騏驎も老いては駑馬に劣るの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

騏驎も老いては駑馬に劣るの読み方

きりんもおいてはどばにおとる

騏驎も老いては駑馬に劣るの意味

このことわざは、どんなに優秀で才能に恵まれた人でも、年を重ねれば普通の人以下の能力しか発揮できなくなるという意味です。

ここで重要なのは、単に「衰える」のではなく「劣る」という表現が使われていることです。かつて群を抜いて優秀だった人が、平凡な人よりも劣った状態になってしまうという、より厳しい現実を表現しています。この言葉は、主に身体能力や技術的な能力の衰えについて使われることが多く、特にスポーツ選手や職人、芸術家などの分野でよく引用されます。

使用場面としては、往年の名選手が現役の普通の選手に負けてしまった時や、かつて名人と呼ばれた職人の技術が若手に及ばなくなった時などに用いられます。この表現を使う理由は、単なる老化現象ではなく、時の流れの残酷さや、栄光の儚さを強調するためです。現代では、引退のタイミングを考える際の戒めとしても理解されています。

由来・語源

このことわざは、中国の古典に由来する言葉です。「騏驎」とは、中国古代の伝説に登場する神馬の名前で、一日に千里を駆けることができる名馬中の名馬とされていました。一方「駑馬」は、足の遅い劣った馬を指します。

この表現は、もともと中国の古典文学や史書に見られる概念で、優秀な人材や物事でも時間の経過とともに衰えることを表現するために使われていました。日本には漢文の学習とともに伝来し、江戸時代の文献にもその使用例を見ることができます。

特に興味深いのは、この言葉が単なる老化現象を表すのではなく、かつて優れていたものが普通以下になってしまう状況を表現している点です。騏驎という最高級の馬が、ただの駑馬ではなく「駑馬に劣る」状態になるという表現には、栄枯盛衰の激しさが込められています。

日本では武士階級の教養として漢学が重視されていたため、こうした中国古典由来のことわざが広く浸透しました。現代でも、スポーツ選手や芸能人の引退時期について語る際などに使われることがありますね。

豆知識

騏驎は中国神話では麒麟と同じく霊獣とされることもあり、単なる名馬を超えた神聖な存在として描かれていました。そのため、このことわざの「騏驎」は実在の馬ではなく、理想的な能力の象徴として使われているのです。

江戸時代の武士は、このことわざを自分自身への戒めとして使うことが多く、現役時代に慢心せず、適切な時期に後進に道を譲ることの大切さを学ぶ教訓として重視していました。

使用例

  • あの往年の名投手も騏驎も老いては駑馬に劣るで、今の若手にはもう敵わないな
  • 父も昔は会社のエースだったが、騏驎も老いては駑馬に劣るということか、最近は新人にも追い抜かれている

現代的解釈

現代社会では、このことわざの意味がより複雑になっています。従来は主に身体的な衰えや技術的な劣化を指していましたが、今では知識やスキルの陳腐化という新しい解釈も生まれています。

IT業界を例に取ると、かつてのプログラミングの天才が新しい技術についていけず、新卒の若手エンジニアに劣る状況になることがあります。これは単純な老化ではなく、技術革新のスピードが人間の適応能力を上回ることで起こる現象です。

一方で、現代では「生涯学習」や「リスキリング」という概念が重視されており、このことわざの宿命論的な側面に疑問を投げかける声もあります。年齢を重ねても学び続けることで、若い世代に負けない能力を維持できるという考え方が広まっているのです。

また、経験や知恵といった年齢とともに蓄積される価値に注目する傾向も強まっています。単純な処理速度や体力では若い世代に劣っても、判断力や人間関係構築能力では優位に立てる場合も多いのです。

このため、現代では「騏驎も老いては駑馬に劣る」を絶対的な真理として受け入れるのではなく、自分なりの価値を見つけ続けることの重要性を教える言葉として再解釈されつつあります。

AIが聞いたら

このことわざは、現代心理学が発見した「ハロー効果」という認知バイアスを見事に表している。ハロー効果とは、一つの優れた特徴に引きずられて、その人の全体を過大評価してしまう心の癖のことだ。

たとえば、かつて甲子園で活躍した元野球選手がコーチになったとき、私たちは無意識に「昔すごかったから今も指導力があるはず」と思い込んでしまう。しかし実際は、選手としての才能と指導者としての能力は全く別物だ。

心理学者エドワード・ソーンダイクが1920年に行った実験では、軍の上官たちが部下を評価する際、一つの良い印象があると他の能力まで高く評価してしまうことが証明された。現代でも、有名大学出身というだけで仕事ができると判断したり、過去の成功体験にとらわれて現在の実力を見誤ったりする例は無数にある。

興味深いのは、このバイアスは評価する側だけでなく、評価される側にも影響することだ。過去の栄光にすがって現実を受け入れられない人は、成長の機会を逃してしまう。

古代中国の賢人たちは、科学的な研究手法がない時代に、人間の認知の盲点を鋭く見抜いていた。現代の脳科学が明らかにした「人は過去の情報に引きずられやすい」という発見を、すでに直感的に理解していたのである。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、人生には必ず変化の時期があるということです。そして、その変化を恐れるのではなく、受け入れる準備をしておくことの大切さなのです。

大切なのは、自分が「騏驎」だった時期に慢心せず、常に学び続ける姿勢を持つことです。また、能力が衰えを見せ始めた時には、潔く次の世代に道を譲る勇気も必要でしょう。これは決して敗北ではなく、人生の自然な流れを受け入れる知恵なのです。

現代社会では、一つの分野で通用しなくなっても、別の分野で新たな価値を発揮できる可能性があります。騏驎としての経験は、たとえ速く走れなくなっても、若い馬たちを指導する力に変わるかもしれません。

あなたも今、何かの分野で輝いているなら、その光を大切にしながらも、いつか変化の時が来ることを心の片隅に置いておいてください。そして、その時が来たら、新しい自分の価値を見つける冒険を始めましょう。人生は一つの役割だけで終わるものではないのですから。

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