兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐの読み方
けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ
兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐの意味
このことわざは、身内同士では些細なことで争ったり対立したりしていても、外部から攻撃や侮辱を受けたときには、内部の争いを忘れて一致団結して立ち向かうという人間の本質的な行動パターンを表しています。
家族や組織の中では、日常的に意見の対立や利害の衝突が起こるものです。しかし、外からの脅威や批判に直面したとき、人は自然と内部の違いを乗り越えて結束します。これは、より大きな共同体への帰属意識が、内部の小さな対立よりも優先されるためです。
現代でも、企業内の部署間の対立、家族間のいさかい、地域コミュニティ内の意見の相違など、様々な場面でこの原理が働いています。普段は反目し合っている者同士でも、共通の敵や危機に直面すると協力し合う姿は、今も昔も変わらない人間社会の特徴なのです。
由来・語源
このことわざは、中国の古典『詩経』の一節に由来すると考えられています。『詩経』は紀元前11世紀から紀元前6世紀頃にかけて編纂された中国最古の詩集で、その中の「小雅」という部分に「兄弟牆に鬩ぐ」という表現が見られます。
「牆」は「かき」と読み、垣根や壁を意味します。つまり、家の垣根の内側、すなわち家庭内という意味です。「鬩ぐ」は争う、いがみ合うという意味を持ちます。そして「外その務りを禦ぐ」の「務り」は侮りや侮辱を指し、「禦ぐ」は防ぐという意味です。
この言葉が生まれた背景には、古代中国の家族制度や氏族社会の在り方が深く関わっていると推測されます。当時は血縁による結びつきが社会の基本単位であり、一族の団結が生存に直結していました。家の中では財産や地位をめぐって兄弟が対立することもありましたが、外部からの脅威に対しては、内部の対立を一時的に棚上げして共同で立ち向かう必要があったのです。
日本には古くから漢籍として伝わり、武家社会でも重要な教訓として受け継がれてきたと考えられています。
豆知識
このことわざに登場する「牆」という漢字は、現代の日本語ではほとんど使われない珍しい文字です。「垣」や「壁」と同じ意味を持ちますが、特に土や石で作られた塀を指すことが多く、家の内と外を明確に区切る境界としての象徴的な意味を持っています。この「牆」という字の選択自体が、内部と外部の明確な区別という、このことわざの核心的なメッセージを強調しているのです。
「鬩ぐ」という動詞も現代ではあまり使われませんが、単なる争いではなく、同等の力を持つ者同士が激しく対立し合う様子を表現する言葉です。兄弟という対等な関係性だからこそ使われる、非常に適切な表現だと言えるでしょう。
使用例
- 普段は対立している部署同士だが、他社との競争となれば兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐで一致団結するものだ
- 姉妹でいつも喧嘩ばかりだけど、友達が妹を馬鹿にしたときは兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐという感じで一緒に怒ったよ
普遍的知恵
このことわざが示しているのは、人間の帰属意識の階層構造という普遍的な真理です。私たちは同時に複数の集団に属しています。家族、職場、地域、国家といった様々なレベルの共同体の一員なのです。そして興味深いことに、より大きな脅威に直面したとき、人は自動的により広い範囲での連帯を選択します。
この行動パターンは、人類が長い進化の過程で獲得してきた生存戦略だと考えられます。小さな集団内での競争は、資源の配分や地位の確立に必要です。しかし、集団そのものの存続が脅かされたとき、内部の競争を続けていては全員が滅びてしまいます。だからこそ、外部からの脅威という状況が、自動的に内部の結束スイッチを入れるのです。
この知恵が何千年も語り継がれてきたのは、それが単なる理想論ではなく、実際に繰り返し観察される人間の本質的な行動だからです。家族の絆、組織の団結力、国民の愛国心といった概念の根底には、すべてこの原理が働いています。人は対立しながらも、より大きな危機の前では手を取り合える存在なのです。この二面性こそが、人間社会を複雑にしながらも、同時に強靭なものにしているのでしょう。
AIが聞いたら
兄弟が内部で争いながらも外敵には協力するこの行動は、ゲーム理論の「繰り返し囚人のジレンマ」で驚くほど合理的だと証明できます。ポイントは「繰り返し」という部分です。一回限りのゲームなら裏切りが得ですが、何度も顔を合わせる関係では話が変わります。
アクセルロッドという研究者が行った有名なコンピュータ対戦実験では、最も高得点を獲得したのは「しっぺ返し戦略」でした。これは相手が協力すれば協力し、裏切れば裏切り返すというシンプルなルールです。兄弟関係はまさにこの繰り返しゲームそのもので、日常的な小競り合いでは互いに譲らず競争しますが、外部からの脅威という大きな裏切りに対しては、血縁集団全体で協力して対抗する方が長期的な利益が大きいのです。
興味深いのは、この戦略が成立する条件です。数学的には「将来の利益の割引率」が重要で、次回の対戦が十分高い確率で起こるなら協力が最適解になります。兄弟は物理的に近い距離にいて将来も関わり続ける確率が極めて高いため、この条件を完璧に満たします。つまり血縁集団は、協力戦略が進化的に安定する理想的な環境なのです。
企業グループ内の競争と外部企業への対抗も同じ構造です。系列企業同士は内部で激しく競いながら、海外企業の参入には一致団結します。これは感情ではなく、繰り返しゲームの数学的帰結なのです。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、対立と協力は決して矛盾しないということです。職場で意見が合わない同僚、価値観の違う家族、考え方が異なる仲間。日常的な摩擦や対立は、実は健全な関係の証でもあります。それぞれが自分の考えを持ち、主張し合うからこそ、組織や関係性は成長していくのです。
大切なのは、内部の対立を恐れすぎないことです。意見の違いがあっても、本当に大切なときには団結できるという信頼関係があれば、普段の議論はむしろ建設的なものになります。逆に、表面的な調和ばかりを求めて本音を言い合えない関係は、いざというときに脆いものです。
現代社会では、家族、職場、地域、国といった様々なレベルでの帰属意識が問われています。このことわざは、それぞれのレベルで健全な議論をしながらも、より大きな危機には共に立ち向かうという、柔軟で強靭な関係性の在り方を示しています。あなたの周りの人との小さな対立を恐れず、同時により大きな絆を信じること。それが、このことわざが現代に生きる私たちに贈るメッセージなのです。


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