為せば成る、為さねば成らぬ何事もの読み方
なせばなる、なさねばならぬなにごとも
為せば成る、為さねば成らぬ何事もの意味
このことわざは、「行動を起こせば物事は実現するが、行動しなければ何も実現しない」という意味です。
つまり、どんなに困難に見える物事でも、実際に取り組んでみれば道は開けるものだが、最初から諦めて何もしなければ、当然ながら何の結果も得られないということを表しています。ここで重要なのは、単に「頑張れば何でもできる」という楽観的なメッセージではなく、「まず行動することの大切さ」を強調している点です。
このことわざを使う場面は、誰かが困難な課題を前にして躊躇している時や、「どうせ無理だ」と諦めモードになっている時です。そんな時に、「とにかくやってみることから始めよう」という励ましの意味で使われます。
現代でも、新しいプロジェクトに挑戦する時や、資格取得、転職、起業など、人生の重要な決断を迫られた時によく引用されますね。このことわざが伝えたいのは、結果を恐れて立ち止まるのではなく、まず一歩を踏み出す勇気の大切さなのです。
由来・語源
このことわざは、江戸時代後期の米沢藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)の言葉として広く知られています。鷹山は財政破綻寸前の米沢藩を見事に立て直した名君として歴史に名を残していますね。
実際の鷹山の言葉は「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」という和歌の形で残されています。この歌は、藩の改革を進める中で、家臣や領民に向けて詠まれたものと考えられています。
興味深いのは、この言葉が生まれた背景です。米沢藩は当時、借金が藩の収入の20倍にも膨らみ、幕府からは他藩への移封や領地返上を迫られるほどの危機的状況でした。そんな絶望的な状況の中で、鷹山は「やればできる」という強い信念を示したのです。
ただし、一部の研究では、類似の表現がより古い時代から存在していたという説もあります。しかし、現在のような形で広く親しまれるようになったのは、確実に鷹山の影響によるものでしょう。この言葉は、単なる精神論ではなく、実際に藩政改革を成功させた実績に裏打ちされているからこそ、多くの人の心に響き続けているのです。
豆知識
上杉鷹山のこの言葉は、実はアメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディが最も尊敬する政治家として鷹山を挙げた際に、世界的に注目されました。ケネディは鷹山の改革精神と、この「為せば成る」の哲学に深く感銘を受けていたそうです。
また、鷹山が藩政改革で実際に行ったのは、まさにこの言葉通りの「小さな行動の積み重ね」でした。家臣の給料カット、自らの生活費削減、新田開発、殖産興業など、一つひとつは地味な取り組みでしたが、それらを着実に実行することで、ついには借金を完済し、豊かな藩へと変貌させたのです。
使用例
- 転職活動がうまくいかなくて落ち込んでいる友人に、為せば成るというから、まずは応募数を増やしてみたらどうかと提案した
- 新しい事業のアイデアはあるけれど、為せば成る為さねば成らぬ何事も、まずは小さく始めてみることにした
現代的解釈
現代社会では、このことわざの解釈に微妙な変化が生まれています。情報化社会の影響で、「行動する前にまず情報収集を」という考え方が主流になり、時として分析麻痺に陥る人が増えているのです。
SNSの普及により、他人の成功体験が簰単に見えるようになった結果、「為せば成る」が「簡単に成功できる」という誤った解釈で使われることもあります。しかし本来この言葉は、成功を保証するものではなく、「行動しなければ始まらない」という当たり前の真理を説いているのです。
一方で、現代のスタートアップ文化や副業ブームでは、この言葉の本質が見直されています。「とりあえずやってみる」「小さく始めて大きく育てる」といった考え方は、まさに鷹山の精神と通じるものがありますね。
テクノロジーの発達により、個人でも以前より簡単に新しいことに挑戦できる環境が整いました。YouTubeでの発信、オンラインでの学習、クラウドファンディングでの資金調達など、「為す」ためのツールは格段に増えています。
ただし現代では、闇雲な行動よりも「戦略的な行動」が求められます。データに基づいた意思決定、小さな実験を繰り返すアジャイル的なアプローチなど、鷹山の時代とは行動の質が変化しているのも事実です。それでも「まず行動する」という核心部分は、今も変わらず価値のある教えなのです。
AIが聞いたら
このことわざの最大の論理的欠陥は、「やればできる」という前提が現実の制約を完全に無視している点にあります。物理法則を例に取れば、どんなに努力しても人間は空を飛べませんし、光速を超えることもできません。しかし、このことわざの構造は「できなかったのは努力が足りなかったから」という結論を必然的に導き出してしまいます。
さらに深刻なのは、この論理が「生存者バイアス」を強化する点です。成功した人だけが「やればできる」と語り、失敗した人や挫折した人の声は聞こえなくなります。統計学的に見れば、同じ努力をしても結果が異なる事例は無数に存在するのに、このことわざはそれらを「努力不足」の一言で片付けてしまいます。
この論理的矛盾が現代社会で特に問題となるのは、格差や不平等を個人の責任に転嫁する思考パターンを正当化してしまうからです。生まれ育った環境、経済状況、身体的条件など、個人ではコントロールできない要素が成功に大きく影響するにも関わらず、「為せば成る」の論理はこれらの構造的問題を見えなくしてしまいます。
つまり、このことわざは一見励ましの言葉に見えて、実は現実を歪めて認識させる危険な思考の罠なのです。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、完璧な準備を待つより、不完全でも行動を始める勇気の大切さです。
現代社会では情報があふれ、「もっと調べてから」「もう少し準備してから」と先延ばしにしがちですが、実際には行動しながら学ぶことの方が多いものです。失敗を恐れて立ち止まるより、小さな一歩から始めてみる。それが、この古いことわざが持つ現代的な価値なのです。
あなたが今、何かに迷っているなら、完璧な計画を立てることより、まず何か一つでも具体的な行動を起こしてみてください。資格の勉強なら参考書を1ページ読む、新しい趣味なら道具を一つ買ってみる、人間関係の改善なら一言声をかけてみる。そんな小さな「為す」から、思いがけない道が開けるかもしれません。
大切なのは、結果を保証することではなく、可能性の扉を開くことです。為せば必ず成るわけではありませんが、為さなければ絶対に成りません。あなたの中に眠っている可能性を、小さな行動で起こしてあげてくださいね。


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