驥をして鼠を捕らしむの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

驥をして鼠を捕らしむの読み方

きをしてねずみをとらしむ

驥をして鼠を捕らしむの意味

このことわざは、優秀な人材を些細な仕事に使うのは無駄であるという意味を表しています。千里を走る名馬にネズミ捕りをさせても、その能力は発揮されません。それどころか、本来活躍すべき場所で力を発揮できないという損失が生まれてしまいます。

組織や社会において、能力の高い人材を単純作業や誰にでもできる仕事に配置してしまう愚かさを戒める言葉です。その人の才能や専門性を理解せず、不適切な役割を与えることは、本人にとっても組織にとっても大きな損失となります。

現代でも、高度な専門知識を持つ人材が雑務に追われたり、経験豊富な人が単純作業ばかりさせられたりする状況を批判する際に使われます。人材を活かすも殺すも、使う側の見識次第。このことわざは、適材適所の重要性を鮮やかな対比で教えてくれるのです。

由来・語源

このことわざは、中国の古典に由来すると考えられています。「驥」とは一日に千里を走るとされる名馬のことで、古来より優れた才能の象徴として使われてきました。

言葉の構造を見ると、「驥をして」は「名馬に」、「鼠を捕らしむ」は「ネズミを捕らせる」という意味です。千里を駆ける名馬に、わざわざネズミ捕りという小さな仕事をさせる。この対比の鮮やかさが、このことわざの核心です。

中国では古くから、人材の適材適所を重視する思想がありました。特に儒教の影響下では、優れた人物を正しく用いることが為政者の重要な資質とされていました。名馬は戦場で活躍させ、ネズミ捕りは猫に任せる。それぞれの能力を最大限に活かすことこそが、組織や国を繁栄させる道だという考え方です。

日本には漢籍とともに伝わったと推測され、江戸時代の文献にもこの表現が見られます。武士の教養として漢学が重視された時代背景の中で、人材登用の戒めとして広く知られるようになったと考えられています。名馬という誰もが理解できる具体的なイメージを用いることで、抽象的な人材論を分かりやすく伝える知恵が、ここには込められているのです。

豆知識

このことわざに登場する「驥」という漢字は、日常ではほとんど使われない珍しい文字です。しかし中国の古典では、優れた人材を表す比喩として頻繁に用いられてきました。「老驥伏櫪」という言葉もあり、これは「老いた名馬も厩舎に伏していても、なお千里を走る志を持つ」という意味で、年を重ねても衰えない志を表現しています。

名馬が一日に千里(約4000キロメートル)を走るというのは、もちろん誇張表現です。しかしこの途方もない数字が、並外れた能力を象徴する言葉として、人々の想像力に訴えかける力を持っていたのです。

使用例

  • 博士号を持つ彼に書類整理ばかりさせるなんて、驥をして鼠を捕らしむようなものだ
  • せっかくの優秀なエンジニアをヘルプデスク業務に回すのは、驥をして鼠を捕らしむで会社の損失だよ

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた背景には、人間社会における深い真理があります。それは、能力と役割のミスマッチが、個人の不幸と社会の損失を同時に生み出すという現実です。

人はそれぞれ異なる才能を持って生まれてきます。ある人は大きな構想を描く力に優れ、ある人は細部に気を配る能力に長けています。しかし、その違いを見抜けない、あるいは見抜こうとしない人々が、常に存在してきました。時には嫉妬から、時には無理解から、優れた人材を不適切な場所に置いてしまう。

興味深いのは、このことわざが「名馬は不幸だ」とは言っていない点です。むしろ「無駄だ」と表現しています。つまり、損をするのは名馬を使う側なのです。才能を活かせない環境に置かれた人は、やがて別の場所を求めて去っていきます。残された組織は、本来得られたはずの成果を永遠に失うことになります。

先人たちは見抜いていました。人材を適切に配置できる能力こそが、リーダーの真価を決めると。そして、それができない組織は、どれほど優秀な人材を集めても、決して繁栄しないという真実を。このことわざは、人を見る目の重要性という、時代を超えた知恵を私たちに伝え続けているのです。

AIが聞いたら

駿馬に鼠を捕らせる行為を熱力学で考えると、驚くべき構造が見えてくる。駿馬という存在は、長距離を高速で走るために筋肉、心肺機能、神経系が最適化された「低エントロピー状態のシステム」だ。つまり、特定の目的に向けて高度に秩序化されている。

ところが鼠捕りという仕事は、狭い空間での瞬発力と小回りが必要で、駿馬の能力とは全く異なる秩序を要求する。ここで重要なのは、駿馬の持つ「走る能力」というエネルギーポテンシャルは、鼠捕りに使われた瞬間に熱として散逸してしまうという点だ。たとえば、精密なレーザー装置で釘を打つようなもので、本来なら微細加工という高度な仕事ができたはずのエネルギーが、単純な打撃という低次元の仕事で無秩序に拡散する。

熱力学第二法則が教えるのは、エネルギーは自然と無秩序な方向へ流れ、一度散逸したら二度と元には戻らないということだ。駿馬の一日は取り戻せない。その日使われなかった「千里を走る能力」は、永遠に失われる。これは単なる非効率ではなく、宇宙の法則に反した不可逆的な損失なのだ。

人材配置の失敗は、物理学的には「利用可能なエネルギーの不可逆的な減少」として記述できる。組織が衰退する本質は、まさにこのエントロピー増大にある。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、自分自身の才能を正しく理解し、それを活かせる場所を選ぶ勇気の大切さです。もしあなたが今、自分の能力を十分に発揮できていないと感じているなら、それは環境が間違っているのかもしれません。

同時に、人を育てる立場にある人には、相手の才能を見抜く目を養うことの重要性を教えてくれます。部下や後輩の本当の強みは何か。その人が最も輝ける場所はどこか。それを考えることが、チームや組織を成長させる鍵となります。

大切なのは、すべての仕事に優劣があるわけではないという理解です。ネズミ捕りも必要な仕事です。ただ、それは名馬の仕事ではないというだけのこと。誰もが自分に合った役割で輝けるとき、社会全体が豊かになります。

あなたの才能は何ですか。それを活かせる場所で、あなたは輝いていますか。このことわざは、自分の可能性を信じ、適切な場所を見つける勇気を、私たちに与えてくれるのです。

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