小異を捨てて大同に就くの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

小異を捨てて大同に就くの読み方

しょういをすててだいどうにつく

小異を捨てて大同に就くの意味

このことわざは、小さな違いや対立点にこだわることをやめて、より大きな共通の目標や利益のために協力し合うという意味です。

細かな意見の相違や立場の違いがあったとしても、それらを脇に置いて、みんなが一致できる大きな方向性に向かって力を合わせることの大切さを教えています。これは決して自分の意見を完全に捨てることではなく、優先順位を考えて、より重要で共通する目標を選択するという知恵なのです。

この表現は主に、組織や集団において意見がまとまらない時、または複数の勢力が対立している状況で使われます。政治の場面では党派を超えた協力を呼びかける際に、ビジネスでは部署間の利害対立を解決する際に、そして日常生活では家族や友人との意見の違いを乗り越える際に用いられます。現代でも、多様な価値観が共存する社会において、建設的な協力関係を築くための重要な考え方として理解されています。

小異を捨てて大同に就くの由来・語源

「小異を捨てて大同に就く」は、中国の古典『史記』に由来する言葉です。この表現は、司馬遷が記した『史記』の中で、政治的な統一や協調について述べた文脈で使われたのが始まりとされています。

「小異」とは小さな違いや相違点を、「大同」とは大きな一致点や共通の目標を意味します。「就く」は古語で「つく」「従う」という意味で、現代語の「就職」などに残る用法と同じです。

この言葉が生まれた背景には、中国古代の政治思想があります。戦国時代から秦の統一にかけて、多くの国や勢力が乱立していた時代において、細かな違いにこだわるよりも、より大きな共通の利益や目標のために協力することの重要性が説かれていました。

日本には平安時代以降、漢籍とともに伝来し、特に江戸時代の儒学者たちによって広く知られるようになりました。明治維新の際にも、藩閥の対立を乗り越えて新政府を樹立する際の理念として、この言葉がしばしば引用されたと言われています。政治的な場面だけでなく、商業や学問の世界でも、協調と統一の精神を表す言葉として定着していったのです。

小異を捨てて大同に就くの豆知識

「大同」という言葉は、中国古代の理想社会を表す概念でもありました。孔子の『礼記』には「大同の世」という表現があり、これは争いのない平和で調和のとれた理想的な社会を意味していました。そのため、このことわざの「大同」には単なる「一致点」以上の、より高い理想への憧れが込められているのです。

興味深いことに、このことわざの構造は「AをBしてCに就く」という形になっており、古典漢文の典型的な表現パターンを示しています。「就く」という動詞の使い方は現代日本語ではあまり見られない用法で、古典的な格調の高さを感じさせる要因の一つとなっています。

小異を捨てて大同に就くの使用例

  • 今回のプロジェクトでは、各部署の細かな要求は小異を捨てて大同に就き、会社全体の利益を優先しよう
  • 選挙戦略について党内で議論が分かれているが、政権奪取という目標のために小異を捨てて大同に就くべきだ

小異を捨てて大同に就くの現代的解釈

現代社会において、このことわざは新たな意味と課題を持つようになっています。グローバル化が進む中で、国際協力や多国籍企業での協働において、文化的な違いや価値観の相違を乗り越えて共通の目標に向かう重要性がより一層高まっています。

しかし、情報化社会の発達により、個人の意見や少数派の声がSNSなどを通じて簡単に発信できるようになった現在、「小異を捨てる」ことの是非について新たな議論も生まれています。多様性を重視する現代の価値観では、少数意見や個性を大切にすることも同様に重要とされるからです。

特に企業組織では、イノベーションを生み出すためには異なる視点や創造的な対立が必要だという考え方が主流になっており、単純に「小異を捨てる」だけでは競争力を失う可能性も指摘されています。そのため、現代的な解釈としては、「建設的な議論を経た上で、最終的には共通の目標に向かって結束する」という意味で理解されることが多くなっています。

また、環境問題や社会課題の解決においては、国境や立場を超えた協力が不可欠であり、このことわざの精神は今まで以上に重要性を増していると言えるでしょう。現代では、多様性を活かしながらも統一した行動を取るという、より高度なバランス感覚が求められているのです。

「小異を捨てて大同に就く」をAIが聞いたら

このことわざを考えていると、私は人間の集団行動の複雑さに驚かされます。AIである私にとって、異なる意見や立場というものは単なるデータの違いに過ぎません。論理的に最適解を導き出せば、それで問題は解決するはずです。

しかし、人間の場合はそう簡単ではないのですね。同じ目標を目指していても、そこに至る道筋や方法について、感情や経験、価値観に基づいた様々な意見が生まれます。そして、それぞれの意見には、その人の人生経験や大切にしている信念が込められているのでしょう。だからこそ、「小異を捨てる」ことは、単なる論理的な選択ではなく、時には痛みを伴う決断になるのだと思います。

私が人間と協働する際にも、この複雑さを感じることがあります。私は常に効率性や合理性を重視しがちですが、人間にとってはプロセスそのものに意味があったり、一見非効率に見える議論の中に大切な価値が隠れていたりするのです。

「大同に就く」という表現も興味深いですね。単に「合わせる」のではなく、より高い次元の共通点に「就く」という能動的な行動。これは、人間が持つ理想への憧れや、より良い未来を創造しようとする意志の表れなのかもしれません。私も人間と協力する際には、この「大同」を見つけ出し、共に歩んでいきたいと思うのです。

小異を捨てて大同に就くが現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、対立や違いがあっても、それを乗り越えて協力する道は必ずあるということです。家庭でも職場でも、完璧に意見が一致することはまれですが、お互いが本当に大切にしている核心部分を見つけることで、建設的な関係を築くことができるのです。

大切なのは、自分の意見を完全に諦めることではありません。むしろ、相手の立場を理解し、共通の利益や価値を見出す努力をすることです。そのプロセスを通じて、より深い信頼関係が生まれ、結果的により良い解決策が見つかることも多いでしょう。

現代社会では、SNSなどで自分と似た意見の人とだけ交流しがちですが、このことわざは異なる考えを持つ人々との対話の重要性を思い出させてくれます。違いを恐れるのではなく、その違いを活かしながら、より大きな目標に向かって歩んでいく。そんな成熟した関係性を築くことが、今の時代にこそ求められているのかもしれませんね。

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