鼠に投げんと欲して器を忌むの読み方
ねずみになげんとほっしてうつわをいむ
鼠に投げんと欲して器を忌むの意味
このことわざは、小さな害を避けようとして大切なものを損なう愚かさを戒める言葉です。ネズミという小さな害獣を退治しようとして、大切な器を壊すことを恐れるあまり、結局ネズミを放置してしまう状況を例えています。
使用場面としては、目先の小さな損失や不都合を避けることに気を取られて、本来守るべき大切なものを見失ってしまう状況を指摘する際に用いられます。器を壊さないことにこだわるあまり、ネズミに食料を食い荒らされ続けるという本末転倒な結果を招く様子が、判断の優先順位を誤った愚かさを端的に表現しているのです。現代でも、些細な問題を恐れて本質的な対処を避けてしまう態度を批判する際に、この表現が使われています。
由来・語源
このことわざは、中国の古典『淮南子』に記されている故事に由来すると考えられています。原文では「鼠を投げんと欲して器を忌む」という形で登場し、ネズミを退治しようとして大切な器を壊すことを恐れるという場面が描かれています。
古代中国では、家の中にネズミが出没することは日常的な悩みでした。しかし、ネズミを追い払おうとして物を投げつければ、高価な陶器や大切な器を壊してしまう恐れがあります。この状況で、器を壊すことを恐れるあまり、ネズミを放置してしまう様子が、本末転倒な判断の典型例として語られるようになったのです。
日本には漢籍を通じて伝わり、江戸時代の教訓書などにも引用されています。当時の日本でも、ネズミは穀物を食い荒らす害獣として知られており、この故事の教訓は実生活に即したものとして受け入れられました。小さな損失を避けようとして、より大きな被害を招いてしまう人間の判断の誤りを、具体的な日常の場面で示した言葉として、長く語り継がれてきたのです。
使用例
- クレーム対応を恐れて問題を放置した結果、会社の信用を失うなんて、まさに鼠に投げんと欲して器を忌むだ
- 副作用を心配して治療を拒否し続けるのは、鼠に投げんと欲して器を忌むようなものだよ
普遍的知恵
このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間が持つ根源的な心理の弱さを突いているからでしょう。私たちは目の前にある具体的な損失を、まだ見ぬ大きな被害よりも恐れてしまう傾向があります。器が壊れる音は想像できても、ネズミが将来もたらす被害は抽象的で実感しにくいのです。
人間は本能的にリスクを避けようとする生き物です。しかし、その回避行動が時として判断を狂わせます。小さな痛みを避けるために、大きな問題から目を背けてしまう。この心理は、古代中国でも現代日本でも変わらない人間の本質なのです。
さらに深く見れば、このことわざは「行動することの恐れ」という普遍的なテーマを扱っています。何かを守ろうとして行動すれば、必ず何かを失うリスクが生じます。その恐れが人を麻痺させ、結果として何も守れなくなる。先人たちは、この人間の弱さを見抜いていました。完璧を求めるあまり何もできなくなる心理、傷つくことを恐れて大切なものを失う矛盾。それは時代を超えた人間の性なのです。
AIが聞いたら
このことわざが示すのは、ゲーム理論でいう「コミットメント能力の欠如」という問題です。鼠を排除するという明確な目標があるのに、器が壊れるかもしれないという不確実性が行動を完全に止めてしまう。これは単なる優柔不断ではなく、情報が不完全な状況での意思決定の失敗なのです。
興味深いのは、ここに二つの異なる損失が混在している点です。一つは「鼠による確実な被害」で、もう一つは「器が壊れるかもしれないという不確実な損失」。人間の脳は確実な損失より不確実な損失を過大評価する傾向があります。行動経済学では「曖昧性回避」と呼ばれる現象で、確率が分からないリスクに対して人は極端に慎重になるのです。たとえば器が壊れる確率が30パーセントだとしても、その数字すら分からない状況では、人は70パーセントの成功確率より30パーセントの失敗可能性に注目してしまいます。
さらにゲーム理論的に見ると、これは「行動しない」という選択自体が一つの戦略になっている状態です。しかし鼠という相手は待ってくれません。時間が経つほど被害は蓄積し、結果的に器以上の損失を被る。つまり「何もしない」という選択は、実は最悪の戦略なのに、不確実性への恐怖がそれを隠してしまうのです。これは企業が市場変化に対応できず衰退する構造と完全に一致します。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、勇気を持って優先順位を見極めることの大切さです。あなたの人生でも、小さな不都合を避けることに気を取られて、本当に大切なものを守る行動を躊躇していることはないでしょうか。
現代社会では、失敗を恐れる気持ちがますます強くなっています。SNSでの批判を恐れて意見を言えない、転職の失敗を恐れて不満な環境に留まり続ける、人間関係のトラブルを避けて本音を言えない。しかし、小さな傷を恐れるあまり、あなたの人生そのものが蝕まれていくとしたら、それは本末転倒ではないでしょうか。
大切なのは、何を守るために何を手放すのか、その判断軸を明確にすることです。完璧に傷つかずに生きることは不可能です。だからこそ、小さなリスクを受け入れる勇気を持ちましょう。器が壊れることを恐れず、ネズミを追い出す。その決断が、あなたの人生を守ることにつながるのです。


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