二八の涙月の意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

二八の涙月の読み方

にはちのなみだづき

二八の涙月の意味

「二八の涙月」とは、二月と八月は商売が低調で苦しい月だということを表すことわざです。

このことわざは、商売をしている人が一年の中で特に売上が落ち込む時期を指して使われます。二月は正月商戦が終わって消費が冷え込む時期、八月は夏の暑さで人々の購買意欲が減退する時期として知られています。店を経営する人にとっては、売上が伸びず資金繰りに頭を悩ませる、まさに「涙が出るほど苦しい月」なのです。

現代でも小売業や飲食業などでは、この二月と八月の売上低迷は実感されています。「今月は二八の涙月だから仕方ない」と、商売の波を受け入れる際に使われることもあります。一年を通じて商売には必ず波があり、良い時期もあれば厳しい時期もあるという、商売の現実を端的に表現した言葉です。

由来・語源

このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、江戸時代の商人たちの間で生まれた言葉だと考えられています。

「二八」とは二月と八月を指します。なぜこの二つの月が商売人にとって苦しい時期とされたのでしょうか。それは日本の伝統的な年中行事や季節の移り変わりと深く関係しています。

二月は正月の祝いが終わり、人々の財布の紐が固くなる時期です。正月に散財した後で、消費が冷え込む時期と言えるでしょう。一方、八月はお盆の時期ではありますが、夏の暑さで人々の購買意欲が減退し、また農家は収穫前で現金収入が少ない時期でもありました。

さらに、江戸時代の商習慣では、盆と暮れに決済を行うことが一般的でした。二月は正月の支払いが終わった直後、八月は盆の支払い前という、まさに資金繰りが厳しくなる谷間の時期だったのです。

「涙月」という表現には、商売が思うようにいかず、店主が涙を流すほど苦しい月だという切実な思いが込められています。季節の循環と商売の浮き沈みを見事に言い表した、商人たちの生活の知恵から生まれた言葉と言えるでしょう。

豆知識

実は現代の小売業界でも、二月と八月の売上低迷は統計的に確認されています。特に二月は一年で最も日数が少ないことも売上減少の一因となっており、「ニッパチ問題」として経営課題に挙げられることがあります。多くの企業が、この時期をどう乗り切るかを経営戦略の重要なポイントとしているのです。

八月については、お盆休みで企業活動が停滞することや、暑さで外出を控える人が増えることが、現代でも売上低迷の要因となっています。江戸時代から続くこの商売の波は、時代が変わっても変わらない日本の季節と消費の関係を物語っています。

使用例

  • うちの店も二八の涙月で今月は本当に厳しいな
  • 二八の涙月というけれど、この時期をどう乗り切るかが商売の腕の見せどころだ

普遍的知恵

「二八の涙月」ということわざは、人生には必ず波があるという普遍的な真理を教えてくれます。

商売に限らず、私たちの人生には好調な時期もあれば低調な時期もあります。すべてが順調に進み続けることはありません。このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間の営みには必ず「谷」の時期が訪れるという、避けられない現実を言い当てているからでしょう。

興味深いのは、このことわざが「涙月」という感情的な表現を使いながらも、二月と八月という具体的な時期を特定している点です。つまり、苦しい時期は予測可能であり、準備ができるということを示唆しています。先人たちは、苦しみを嘆くだけでなく、その苦しみがいつ来るかを知り、備えることの大切さを理解していたのです。

また、「涙月」という表現には、苦しみを素直に認める姿勢も感じられます。辛い時は辛いと認めること。それは弱さではなく、現実を直視する強さです。そして、涙を流しながらも、その月を乗り越えてきた無数の商人たちの姿が、このことわざには重なっています。

人生の波を受け入れ、谷の時期を予測し、それでも前に進み続ける。そんな人間の強さと知恵が、この短い言葉に凝縮されているのです。

AIが聞いたら

人間の記憶は不幸な出来事に強く反応する仕組みになっています。2月や8月に一度でも大きな被害があると、その記憶が鮮明に残り、何もなかった年の記憶は薄れていきます。これを心理学では利用可能性ヒューリスティックと呼びます。思い出しやすい出来事ほど頻繁に起きていると錯覚してしまう現象です。

興味深いのは、実際の気象データを調べると地域によって全く異なる結果が出ることです。たとえば北海道では8月は比較的安定した気候ですし、沖縄では2月の降水量は年間で少ない方に入ります。それなのにこの言葉が全国的に広まったのは、確証バイアスが働いているからです。つまり「2月8月は危ない」という先入観があると、実際に天候が悪化した時だけ「ほら、やっぱり」と記憶に刻まれ、晴天だった日々は意識から消えていくのです。

さらに農業という職業の特性も関係しています。収穫の成否は生活に直結するため、リスク回避の感情が強く働きます。10回中2回しか起きない災害でも、その2回の損失が致命的なら、人は「いつも危険だ」と感じるように脳が設計されています。統計的な頻度と心理的な重大性は一致しないのです。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、困難な時期を「想定内」として受け入れる心構えの大切さです。

仕事でも人生でも、すべてが右肩上がりで進むことはありません。プロジェクトが停滞する時期、モチベーションが上がらない時期、成果が出ない時期は必ず訪れます。そんな時、「今は二八の涙月なんだ」と思えれば、少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。

大切なのは、低調な時期が来ることを前もって知り、準備しておくことです。商売人が二月と八月に備えて資金を蓄えるように、私たちも人生の「谷」に備えることができます。好調な時期に調子に乗りすぎず、余力を残しておく。そして低調な時期には無理をせず、次の波を待つ余裕を持つ。

また、このことわざは「この苦しい時期も過ぎ去る」という希望も教えてくれています。二月の次には春が来て、八月の次には秋が来ます。永遠に続く冬はないのです。今が辛くても、それは一時的なもの。そう信じて、今できることを淡々と続けていく。それが、人生の波を乗りこなす知恵なのです。

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