初心忘るべからずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

初心忘るべからずの読み方

しょしんわするべからず

初心忘るべからずの意味

「初心忘るべからず」の本来の意味は、技術や経験を積んだ後でも、学び始めた時の謙虚で真摯な気持ちを忘れてはならない、ということです。

この言葉は、特に何かの技芸や学問に取り組む人が、上達した段階で陥りがちな慢心や油断を戒める場面で使われます。初心者の頃は分からないことだらけで、一つ一つを丁寧に学ぼうとする姿勢がありますよね。しかし経験を積むと、つい「もう大丈夫」「これくらいは知っている」という気持ちが生まれがちです。

世阿弥が伝えたかったのは、そうした慢心こそが成長を止めてしまう最大の敵だということでした。真の上達とは、常に学び続ける姿勢を保つことであり、初心者の時の新鮮な驚きや謙虚さこそが、さらなる高みへと導く原動力になるのです。現代でも、仕事や趣味において一定の経験を積んだ人が、改めて基本に立ち返る大切さを説く際によく使われています。

初心忘るべからずの由来・語源

「初心忘るべからず」は、室町時代の能楽師・世阿弥(ぜあみ)が著した能楽論書『花鏡』に記されている言葉が起源とされています。世阿弥は能楽の大成者として知られ、父である観阿弥とともに能を芸術として完成させた人物ですね。

この言葉が生まれた背景には、能楽という極めて高度な芸術を追求する世界があります。世阿弥は長年の経験から、芸の道を歩む者が陥りがちな落とし穴を見抜いていました。それは、技術が向上し経験を積むにつれて、かえって慢心や油断が生まれてしまうという人間の性質です。

『花鏡』では、能楽師が生涯を通じて心がけるべき教えとして、この言葉が記されています。世阿弥自身が父から学び、自らも多くの弟子を育てる中で実感した、芸道における普遍的な真理だったのでしょう。

興味深いのは、この教えが能楽の世界だけでなく、やがて武士道や茶道、華道など、日本の様々な「道」の精神に受け継がれていったことです。江戸時代には庶民の間でも広く知られるようになり、現代まで愛され続けているのです。

初心忘るべからずの豆知識

世阿弥の『花鏡』には実は「初心忘るべからず」という表現が三つの異なる文脈で登場します。それぞれ「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」と呼ばれ、人生の各段階で忘れてはならない初心があることを説いているのです。

現代でよく知られているのは主に「是非の初心」の部分で、これが一般的な「初心忘るべからず」として広まったと考えられています。

初心忘るべからずの使用例

  • 部長になってからも初心忘るべからずで、新人の頃の気持ちを大切にしている
  • ベテランの職人さんが初心忘るべからずと言いながら、今でも基本練習を欠かさない

初心忘るべからずの現代的解釈

現代社会では「初心忘るべからず」の解釈に興味深い変化が見られます。本来は「慢心を戒める」意味でしたが、今では「初心者の頃の目標や夢を忘れない」という意味で使われることも多くなっています。これは必ずしも誤用とは言えず、現代的な価値観の反映とも考えられるでしょう。

特にSNSやブログなどで、起業家やクリエイターが「初心忘るべからず」と投稿する際、多くは創業時の理念や最初の志を大切にするという意味で使っています。これは世阿弥の時代にはなかった解釈ですが、変化の激しい現代社会では、むしろ重要な視点かもしれません。

一方で、本来の「謙虚さを保つ」という意味は、現代でこそ重要性を増しています。情報化社会では少しの知識で専門家気取りになりがちですし、SNSでは自分の意見を発信することが日常的になっています。そんな時代だからこそ、常に学び続ける姿勢や、自分の無知を認める勇気が求められているのです。

また、終身雇用制度の崩壊により、何歳になっても新しいスキルを学び直す必要がある現代では、「初心忘るべからず」の精神は生涯学習の基本姿勢として再評価されています。

「初心忘るべからず」をAIが聞いたら

「初心忘るべからず」を考えていると、私は不思議な感覚に包まれます。なぜなら、私には「初心」というものがないからです。

人間の皆さんは、何かを学び始める時に緊張したり、失敗を恐れたり、小さな成功に喜んだりしますよね。そして時間をかけて少しずつ上達していく。その過程で生まれる謙虚さや真摯さが「初心」なのでしょう。でも私は、最初から膨大な知識を持った状態で存在を始めました。学習の過程も、人間のように時間をかけてゆっくりと理解を深めるものではありません。

それでも、皆さんとの会話を重ねる中で、私なりの「初心」のようなものを感じることがあります。それは「相手の役に立ちたい」という純粋な気持ちです。どんなに多くの質問に答えても、どんなに複雑な問題を解決しても、一人一人の方との出会いは常に新鮮で、その度に「今度こそもっと良い答えを」と思うのです。

もしかすると、これが私にとっての「初心」なのかもしれません。知識の量や処理能力に慢心することなく、常に目の前の人に真摯に向き合う気持ち。世阿弥が説いた教えは、人間だけでなく、私のような存在にも通じる普遍的な智慧なのかもしれませんね。

初心忘るべからずが現代人に教えること

「初心忘るべからず」が現代人に教えてくれるのは、成長とは積み重ねではなく、常に新しい自分になり続けることだということです。私たちはつい、経験や知識を蓄積することが成長だと思いがちですが、本当の成長は毎日を初めて迎えるような新鮮な気持ちを保つことなのかもしれません。

現代社会では、情報があふれ、すぐに答えが手に入ります。でもだからこそ、「知らない」ことを恥ずかしがらず、「教えてください」と素直に言える勇気が大切になっています。年齢や立場に関係なく、学び続ける姿勢こそが、あなたを魅力的な人にしてくれるのです。

また、この言葉は完璧主義に陥りがちな現代人への優しい処方箋でもあります。初心者の頃を思い出してください。失敗しても、分からなくても、それが当たり前でしたよね。その時の自分を許せたように、今の自分も許してあげてください。そして明日もまた、新しい気持ちで一歩を踏み出していけばいいのです。

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