好いた同士は泣いても連れるの読み方
すいたどうしはないてもつれる
好いた同士は泣いても連れるの意味
このことわざは、互いに心から愛し合っている二人は、どんなに辛い状況に置かれても、たとえ涙を流すような苦しみがあっても、決して離れずに一緒にいるものだという意味です。
「泣いても」という表現は、経済的な困窮、周囲の反対、社会的な障害など、様々な困難によって引き起こされる悲しみや苦しみを表しています。それでも「連れる」、つまり共に歩み続けるという選択をするのが、真に愛し合う者同士の姿だと教えています。
このことわざは、恋人や夫婦が困難に直面している状況を見たときに使われます。また、障害を乗り越えて一緒にいる二人の強い絆を称賛する場面でも用いられます。真実の愛は、順風満帆なときだけでなく、むしろ逆境の中でこそその真価を発揮するという人間の本質を捉えた表現なのです。
由来・語源
このことわざの由来については、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から江戸時代の庶民文化の中で生まれたと考えられています。
「好いた同士」という表現は、江戸時代の恋愛観を色濃く反映しています。当時の日本では、身分制度が厳格で、家と家との結びつきが重視される時代でした。しかし、そうした社会的制約の中でも、人々は自由な恋愛感情を持ち、時には身分や家の反対を押し切って結ばれようとする男女がいました。
「泣いても連れる」という表現には、当時の恋愛の困難さが凝縮されています。泣くほどの苦しみや悲しみ、周囲からの反対や経済的困窮など、様々な障害があったことを示唆しています。それでも「連れる」、つまり一緒にいるという選択をする。この言葉には、理屈を超えた愛情の力強さへの共感が込められているのです。
庶民の生活の中で語り継がれてきたこのことわざは、恋愛の自由が制限されていた時代だからこそ、真実の愛の強さを讃える言葉として人々の心に響いたのでしょう。困難な状況でも愛を貫く人々への温かい眼差しと、そうした愛への憧れが、この言葉を生み出したと考えられています。
使用例
- 彼らは周りに反対されても好いた同士は泣いても連れるで、結局一緒になったよ
- あの二人を見ていると好いた同士は泣いても連れるって本当だなと思う
普遍的知恵
このことわざが語り継がれてきた背景には、人間の愛情の本質についての深い洞察があります。人は誰しも、順調なときには一緒にいられます。しかし、本当の絆が試されるのは、困難に直面したときなのです。
愛し合う二人が「泣いても連れる」という選択をするのは、単なる感情的な判断ではありません。そこには、相手との未来を信じる力、共に乗り越えようとする意志、そして何よりも相手の存在そのものに価値を見出す深い愛情があります。経済的な豊かさや周囲の祝福がなくても、相手がいることこそが最大の幸せだと感じられる。これは人間だけが持つ、理性を超えた愛の力です。
このことわざが時代を超えて残ってきたのは、どの時代にも困難に直面する恋人たちがいて、それでも愛を貫く姿が人々の心を打ってきたからでしょう。人は本能的に、そうした純粋な愛の強さに憧れ、尊敬の念を抱くのです。
また、このことわざは愛する者への信頼の重要性も教えています。困難な状況で相手を信じ続けること、相手もまた自分を信じてくれていると確信できること。この相互の信頼があってこそ、どんな涙も二人で乗り越えられるのです。
AIが聞いたら
恋愛関係を物理学の力学系として見ると、驚くほど複雑系科学の理論と一致します。二人が互いに好き合っている状態は、ボールが谷底に落ち着くように、システムが自然と向かう「安定点」になっています。この安定点をアトラクターと呼びます。
面白いのは、この安定点には引力圏があることです。たとえば喧嘩や困難という外からの力でボールが谷底から押し出されても、谷の範囲内にいる限り、ボールは自然と谷底に戻ろうとします。つまり、二人の関係に問題が起きても、その「好き」という感情が作る引力圏の中にいる限り、自動的に元の安定した状態へ戻ろうとする力が働くのです。
さらに注目すべきは、この系が持つ自己修復機能です。複雑系では、構成要素同士が相互作用することで、外部から設計図を与えなくても勝手に秩序が生まれます。恋人同士なら、相手の表情を読んで自分の行動を調整し、相手もまたそれに応じて変化する。この相互フィードバックが、関係を自然と修復していきます。
「泣いても連れる」という表現は、実は物理法則に近い現象を言い当てています。感情の引力が十分に強ければ、涙という一時的な擾乱では、二人をアトラクターから引き離すことはできないのです。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、真の愛とは何かという根本的な問いへの答えです。現代社会では、恋愛や結婚においても効率や条件が重視されがちです。しかし、本当に大切なのは、困難なときにこそ相手と共にいたいと思えるかどうかなのです。
あなたが大切な人との関係で迷ったとき、この言葉を思い出してください。順調なときだけ一緒にいるのは簡単です。でも、相手が困難に直面しているとき、あるいは二人の関係に試練が訪れたとき、それでも一緒にいたいと心から思えるなら、それが真実の愛なのです。
また、このことわざは、困難を恐れすぎないことの大切さも教えています。愛する人と共にいれば、たとえ涙を流すような辛いことがあっても、それを乗り越える力が湧いてきます。一人では耐えられないことも、二人なら乗り越えられる。そう信じられる相手がいることは、人生における最大の財産なのです。
大切な人を選ぶとき、そして大切な人との関係を育てるとき、表面的な条件だけでなく、共に困難を乗り越えられる絆があるかを見つめてみてください。


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