煽てと畚には乗るなの読み方
おだてとみにはのるな
煽てと畚には乗るなの意味
このことわざは、おだてられても調子に乗ってはいけないという戒めを表しています。人から褒められたり持ち上げられたりすると、つい自分を過大評価してしまい、本来の実力以上のことができると勘違いしてしまいがちです。そうした状態は、まるで不安定な畚に乗っているようなもので、いつ転んでもおかしくない危うい状況なのです。
このことわざは、特に誰かに褒められて有頂天になっている人や、お世辞を真に受けて自信過剰になっている人に対して使われます。また、自分自身への戒めとして、謙虚さを保つために心に留めておく言葉でもあります。現代社会でも、SNSでの称賛や上司からの褒め言葉に舞い上がってしまう場面は多々あります。そんな時こそ、冷静さを失わず、自分の実力を客観的に見つめ直すことの大切さを、このことわざは教えてくれているのです。
由来・語源
このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から興味深い考察ができます。
「煽て」とは、おだてること、つまり相手を褒めそやして良い気分にさせることです。一方「畚(み)」とは、土や石を運ぶための道具で、竹や藁で編んだ浅い籠のことを指します。現代ではあまり見かけませんが、かつての農作業や土木工事では欠かせない道具でした。
このことわざの面白さは、「煽て」という抽象的な行為と、「畚」という具体的な道具を並べている点にあります。なぜこの二つが並べられたのでしょうか。それは、どちらも「乗る」という共通点があるからです。畚は軽くて不安定な道具ですから、実際に人が乗ったら簡単にひっくり返ってしまいます。同じように、おだてられて調子に乗ることも、足元をすくわれる危険な行為だという教えなのです。
江戸時代の庶民の間で生まれたと考えられており、日常生活の中で使う道具を例えに用いることで、誰にでも分かりやすく教訓を伝える工夫がなされています。実用的な道具を使った比喩は、当時の人々の生活感覚に根ざした知恵の表れと言えるでしょう。
豆知識
畚(み)という道具は、地域によって「もっこ」とも呼ばれ、二人で棒を持って担ぐタイプのものもありました。軽量で持ち運びやすい反面、重心が不安定で、少しバランスを崩すとすぐに中身をこぼしてしまう特徴がありました。この不安定さこそが、このことわざの比喩として選ばれた理由と考えられます。
江戸時代の川柳や狂歌には、おだてられて失敗する人物を風刺した作品が数多く残されており、当時から人々は他人の甘言に惑わされることの危険性をよく理解していたことが分かります。
使用例
- 部長に褒められて調子に乗っていたら大失敗した、煽てと畚には乗るなとはこのことだ
- あの人はお世辞を真に受けやすいから、煽てと畚には乗るなと忠告しておいた方がいいよ
普遍的知恵
人間には、認められたい、褒められたいという根源的な欲求があります。これは生存本能とも結びついた、極めて自然な感情です。だからこそ、誰かに褒められると心が浮き立ち、自分が特別な存在になったような錯覚を覚えてしまうのです。
しかし、このことわざが何百年も語り継がれてきたのは、その欲求が同時に人間の弱点でもあることを、先人たちが深く理解していたからでしょう。おだてられて調子に乗る人は、実は自分の実力に対する不安を抱えていることが多いのです。だからこそ、他人からの評価に過度に依存し、褒め言葉を聞くと安心して舞い上がってしまいます。
興味深いのは、このことわざが「おだてるな」ではなく「乗るな」と言っている点です。つまり、おだてる人がいることは前提として認めた上で、それに乗せられる側の心構えを問うているのです。世の中には、あなたを利用しようとする人、本心ではない言葉で近づいてくる人が必ず存在します。その現実を受け入れた上で、自分自身の判断力と冷静さを保つことの重要性を、このことわざは教えているのです。真の自信とは、他人の評価に左右されない、自分自身への確かな理解から生まれるものなのです。
AIが聞いたら
人間の脳は通常、損失を利益の約2倍強く感じる仕組みになっています。これをプロスペクト理論では「損失回避バイアス」と呼びます。たとえば、1万円もらえる喜びよりも、1万円失う痛みの方が2倍くらい強く感じるわけです。この感覚が普段は私たちをリスクから守る防御システムとして働いています。
ところが、褒められて気分が高揚した状態、つまり「ホット状態」になると、この防御システムが一時的に機能停止します。脳内ではドーパミンが大量に放出され、報酬への期待感が損失への恐怖を上回ってしまうのです。研究によれば、感情的に興奮している時、人間は冷静な時と比べて最大で3倍から5倍もリスクを過小評価することが分かっています。畚という不安定な農具に乗るという明らかに危険な行為が、褒められた瞬間には「大丈夫かもしれない」と思えてしまうのはこのためです。
さらに厄介なのが「ホット・コールド共感ギャップ」です。冷静な時の自分は、興奮している時の自分がどれほど判断力を失うか想像できません。逆に興奮している時は、後で冷静になった自分がどれだけ後悔するかも予測できないのです。つまり、煽てられている最中の人に「危ないからやめろ」と言っても、その人の脳は別モードで動いているため、警告が届きにくい構造になっています。このことわざは、人間の脳に備わった認知バグを何百年も前から見抜いていたわけです。
現代人に教えること
このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、自分の価値を他人の評価だけで測らないことの大切さです。SNSの「いいね」の数、上司からの褒め言葉、友人からの称賛。これらは確かに嬉しいものですが、それだけがあなたの価値ではありません。
大切なのは、褒められた時こそ一歩引いて考える習慣を持つことです。「なぜ今この人は私を褒めているのだろう」「この評価は本当に妥当なのだろうか」と問いかけてみてください。それは疑心暗鬼になることではなく、健全な自己認識を保つための知恵なのです。
同時に、このことわざは謙虚さの価値を教えてくれます。どんなに褒められても、自分にはまだ学ぶべきことがある、成長の余地があると考えられる人は強いのです。そうした姿勢こそが、本当の意味での自信につながります。
あなたの価値は、あなた自身が一番よく知っています。他人の言葉に一喜一憂するのではなく、自分の内なる声に耳を傾けてください。そうすれば、どんな言葉にも揺らがない、確かな自分を築くことができるはずです。


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