驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば之に及ぶの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば之に及ぶの読み方

きはいちじつにしてせんりなるも、どばもじゅうがすればこれにおよぶ

驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば之に及ぶの意味

このことわざは、才能に恵まれた人が短期間で成し遂げる成果も、才能がない人でも継続的に努力を重ねれば同じ結果に到達できるという意味です。名馬が一日で千里を走る姿は確かに素晴らしいものですが、それは一時的な成果に過ぎません。対して、足の遅い馬でも十日間休まず走り続ければ、最終的には同じ千里という距離に達することができるのです。

このことわざは、才能の差に落胆している人を励ます場面や、地道な努力の価値を伝えたい時に使われます。また、短期的な成果だけで物事を判断することの危うさを示す際にも用いられます。現代社会では、即座の結果や華々かな成功が注目されがちですが、このことわざは継続することの力を教えてくれます。才能がないと感じても、諦めずに続けることで、才能ある人と同じ地点に立てるという希望を与えてくれる言葉なのです。

由来・語源

このことわざは、中国の古典に由来すると考えられています。「驥」とは一日に千里を走る名馬のことで、「駑馬」は足の遅い凡庸な馬を指します。「十駕」は十日間走り続けることを意味しています。

古代中国では、馬は移動手段として極めて重要な存在でした。特に優れた馬は、その速さゆえに高い価値を持ち、権力者や武将たちに珍重されました。一日で千里もの距離を走る名馬は、まさに天賦の才能の象徴だったのです。

一方で、足の遅い馬でも、休まず十日間走り続けることができれば、結局は名馬が一日で到達する距離と同じ千里に達することができます。この対比が、このことわざの核心となっています。

この表現は、才能と努力の関係を馬の速さという具体的なイメージで示したものと言えるでしょう。古代の人々は、日々馬を見ながら、人間社会における才能の差と、それを補う継続の力について深く考えていたのかもしれません。一瞬の輝きと、地道な積み重ねという対照的な二つの道を、誰もが理解できる馬の例えで表現したところに、このことわざの巧みさがあります。

豆知識

このことわざに登場する「千里」という距離は、中国の古い単位で約四百キロメートルに相当します。これは現代で言えば、東京から大阪までの直線距離とほぼ同じです。古代の人々にとって、この距離を一日で走破する馬がいかに驚異的な存在だったかが想像できますね。

「駑馬」という言葉は、単に足が遅いだけでなく、才能に恵まれない凡庸な存在全般を指す比喩として、古くから使われてきました。しかし、このことわざでは、その駑馬こそが主役となっています。才能がないとされる存在が、継続という武器によって名馬に並ぶという逆転の構図が、多くの人々の心を捉えてきたのでしょう。

使用例

  • 彼は天才型じゃないけど、驥は一日にして千里なるも駑馬も十駕すれば之に及ぶというから、毎日コツコツ続けていれば必ず追いつける
  • 才能がないと嘆くより、驥は一日にして千里なるも駑馬も十駕すれば之に及ぶの精神で地道に積み重ねていこう

普遍的知恵

このことわざが何百年も語り継がれてきたのは、人間社会における永遠のテーマ、才能と努力の関係を見事に捉えているからでしょう。

人は誰しも、自分より優れた才能を持つ人を目の当たりにして、無力感を覚えた経験があるはずです。あの人は生まれつき恵まれている、自分にはあんな才能はない。そんな思いに打ちのめされそうになる瞬間は、時代が変わっても変わらない人間の普遍的な感情です。

しかし、先人たちは気づいていました。一瞬の輝きと、長い時間をかけた積み重ねを同じ土俵で比べることの意味を。才能ある者の一日の成果は確かに目を見張るものがあります。でも、それは一日限りのものです。一方、才能に恵まれない者でも、十日、百日、千日と続けることができれば、最終的には同じ場所に立つことができる。これは単なる慰めではなく、時間という誰にでも平等に与えられた資源の使い方についての深い洞察なのです。

このことわざが教えているのは、人生は短距離走ではなく長距離走だということです。瞬間的な才能の差は確かに存在しますが、人生という長い道のりにおいては、継続する力こそが最も価値ある才能なのかもしれません。

AIが聞いたら

このことわざの本質は、単純な足し算ではなく掛け算の世界にあります。駑馬が十回走るとき、実は毎回同じ距離を走っているわけではありません。一回目の走りで得た経験が二回目の効率を上げ、二回目の学びが三回目をさらに改善する。これは銀行の複利と同じ構造です。元本に利息がつき、その利息にまた利息がつく。たとえば年利5パーセントなら、100万円は20年後に265万円になります。単利なら200万円ですから、この差が継続の魔法です。

駿馬の千里は確かに圧倒的です。しかし数学的に見ると、これは「初期値が大きいだけ」の一次関数に過ぎません。一方、駑馬の十駕に1.1倍の改善率が隠れていたらどうでしょう。10回繰り返せば1.1の10乗で約2.6倍になります。初期値が10分の1でも、継続による成長率が掛け算で効いてくれば追いつける計算です。

さらに興味深いのは、ある時点で突然質が変わる現象です。水を熱し続けても99度までは液体ですが、100度で気体に変わる。これを相転移と呼びます。駑馬も999回目まで凡庸でも、1000回目に何かが繋がって別次元の走りになる可能性がある。AIの学習でも、大量のデータを与え続けると突然精度が跳ね上がる瞬間があります。継続は足し算ではなく、臨界点を超えるための蓄積なのです。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、比較の軸を変える勇気です。SNSで誰かの華々しい成功を見て落ち込んだ経験はありませんか。でも、その一瞬の輝きと、あなたの積み重ねてきた日々を、同じ時間軸で比べる必要はないのです。

今の時代、即座の結果が求められ、すぐに成果が出ないと価値がないかのように感じてしまいます。しかし、本当に大切なのは、今日も明日も、その先も続けられるかどうかです。才能がないと感じても、それは単にスタート地点が違うだけ。ゴールまでの道のりが少し長いだけなのです。

大切なのは、自分のペースを見つけることです。名馬のように一日で千里を走る必要はありません。あなたには、十日かけて千里に到達する道があります。その道を歩み続ける勇気を持ってください。継続することそのものが、あなただけの才能になっていくのですから。焦らず、比べず、ただ自分の歩みを信じて進んでいきましょう。

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