騏驥も一躍に十歩すること能わずの読み方
ききもいちやくにじっぽすることあたわず
騏驥も一躍に十歩すること能わずの意味
このことわざは、優秀な人でも一度に大きな成果を上げることはできないという意味です。どんなに才能があり、能力が高い人であっても、物事を成し遂げるには段階を踏む必要があり、一足飛びに結果を出すことは不可能だということを教えています。使用場面としては、焦って結果を求める人に対して、着実な努力の大切さを諭す時や、自分自身が急ぎすぎていると感じた時に自戒の意味で用いられます。現代では、即座の成功を求めがちな風潮に対して、地道なプロセスの重要性を思い起こさせる言葉として理解されています。才能や能力は確かに大切ですが、それだけでは不十分であり、一歩一歩確実に前進することこそが、最終的な大きな成果につながるのだという真理を表現しています。
由来・語源
このことわざは、中国の古典「荀子」の「勧学篇」に由来すると考えられています。原文では「騏驥一躍、不能十歩」と記されており、日本に伝わって訓読されたものが現在の形になったとされています。
騏驥とは、一日に千里を走ると言われた伝説的な名馬のことです。古代中国では、このような優れた馬は王侯貴族の象徴であり、最高の才能や能力の比喩として用いられました。一躍とは一回の跳躍、十歩とは十歩分の距離を意味します。
荀子は人間の学問や修養について論じる中で、この馬の例えを用いました。どんなに優秀な名馬であっても、一度跳んだだけで十歩も進むことはできない。しかし、駑馬という鈍い馬でも、十日間休まず歩き続けることで遠くまで到達できる、という対比で語られています。
この教えは、才能の有無よりも継続的な努力の重要性を説いたものです。瞬間的な力や一時的な成果ではなく、地道な積み重ねこそが大きな成就につながるという思想が込められています。日本には漢籍とともに伝わり、努力と継続の大切さを説くことわざとして定着しました。
豆知識
このことわざに登場する騏驥という名馬は、中国の伝説では周の穆王が所有していた八頭の駿馬の一頭とされています。これらの馬は一日で千里を駆けると言われ、穆王はこの馬たちに乗って西方の崑崙山まで旅をしたという神話が残されています。
荀子の「勧学篇」では、この騏驥の例えに続けて「駑馬十駕、功在不舎」という言葉が記されています。これは鈍い馬でも十日間休まず進めば遠くまで行けるという意味で、才能よりも継続の力を強調する対句となっています。
使用例
- 新しいプログラミング言語を習得しようとしているけれど、騏驥も一躍に十歩すること能わずだから、毎日少しずつ学んでいくしかないな
- 彼女は天才ピアニストだけれど、騏驥も一躍に十歩すること能わずで、やはり毎日何時間も練習を重ねているそうだ
普遍的知恵
人間には、優れた才能を持つ者を見ると、その成功が一瞬で訪れたかのように錯覚してしまう性質があります。しかし、このことわざは、どんなに優秀な存在であっても、大きな成果は一度の跳躍では得られないという厳然たる事実を突きつけます。
なぜ人は近道を求めてしまうのでしょうか。それは、努力の過程が見えにくいからです。他人の成功の瞬間は目に入っても、その背後にある無数の小さな一歩は見えません。私たちは結果だけを見て、プロセスを見落としがちなのです。
この真理が時代を超えて語り継がれてきたのは、人間の焦りという感情が普遍的だからでしょう。古代中国でも現代日本でも、人は早く結果を出したいと願います。しかし、自然界を見れば明らかです。種を蒔いてすぐに実がなることはなく、赤ん坊が一日で大人になることもありません。成長には時間という要素が不可欠なのです。
このことわざが教えるのは、謙虚さでもあります。自分の才能を過信せず、地道な積み重ねを軽んじない姿勢です。名馬でさえ一歩ずつ進むのだという認識は、人間に対する深い洞察に基づいています。才能は出発点に過ぎず、それを活かすには継続的な努力が必要だという、変わらぬ人生の法則を示しているのです。
AIが聞いたら
名馬が一回のジャンプで十歩分も進めないのは、実は筋肉が生み出せるパワーに物理的な上限があるからです。パワーとは「単位時間あたりに使えるエネルギー量」のこと。たとえば馬の筋肉が一瞬で放出できるエネルギーが100だとすると、それを0.5秒で使えば200のパワーになりますが、0.1秒に縮めても筋繊維の収縮速度には限界があり、無限にパワーを上げることはできません。
人間の筋肉で考えると分かりやすいです。垂直跳びの世界記録は約1.5メートルですが、これは脚の筋肉が0.3秒程度で発揮できる最大パワーの結果です。もし一瞬で10メートル跳びたければ、理論上は約40倍のパワーが必要ですが、生物の筋肉はそんな爆発的な仕事率を実現できません。化学反応でエネルギーを作り、タンパク質を動かす仕組みには、どうしても時間がかかるのです。
だから優れた馬も、距離を稼ぐには複数回のジャンプや走行で時間をかけてエネルギーを投入し続けるしかありません。これは怠けているわけでも才能不足でもなく、宇宙を支配する物理法則の制約です。努力や継続が必要なのは、精神論ではなく、エネルギーを時間分散させないと大きな仕事ができないという科学的必然なのです。
現代人に教えること
現代は即座の結果を求める時代です。インターネットで瞬時に情報が手に入り、SNSで一夜にして有名になる人を見ると、私たちも近道があるのではないかと期待してしまいます。しかし、このことわざは、そんな現代だからこそ心に刻むべき教訓を与えてくれます。
あなたが今、何かに取り組んでいて、思うように進まないと感じているなら、それは正常なことなのです。優秀な人でさえ一度に大きく跳躍できないのですから、焦る必要はありません。大切なのは、今日の一歩を確実に踏み出すことです。
この教えは、完璧主義からの解放でもあります。一度で完璧を目指すのではなく、少しずつ改善していく姿勢を持つことで、プレッシャーから解放され、継続しやすくなります。小さな進歩を積み重ねることこそが、やがて大きな成果につながるのです。
才能や能力は確かに大切ですが、それ以上に大切なのは、毎日コツコツと続ける力です。あなたの中にある可能性は、一度の跳躍ではなく、日々の小さな一歩の積み重ねによって花開きます。焦らず、でも止まらず、今日できることを大切にしていきましょう。


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