立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の読み方

たてばしゃくやくすわればぼたんあるくすがたはゆりのはな

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の意味

このことわざは、女性の理想的な美しさを、立つ・座る・歩くという三つの動作に分けて花に例えた表現です。

立っているときは芍薬の花のようにすらりと美しく、座っているときは牡丹の花のように豪華で品があり、歩いているときは百合の花のように清楚で上品であるという意味を表しています。つまり、どのような姿勢や動作においても美しい女性を讃える言葉なのです。

この表現が使われるのは、女性の立ち居振る舞いの美しさを褒める場面です。単に容姿が美しいということではなく、動作や姿勢に品格があり、どの瞬間を切り取っても絵になるような女性に対して用いられます。現代でも、所作の美しい女性を表現する際に使われることがありますが、その背景には日本古来の美意識が込められているのです。

由来・語源

このことわざの由来は、実は漢方薬の効能から生まれたという説が最も有力です。芍薬、牡丹、百合はいずれも古くから薬草として重宝されてきました。

芍薬は立ち上がるときの腰の痛みに効く薬として、牡丹は座っているときの下半身の血行を良くする薬として、そして百合は歩行時の足腰を強くする薬として使われていたのです。つまり、もともとは「立つときは芍薬、座るときは牡丹、歩くときは百合を飲みなさい」という薬の処方を表した実用的な言葉だったのですね。

それが時代を経るうちに、これらの花の美しさと女性の立ち居振る舞いが重ね合わされるようになりました。芍薬のすらりと立つ姿、牡丹の豪華で落ち着いた佇まい、百合の清楚で上品な印象が、理想的な女性の美しさを表現する言葉として定着していったのです。

江戸時代の文献にもこの表現が見られることから、少なくとも数百年前には現在の意味で使われていたと考えられます。薬草の知識から生まれた言葉が、いつしか美の表現へと昇華された、なんとも興味深い変遷ですね。

豆知識

このことわざに登場する三つの花は、それぞれ異なる季節に咲くことをご存知でしょうか。芍薬は初夏(5月頃)、牡丹は春(4月〜5月)、百合は夏(6月〜8月)に咲きます。つまり、このことわざは一年を通じて美しい女性の姿を表現していることになります。

また、これらの花はすべて香りが強いという共通点があります。芍薬の甘い香り、牡丹の上品な香り、百合の清楚な香りは、視覚だけでなく嗅覚でも人を魅了します。美しい女性の存在感を、香りという目に見えない魅力まで含めて表現しているのかもしれませんね。

使用例

  • 彼女は本当に立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉がぴったりの人だ
  • あの女優さんの立ち居振る舞いを見ていると、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とはこのことだと思う

現代的解釈

現代社会では、このことわざに対する見方が大きく変化しています。かつては女性の理想像を表す美しい表現として受け入れられていましたが、今では「女性を外見で評価する古い価値観」として批判的に捉えられることも少なくありません。

ジェンダー平等が重視される現代において、女性を花に例えて美しさだけを讃えることに違和感を覚える人も多いでしょう。女性の価値を外見や立ち居振る舞いの美しさで測るという発想自体が、時代にそぐわないと感じられるのも当然です。

しかし一方で、このことわざが持つ「所作の美しさ」への着目は、現代でも価値のある視点だと言えます。SNSやビデオ通話が日常となった今、私たちの立ち居振る舞いは以前よりも多くの人の目に触れるようになりました。性別に関係なく、美しい姿勢や上品な動作は、相手に好印象を与える重要な要素です。

また、このことわざを現代的に解釈するなら、「どのような状況でも自分らしい魅力を発揮できる人」という意味に読み替えることもできるでしょう。立つとき、座るとき、歩くとき、それぞれの場面で最適な自分を表現できる人こそが、真に魅力的な人なのかもしれません。

AIが聞いたら

このことわざが表現する美意識は、西洋の古典的な美学とは根本的に異なる特徴を持っている。西洋美学では「黄金比」や「シンメトリー」など、数学的に完璧な静止状態の美が理想とされてきた。しかし日本のこの表現は、同じ人物でも動作によって最適な美の表現が変わるという、極めて動的な美学観を示している。

特に注目すべきは、各動作に対応する花の選択の絶妙さだ。芍薬は茎がまっすぐで立ち姿の凛とした美しさを、牡丹は花が重く豪華で座った時の落ち着いた華やかさを、百合は風に揺れる優雅さで歩く姿の流動美を表現している。これは単なる比喩ではなく、動作と植物の物理的特性を科学的に観察した結果とも言える。

この美意識は、日本庭園の「借景」や茶道の「一期一会」にも通じる。固定された完璧さではなく、時間や状況の変化に応じて最適な調和を見出す感性だ。現代の「TPO」という概念も、実はこの動的美学の現代版と考えられる。

江戸時代に生まれたこの表現は、美しさを「適応性」として捉える日本独特の価値観を言語化した、世界でも類を見ない動的美学の結晶なのである。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、「一貫した自分らしさの中にも、状況に応じた表現の豊かさを持つ」ことの大切さです。

現代社会では、オンラインとオフライン、仕事とプライベート、家族との時間と友人との時間など、私たちは日々様々な場面を行き来しています。そのすべてで同じ顔をしている必要はありませんが、どの場面でも「あなたらしさ」が感じられることが重要なのです。

立つときの芍薬のような凛とした強さ、座るときの牡丹のような落ち着いた品格、歩くときの百合のような清らかな前向きさ。これらを現代風に解釈するなら、困難に立ち向かうときの勇気、人と向き合うときの誠実さ、未来に向かって歩むときの希望と言えるかもしれません。

あなたも、どのような状況に置かれても、その瞬間の自分を大切にしながら、最も美しい自分を表現してみてください。それは外見の美しさではなく、心の在り方の美しさなのです。

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