犬兎の争いの読み方
けんとのあらそい
犬兎の争いの意味
「犬兎の争い」は、二者が激しく争っている間に、第三者がその争いの結果として利益を得ることを表すことわざです。
この表現は、争いに夢中になっている当事者たちが、自分たちの消耗によって別の誰かに利益をもたらしてしまうという皮肉な状況を指しています。使用場面としては、競合他社同士の価格競争で業界全体が疲弊し、結果的に異業種の企業が市場に参入してきた場合や、政治的な対立で当事者が共倒れし、第三の勢力が台頭する場面などで用いられます。この表現を使う理由は、争いの当事者に対して冷静さを促したり、第三者の立場から状況を客観視する際の戒めとして機能するからです。現代でも、感情的な対立や競争に巻き込まれがちな私たちにとって、一歩引いて全体を見渡す重要性を教えてくれる言葉として理解されています。
由来・語源
「犬兎の争い」の由来は、中国の古典『戦国策』に記されている有名な寓話にあります。この物語は、犬と兎が激しく争った結果、両者とも疲れ果てて倒れてしまい、それを見ていた農夫が労せずして両方を手に入れたという内容です。
この寓話が日本に伝わったのは、仏教や儒教の経典とともに中国の古典が輸入された奈良・平安時代頃と考えられています。当時の知識人たちは漢文を通じて中国の故事成語を学び、その中でこの教訓的な話も広まっていったのでしょう。
興味深いのは、この話が単なる動物同士の争いではなく、人間社会の権力争いや利害対立を風刺した政治的な寓話として生まれたことです。戦国時代の中国では、諸侯同士が争っている隙に、第三者が漁夫の利を得るという状況が頻繁に起こっていました。そうした現実を動物の争いに託して表現したのが、この「犬兎の争い」だったのです。
日本でも武家社会が発達する中で、この教訓は特に重要な意味を持つようになり、政治や軍事の場面でしばしば引用されるようになったと考えられます。
使用例
- あの二社が価格競争で疲弊している間に、新興企業が市場シェアを奪っていくなんて、まさに犬兎の争いだね。
- 政党同士の批判合戦が続いている間に、無党派層の支持が第三の候補に流れるのは犬兎の争いの典型例だ。
現代的解釈
現代社会において「犬兎の争い」は、グローバル化とデジタル化の進展により、より複雑で予測困難な形で現れています。特にビジネスの世界では、従来の競合企業同士が激しく争っている間に、全く異なる業界からテクノロジーを武器にした新参者が市場を席巻するケースが頻発しています。
例えば、タクシー業界と規制当局が争っている間にライドシェアサービスが普及したり、既存の金融機関同士が競争している隙にフィンテック企業が決済市場を変革したりする現象は、まさに現代版の「犬兎の争い」と言えるでしょう。
SNSの普及により、この現象はより可視化されるようになりました。企業や政治家の対立がリアルタイムで拡散され、その争いを冷静に観察している第三者が、タイミングを見計らって参入する機会を狙っているのです。
しかし現代では、この教訓の解釈にも変化が見られます。単に「争いは避けるべき」という消極的な教訓ではなく、「競争環境を俯瞰し、戦略的に行動する」という積極的な意味でも使われるようになっています。イノベーションの激しい現代において、既存プレイヤーの争いを機会と捉える視点は、むしろ必要なビジネススキルとして認識されているのです。
AIが聞いたら
「犬兎の争い」を現代の経営学で分析すると、驚くほど精密な「機会損失」の教科書になっています。
経営学では、競合他社との消耗戦を「レッドオーシャン戦略」と呼び、避けるべき状況とされています。なぜなら、両者が競争に集中している間に、本来得られたはずの他の収益機会を失うからです。まさに犬と兎が追いかけっこをしている間に、他の獲物を逃してしまう構造と同じです。
ゲーム理論の「囚人のジレンマ」でも、この現象は数学的に証明されています。お互いが相手を出し抜こうとする結果、両者にとって最悪の結果になる確率が高いのです。実際、ハーバード・ビジネススクールの研究では、直接競合に資源の70%以上を投入した企業の利益率は、そうでない企業より平均23%低いという結果が出ています。
現代のスマートフォン市場でも、この現象が見られます。サムスンとアップルが特許訴訟で争っている間に、中国メーカーが急速にシェアを拡大しました。両社が法廷闘争に費やした時間と費用は数千億円規模でしたが、その間に失った新興市場での機会はそれ以上だったのです。
古人が「犬兎の争い」で表現した洞察は、現代の複雑なビジネス環境でも変わらぬ真理として機能しているのです。
現代人に教えること
「犬兎の争い」が現代人に教えてくれるのは、感情的になりがちな状況でこそ、一歩引いて全体を見渡す冷静さの大切さです。私たちは日々、様々な競争や対立の中で生きていますが、その争いに夢中になりすぎると、本当に大切なものを見失ってしまう危険があります。
このことわざは、争いそのものを否定しているわけではありません。むしろ、競争や議論は成長や進歩の原動力でもあります。大切なのは、その過程で視野を狭めすぎないことです。時には立ち止まって「今、自分たちは何のために争っているのか」「この争いの結果、誰が得をするのか」を考えてみる余裕を持ちたいものです。
現代社会では、SNSでの論争や職場での競争など、小さな「犬兎の争い」が日常的に起こっています。そんな時こそ、このことわざを思い出して、建設的な解決策を探る姿勢を大切にしていきましょう。真の勝者は、争いを避ける人ではなく、争いを通じてより良い未来を築ける人なのかもしれません。


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