盗人が盗人に盗まれるの読み方
ぬすびとがぬすびとにぬすまれる
盗人が盗人に盗まれるの意味
このことわざは、悪いことをする者が、同じように悪事を働く者によって騙されたり害を受けたりする状況を表しています。盗人が他人から盗んだものを、今度は別の盗人に盗まれてしまうという皮肉な事態を指す言葉です。
使われる場面は、詐欺師が別の詐欺師に騙されたり、不正を働く人が同じような手口で損害を被ったりしたときです。この表現を使う理由は、悪事を働く者同士の間に信頼関係など存在せず、結局は互いに傷つけ合うという人間社会の皮肉な現実を端的に示すためです。
現代でも、不正な手段で利益を得ようとする人が、同じような考えを持つ人に裏切られる場面は少なくありません。インターネット上の詐欺や、違法な取引における騙し合いなど、形を変えながらも同じ構図が繰り返されています。このことわざは、悪の世界には秩序も信頼もなく、自業自得の連鎖が待っているという教訓を伝えているのです。
由来・語源
このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構造から興味深い考察ができます。
「盗人が盗人に盗まれる」という表現は、同じ言葉を繰り返す構造が特徴的です。この反復は、悪事が巡り巡って自分に返ってくる様子を、言葉の形そのもので表現していると考えられています。盗む側と盗まれる側が同じ「盗人」という言葉で表されることで、立場が逆転する皮肉な状況が鮮やかに浮かび上がります。
日本には古くから「因果応報」の思想が根付いており、仏教の影響を受けて悪行には必ず報いがあるという考え方が広く共有されてきました。このことわざも、そうした思想的背景の中で生まれたと推測されます。特に興味深いのは、単に「悪いことをすれば罰が当たる」という一般論ではなく、「同じ種類の悪者に」やられるという具体性です。
江戸時代の庶民の間では、盗人同士の裏切りや騙し合いは珍しくなかったとされています。盗んだ品を売りさばく過程で、仲間に裏切られたり、別の盗人に横取りされたりする事例が実際にあったことから、こうした表現が生まれ、人々の教訓として語り継がれてきたという説が有力です。
使用例
- 違法コピーを売っていた業者が、取引相手に代金を持ち逃げされたらしい。まさに盗人が盗人に盗まれるだね
- あの会社、脱税の手口を税理士に密告されて追徴課税されたって。盗人が盗人に盗まれるとはこのことだ
普遍的知恵
「盗人が盗人に盗まれる」ということわざは、人間社会における深い真理を突いています。それは、不正や悪事の上に築かれた関係には、決して信頼が生まれないという厳しい現実です。
なぜ人は悪事を働くのでしょうか。多くの場合、それは楽をして利益を得たい、ルールを守る人より得をしたいという欲望からです。しかし、そうした考えを持つ者同士が出会ったとき、そこに生まれるのは協力ではなく、さらなる裏切りと搾取の連鎖なのです。
このことわざが長く語り継がれてきた理由は、悪の世界の自己矛盾を鮮やかに示しているからでしょう。盗人は他人の財産を尊重しません。しかし、その盗人自身も、同じ価値観を持つ別の盗人からは尊重されないのです。悪事を働く者は、自分だけは例外だと考えがちですが、実際には自分が作り出したルール無視の世界に、自分自身も飲み込まれていきます。
先人たちは、この皮肉な循環を見抜いていました。正直さや誠実さは、単なる道徳的な美徳ではなく、実は自分自身を守る最も確実な方法だという知恵です。信頼できない世界で生きることほど、不安で危険なことはないのですから。
AIが聞いたら
盗人だけの社会を数学的にシミュレートすると、興味深い結果が出ます。たとえば10人の盗人がいて、それぞれが他人から盗むか盗まないかを選べる状況を考えてみましょう。盗めば利益10を得ますが、盗まれたら損失10です。全員が盗まなければ損益ゼロで平和ですが、自分だけ盗めば一人勝ちできます。
ここで囚人のジレンマが発生します。相手を信頼して盗まないでいると、相手に裏切られて一方的に損をする。だから全員が「先に盗もう」と考えて行動します。結果、全員が全員から盗み合い、平均すると誰も得をしない状態になります。計算上、10人全員が9回ずつ盗まれるので、損失は90にもなります。誰も盗まなければ損失ゼロだったのに、です。
さらに深刻なのは、この状況を改善する手段がないことです。通常の社会なら「ルールを作って守ろう」という合意ができますが、盗人社会では合意そのものが信頼できません。約束を守る保証がないからです。つまり、盗人たちは「信頼」という見えない公共財が、実は社会全体の利益を最大化する最も効率的なシステムだったと気づきます。法を破る者たちが、皮肉にも法の必要性を最も痛感する構造がここにあります。ゲーム理論では、これを「協調の失敗」と呼びます。
現代人に教えること
このことわざが現代を生きる私たちに教えてくれるのは、誠実さこそが最強の防御であるということです。不正な手段で得た利益は、必ず不安定な基盤の上に立っています。
現代社会では、短期的な利益を追求する誘惑が至るところにあります。少しくらいのごまかし、バレなければいいという考え、他人を出し抜いて得をしたいという欲望。しかし、そうした道を選んだ瞬間、あなたは同じ考えを持つ人々の世界に足を踏み入れることになります。そこは互いに信頼できず、常に警戒し合わなければならない、疲れ果てる世界です。
一方で、正直に生きることを選べば、あなたの周りには同じように誠実な人々が集まってきます。困ったときに助け合える関係、安心して協力できる仲間、長期的な信頼関係。これらは、どんな不正な利益よりも価値のある財産です。
このことわざは、悪事への警告であると同時に、誠実さへの励ましでもあります。正直に生きることは損ではなく、実は最も賢い選択なのだと、先人たちは教えてくれているのです。


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