至徳を論ずる者は俗に和せずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

至徳を論ずる者は俗に和せずの読み方

しとくをろんずるものはぞくにわせず

至徳を論ずる者は俗に和せずの意味

このことわざは、最高の徳について論じたり、それを実践しようとする人は、世間一般の人々とは価値観が合わず、調和することが難しいという意味です。高い理想や真理を追求する者は、多くの人が重視する世俗的な利益、名誉、快楽といったものに関心を示さないため、周囲から理解されにくく、時には孤立することもあります。これは、その人が間違っているのではなく、むしろ真の徳を追求する者の宿命として捉えられています。世間の常識や流行に流されず、自分の信じる道を貫く人は、必然的に多数派とは異なる立場に立つことになります。このことわざは、そうした孤高の姿勢を肯定的に評価し、真の価値を追求する者の孤独を理解する視点を提供しています。

由来・語源

このことわざは、中国の古典思想、特に老荘思想の影響を受けていると考えられています。「至徳」という言葉は、最高の徳、完全な徳を意味し、老子の思想において重要な概念です。老子は「上徳は徳とせず」と説き、真の徳を持つ者はそれを意識せず、世俗の価値観とは異なる境地にいると論じました。

「俗に和せず」という表現は、世間一般の人々と調和しない、馴染まないという意味です。ここでいう「俗」とは、日常的な利害や欲望に縛られた世俗の世界を指しています。高い理想や徳を追求する者は、必然的に多くの人々が重視する価値観とは異なる視点を持つようになります。

このことわざが日本に伝わり定着した背景には、禅宗や儒学の影響もあったと推測されます。江戸時代の学者たちの間で、真の学問や徳の追求について語られる際に、このような表現が用いられていた可能性があります。世俗の評価や利益を求めず、ただ真理や徳を追求する姿勢こそが尊いという思想は、日本の精神文化にも深く根付いていました。言葉の構成からも、学問的な文脈で生まれた格言であることが窺えます。

使用例

  • 彼は環境保護を真剣に訴えているが、至徳を論ずる者は俗に和せずで、利益優先の企業社会では孤立している
  • 学問の本質を追求する先生の授業は人気がないが、至徳を論ずる者は俗に和せずというものだろう

普遍的知恵

人間社会には常に二つの価値観が存在してきました。一つは目に見える利益や快楽を追求する世俗的な価値観、もう一つは真理や徳といった目に見えない理想を追求する価値観です。このことわざが示しているのは、この二つが本質的に相容れないという人間社会の構造的な真実です。

なぜ高い理想を持つ者は孤立するのでしょうか。それは多くの人々が、今日の生活、目の前の利益、周囲からの評価といった具体的なものに関心を向けているからです。これは人間として自然なことです。しかし、真理や徳を追求する者は、そうした即座の報酬を求めません。彼らの関心は、もっと根源的な問いや、長期的な価値に向けられています。

このズレは避けられません。多数派は常に、今ここにある現実的な問題に焦点を当てます。一方で、理想を追求する者は、あるべき姿、本来の在り方を問い続けます。この姿勢の違いが、相互理解を困難にするのです。

しかし、このことわざが長く語り継がれてきたのは、人々が心のどこかで、世俗を超えた価値の存在を認識しているからでしょう。孤高の道を歩む者への敬意と、同時に自分たちとは異なる世界に生きる者への畏怖の念が、この言葉には込められています。

AIが聞いたら

情報理論では、伝えたい信号の強さと周囲の雑音の強さの比率が通信の質を決める。たとえば携帯電話の通話で考えると、相手の声(信号)が周りの騒音(雑音)より十分に大きくないと、会話が成立しない。シャノンの定理によれば、雑音が多いチャンネルで高品質な情報を送るには、信号を極端に強くするか、まったく別の周波数帯を使うしかない。

このことわざを情報理論で読み解くと、興味深い現象が見えてくる。社会という通信チャンネルには、すでに大量の情報が飛び交っている。日常会話、常識、流行、既存の価値観といった無数の信号が、ある種の背景雑音を形成している。ここに革新的な思想という高純度の信号を送り込もうとすると、既存の情報との干渉が起きる。

問題は、受信者である大衆の脳が、すでに既存の周波数帯に同調しているという点だ。新しい思想を既存の言葉や概念で説明しようとすると、それは既存の周波数に変換される。すると元の信号は劣化し、雑音に埋もれてしまう。つまり革新的な思想が大衆に理解されにくいのは、思想自体の問題ではなく、通信チャンネルの構造的な制約なのだ。

だから真に新しい考えを伝えるには、新しい言葉、新しい表現形式という別の周波数帯を開拓する必要がある。それが大衆と調和しないように見える理由だ。

現代人に教えること

このことわざは、あなたが何か大切な信念を持って生きようとするとき、必ずしも周囲の理解が得られるわけではないと教えてくれます。それは決してあなたが間違っているからではありません。多くの人と異なる価値観を持つことは、時に孤独を伴いますが、それは真摯に生きることの証でもあるのです。

現代社会では、SNSの「いいね」の数や、周囲からの評価が気になりがちです。しかし、本当に大切なことを追求しようとするなら、時には多数派の意見と距離を置く勇気も必要です。環境問題、社会正義、学問の探求、芸術の創造など、すぐには理解されない価値を追求する人々が、実は社会を前進させてきました。

大切なのは、孤立を恐れすぎないことです。同時に、世俗を生きる人々を見下すのではなく、ただ自分の道を静かに歩むことです。あなたの信じる価値が本物なら、いつか必ず理解者が現れます。そして何より、多くの人に理解されることよりも、自分の心に正直に生きることの方が、人生において価値があるのではないでしょうか。

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