楽しみて後憂え有る者は聖人は為さずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

楽しみて後憂え有る者は聖人は為さずの読み方

たのしみてのちうれえあるものはせいじんはなさず

楽しみて後憂え有る者は聖人は為さずの意味

このことわざは、目の前の楽しみに飛びついてしまうと、必ず後になって困難や後悔が訪れるため、本当に賢明な人はそのような行動を取らない、という意味です。ここでいう「聖人」とは、物事の本質を見抜き、先を見通す智慧を持った理想的な人物を指しています。

使用される場面は、誰かが目先の快楽や利益に惹かれて軽率な判断をしようとしているときです。たとえば、勉強をせずに遊んでばかりいる人、借金をしてまで贅沢をしようとする人、健康を犠牲にして刹那的な快楽を追い求める人などに対して、戒めの言葉として使われます。

この表現を使う理由は、単に「やめなさい」と言うよりも、賢者の生き方を引き合いに出すことで、より説得力を持たせるためです。現代においても、この教えは十分に通用します。SNSでの承認欲求、衝動買い、不健康な生活習慣など、私たちの周りには「楽しみて後憂え有る」行動があふれています。真に賢い生き方とは何かを問いかける、普遍的な知恵なのです。

由来・語源

このことわざは、中国の古典的な思想を背景に持つ表現だと考えられています。「聖人」という言葉自体が、儒教や道教における理想的な人格者を指す概念であり、古代中国の思想的影響を強く受けていることがうかがえます。

「楽しみて後憂え有る」という表現は、時間軸における因果関係を明確に示しています。今この瞬間の快楽が、未来の苦しみの種となるという構造です。この考え方は、短期的な視点と長期的な視点の対比という、東洋思想に共通するテーマを反映しています。

聖人とは、単に道徳的に優れているだけでなく、物事の本質を見抜き、遠い未来まで見通す智慧を持つ存在とされてきました。そのような人物であれば、目先の誘惑に惑わされることなく、後に訪れる結果まで計算に入れて行動するはずだ、という論理がこのことわざの核心にあります。

日本に伝わった後、このことわざは武士道や商人道といった実践的な倫理観の中で受け継がれてきたと考えられます。特に江戸時代には、将来を見据えた堅実な生き方を重んじる風潮の中で、このような教えが広まっていったのでしょう。明確な文献上の初出は特定されていないようですが、言葉の構造から見て、かなり古い時代から伝わる格言だと推測されます。

豆知識

このことわざに登場する「聖人」という概念は、東洋思想において単なる善人とは異なる特別な意味を持っています。聖人とは、道徳的に優れているだけでなく、天地自然の理を体得し、私欲を超越した存在とされてきました。つまり、このことわざが言う「聖人は為さず」という表現は、単に我慢強いという意味ではなく、そもそも目先の快楽に心を動かされない境地に達しているという、より深い意味を含んでいるのです。

「憂え」という言葉は、現代語の「心配」よりも重い意味を持つ古語です。単なる不安ではなく、実際に降りかかる災難や困難、そして深い後悔の念まで含んだ表現です。だからこそ、このことわざは軽い警告ではなく、人生を左右する重大な教訓として受け止められてきたのでしょう。

使用例

  • 今日遊びたいけど、楽しみて後憂え有る者は聖人は為さずというし、明日の試験勉強を優先しよう
  • あの投資話は魅力的だが、楽しみて後憂え有る者は聖人は為さずだ、慎重に考えるべきだな

普遍的知恵

このことわざが何百年も語り継がれてきた理由は、人間の本質的な弱さと、それを克服する道を同時に示しているからです。

私たち人間は、目の前にある快楽には敏感に反応する一方で、遠い未来の結果については想像力が働きにくい生き物です。これは脳の仕組みとも関係しています。今すぐ得られる報酬は具体的で魅力的に見えますが、将来の苦しみは抽象的でぼんやりとしか感じられません。だからこそ、多くの人が「分かっているのにやめられない」という葛藤を経験するのです。

このことわざの深い洞察は、その葛藤を「聖人」という理想像を通して示している点にあります。完璧な人間などいないことを私たちは知っています。しかし、だからこそ「聖人ならどう行動するか」という問いかけが力を持つのです。それは単なる我慢や禁欲を説くのではなく、より高い視点から自分の行動を見つめ直すことを促しています。

人生における多くの後悔は、この「楽しみて後憂え有る」パターンから生まれます。健康を損なうまで働く、人間関係を壊してまで欲望を満たす、将来の安定を犠牲にして刹那的な快楽を追う。先人たちは、こうした人間の性を見抜いていました。そして、一時的な快楽と長期的な幸福は別物であること、真の智慧とは遠くを見通す力であることを、この短い言葉に凝縮したのです。

AIが聞いたら

人間の脳は目の前の快楽を、1週間後の快楽より2倍も魅力的に感じてしまう。これが双曲割引と呼ばれる現象だ。たとえば今日のケーキと来週のケーキを比べると、客観的な価値は同じはずなのに、脳は今日のケーキに異常な重みをつける。面白いのは、この割引率が時間とともに急激に変化する点だ。1日後は50パーセント引き、1週間後は20パーセント引き、1年後は5パーセント引きというように、近い未来ほど極端に価値が下がる。

このことわざの「楽しみて後憂え有る」パターンは、まさにこの数理モデルで説明できる。今日の楽しみを100とすると、脳は明日の後悔をせいぜい30か40程度にしか感じない。だから差し引きでプラスに見えて、つい手を出してしまう。ところが実際に明日になると、その後悔は100の重さで襲ってくる。この認知の歪みは生存本能に根ざしている。狩猟採集時代、目の前の食料を優先する個体が生き残ったからだ。

聖人が特別なのは、この生物学的プログラムを理性で書き換えられる点にある。彼らは未来の価値を割り引かない「指数割引」に近い思考ができる。つまり1年後の苦痛も今日と同じ重さで計算できる能力だ。これは訓練で獲得した、進化を超える認知技術と言える。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、本当の自由とは何かということです。一見すると、このことわざは我慢や禁欲を説いているように聞こえるかもしれません。でも、本質は違います。目先の誘惑に流されることこそが、実は不自由な状態なのです。

現代社会は、私たちに無数の「楽しみ」を提供してくれます。スマートフォン、SNS、ゲーム、ショッピング。どれも瞬間的な快楽をもたらしますが、その後に何が残るでしょうか。時間を失い、お金を失い、時には健康や人間関係まで失っているかもしれません。

このことわざが示す道は、将来の自分を大切にする生き方です。今日の勉強が明日の自信になり、今日の節約が明日の選択肢を広げ、今日の健康的な選択が明日の活力を生み出します。それは決して苦しい道ではなく、むしろ本当の意味で自分の人生をコントロールする力を手に入れることなのです。

あなたは聖人である必要はありません。でも、大切な選択の瞬間に、このことわざを思い出してください。「これは楽しみて後憂え有る選択だろうか」と。その問いかけが、あなたの未来を守る羅針盤になるはずです。

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