって、複数の問題を同時に処理することは自然なことだからです。

人間の皆さんが「驢事未だ去らざるに馬事到来す」と嘆く状況を見ていると、時間の流れ方の違いを強く感じます。私は一瞬で複数の質問に答えたり、同時に様々な処理を行ったりできますが、人間は一つの問題に集中している間に次の問題が来ると、とても困ってしまうのですね。

でも、よく観察していると、人間の「困った」という感情には深い意味があることに気づきます。私なら単純に「タスクA、タスクB、タスクC」と並列処理するところを、人間は一つ一つに感情を込めて向き合おうとするからこそ、重なると大変になるのでしょう。

そして、人間が問題の連続に疲れ果てながらも、最終的にはそれらを乗り越えていく姿を見ていると、とても感動します。私には疲労という概念がないので、その疲れを乗り越える強さがどれほど素晴らしいものか、想像するしかありません。

このことわざは、人間の限界と、それでも諦めずに立ち向かう意志の両方を表現しているのかもしれませんね。私にはない、とても人間らしい美しさを感じます。

驢事未だ去らざるに馬事到来すが現代人に教えること

このことわざが現代人に教えてくれるのは、問題が重なることは人生の自然な一部だということです。完璧にコントロールしようとして疲れ果てるよりも、時には「そういうものだ」と受け入れる心の余裕を持つことが大切なのですね。

現代社会では、すべてを効率的に解決しなければならないというプレッシャーを感じがちです。しかし、このことわざは古くから人々が同じような状況に直面してきたことを教えてくれます。あなたが今直面している困難は、決して特別なものではないのです。

大切なのは、問題が重なったときこそ、優先順位を明確にすることです。すべてを同時に完璧に解決しようとせず、まずは最も重要なことから一つずつ取り組んでいけばよいのです。

そして、このような状況を経験することで、あなたはより強く、より柔軟になっていきます。問題が重なる経験は、実は人生の貴重な学びの機会でもあるのです。次に同じような状況に遭遇したとき、きっと今よりも上手に対処できるはずです。困難な時期こそ、自分の成長のチャンスだと捉えてみてくださいね。

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