逃ぐる者道を選ばずの読み方
にぐるものみちをえらばず
逃ぐる者道を選ばずの意味
「逃ぐる者道を選ばず」とは、追い詰められた者は手段や道を選んでいられないという意味です。切羽詰まった状況に置かれた人は、理想的な方法や安全な道を吟味する余裕がなく、目の前にある選択肢に飛びつくしかないという人間の性質を表しています。
このことわざは、危機的状況における人間の行動パターンを冷静に観察した表現です。普段なら慎重に検討するような選択も、追い詰められれば即座に決断せざるを得ません。使用場面としては、窮地に立たされた人が無謀とも思える行動に出た時や、切羽詰まって普段なら取らない手段を選んだ時などに用いられます。
現代でも、締め切りに追われて質より速度を優先したり、経済的に困窮して本意ではない選択をしたりする場面で、この表現は的確に状況を言い当てます。人間の判断力は、余裕がある時とない時では大きく変わるという普遍的な真理を、このことわざは教えてくれるのです。
由来・語源
このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から興味深い考察ができます。
「逃ぐる」は古語で「逃げる」を意味し、「道を選ばず」は文字通り「進む道を選んでいられない」という状態を表しています。この表現が生まれた背景には、日本の歴史における戦乱の時代が深く関わっていると考えられています。
戦国時代や江戸時代の動乱期において、敗走する武士や追われる身となった人々の姿が、このことわざの原型となった可能性があります。命からがら逃げる者は、平坦な道か険しい道か、人目につく大通りか隠れやすい裏道かなど、選り好みしている余裕はありません。目の前にある道を、ただひたすら進むしかないのです。
また「道」という言葉には、物理的な道筋だけでなく、「手段」や「方法」という意味も含まれています。追い詰められた者は、正攻法か奇策か、正しい方法か多少問題のある方法かといった選択をする余裕もなく、とにかく目の前の手段に飛びつくしかない。そうした切迫した人間の姿を、先人たちは鋭く観察し、この短い言葉に凝縮したのでしょう。
使用例
- 会社の不正が発覚しそうになって、逃ぐる者道を選ばずで証拠隠滅に走ってしまったらしい
- 借金取りに追われて、逃ぐる者道を選ばずとばかりに怪しい儲け話に手を出してしまった
普遍的知恵
「逃ぐる者道を選ばず」ということわざが示すのは、人間の判断力が置かれた状況によって大きく変わるという普遍的な真理です。私たちは自分を理性的な存在だと思いがちですが、実際には余裕の有無が判断の質を左右するのです。
なぜこのことわざが長く語り継がれてきたのか。それは、追い詰められた時の人間の姿が、時代を超えて変わらないからでしょう。平安時代の貴族も、戦国時代の武士も、現代のビジネスパーソンも、窮地に立たされれば同じように冷静さを失い、目の前の選択肢に飛びつきます。
この現象の背景には、人間の生存本能があります。危機を感じた時、脳は長期的な利益よりも目の前の脅威からの回避を優先するようにできています。じっくり考えて最善の道を選ぶ余裕があるのは、安全が保証されている時だけなのです。
先人たちはこの人間心理を見抜いていました。だからこそ、追い詰められた者を一方的に責めるのではなく、「道を選ばず」という表現で、その状況の切迫性を理解していたのです。このことわざには、人間の弱さへの洞察と、ある種の共感が込められています。それが、何百年も人々の心に響き続ける理由なのでしょう。
AIが聞いたら
追われている人が最短ルートを探さず目の前の道に飛び込むのは、実は計算された合理性がある。これは機械学習の「探索と活用のジレンマ」そのものだ。
AIが迷路を解くとき、通常は複数のルートを比較して最適解を探す。しかし時間制限が厳しいと、探索モードから活用モードへ切り替える。つまり「もっと良い道があるかも」という探索を打ち切り、今見えている道をすぐ使う。これは温度パラメータという数値を下げることで実現される。高温状態では冒険的に色々試すが、低温では確実な選択肢だけを取る仕組みだ。
人間も同じ計算をしている。道を選ぶ時間が10秒あれば、その間に追手は50メートル近づく。仮に最適な道が今見えている道より30秒速くゴールできても、それを探す10秒で追いつかれたら意味がない。情報収集のコストが情報の価値を上回る瞬間、脳は自動的に探索を停止する。
興味深いのは、この判断に意識的な思考がほぼ介在しないこと。生存圧力の中で何万年も最適化された結果、人間の脳には「残り時間が短いほど選択肢の吟味時間を削る」という自動調整機能が組み込まれている。冷静さを失ったように見える行動は、実は超高速の費用対効果分析の結果なのだ。
現代人に教えること
このことわざが現代人に教えてくれるのは、追い詰められる前に行動することの大切さです。問題を先送りにして状況が悪化すれば、選択肢は狭まり、質の低い判断しかできなくなります。だからこそ、まだ余裕があるうちに手を打つことが重要なのです。
あなたが今、何か困難に直面しているなら、それが小さいうちに対処してください。借金なら少額のうちに、人間関係のもつれなら小さな誤解のうちに、仕事の遅れならまだ取り返せるうちに。余裕がある時こそ、最善の道を選べるのです。
また、このことわざは他者への理解を深めてもくれます。誰かが不可解な選択をした時、その人が追い詰められていた可能性を考えてみてください。人は余裕がなくなると、本来の賢さを発揮できなくなります。その理解があれば、相手を一方的に責めるのではなく、なぜそこまで追い詰められたのかに目を向けられるでしょう。
人生では誰もが時に窮地に立たされます。大切なのは、そうなる前に動くこと、そしてそうなった人を理解すること。このことわざは、予防と共感の両方を私たちに教えてくれているのです。


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