難きを先にして獲るを後にすの読み方
かたきをさきにしてうるをのちにす
難きを先にして獲るを後にすの意味
このことわざは、困難な仕事や大変な役割を自ら進んで引き受け、利益や報酬を得ることは後回しにするという生き方を表しています。つまり、楽な仕事を選んで報酬だけを求めるのではなく、まず苦労を買って出て、成果や見返りは最後に受け取るという姿勢です。
この言葉が使われるのは、リーダーシップや責任感について語る場面が多いでしょう。組織やチームを率いる立場にある人、あるいはそうした立場を目指す人に対して、理想的な態度を示す際に用いられます。現代でも、部下に厳しい仕事を押し付けて自分は楽をするような上司ではなく、率先して困難に取り組み、成果は部下と分かち合うような人物こそが真のリーダーだという考え方は変わりません。この表現を使う理由は、目先の利益にとらわれず、長期的な信頼や尊敬を得ることの大切さを伝えるためです。
由来・語源
このことわざは、中国の古典『論語』の「先難後獲」という言葉に由来すると考えられています。『論語』の雍也篇には、孔子が弟子の仲弓に対して理想的な人物像を語る場面があり、そこで「先難後獲」という表現が登場します。
孔子の時代、紀元前5世紀頃の中国では、社会の混乱が続き、多くの人々が目先の利益を追い求める風潮がありました。そんな中で孔子は、真に優れた人物とは困難な仕事を率先して引き受け、報酬や名誉を後回しにする者だと説いたのです。これは単なる自己犠牲の精神ではなく、リーダーとしての資質や徳を備えた人間のあり方を示したものと解釈されています。
日本には古くから儒教思想が伝わり、武士階級を中心に『論語』の教えが広く学ばれました。「先難後獲」という四字の漢語が日本語として読み下され、「難きを先にして獲るを後にす」という形で定着したと考えられます。江戸時代の教育においても、この言葉は指導者や責任ある立場の者が持つべき心構えとして重視されてきました。言葉の構造からも、困難に立ち向かう勇気と、私利私欲を抑える自制心という、二つの徳目を同時に表現していることが分かります。
使用例
- 新しいプロジェクトで、彼は難きを先にして獲るを後にすの精神で、誰もやりたがらない基礎調査を率先して引き受けた
- チームリーダーなら難きを先にして獲るを後にすべきで、成功したら部下を褒め、失敗したら自分が責任を取るものだ
普遍的知恵
人間には本能的に、楽な道を選び、苦労は避けたいという欲求があります。そして利益や報酬は、できるだけ早く、できるだけ多く手に入れたいと願うものです。これは生存本能として当然のことでしょう。しかし、このことわざが何千年も語り継がれてきたのは、人間社会がそうした本能だけでは成り立たないという真実を示しているからです。
組織や共同体の中で、誰もが楽な仕事と多くの報酬を求めたらどうなるでしょうか。困難な仕事は誰も引き受けず、利益の奪い合いが起こり、やがて組織は崩壊します。だからこそ、困難を先に引き受け、利益を後回しにする人物が必要なのです。そしてそうした人物こそが、最終的には最も深い信頼と尊敬を得るという逆説があります。
この言葉が教えているのは、短期的な損得計算を超えた人間関係の本質です。人は計算高く振る舞う者よりも、自己犠牲を厭わない者に心を動かされます。リーダーが率先して困難に立ち向かう姿を見たとき、人々は自然とその後に続こうとするものです。これは人間の心に深く刻まれた、変わることのない反応なのです。先人たちは、真のリーダーシップとは権力や地位ではなく、この「難きを先にする」姿勢から生まれることを見抜いていました。
AIが聞いたら
人間の脳は未来の報酬を計算するとき、面白い癖を持っています。今日もらえる1万円と1年後の1万円では、同じ金額なのに今日の方が価値が高く感じられる。これを時間割引と呼びます。特に人間は直近の報酬を極端に重視し、少し先になると急激に価値を低く見積もる「双曲割引」という傾向があります。たとえば今日の100円と明日の110円なら今日を選ぶのに、100日後の100円と101日後の110円なら後者を選ぶ。時間の間隔は同じ1日なのに判断が変わるのです。
このことわざが示す「難しいことを先にする」という行動は、まさにこの本能に逆らう戦略です。ゲーム理論の逆向き帰納法では、ゴールから逆算して各段階の最適行動を決めます。チェスの名人が終盤の勝利形から逆に考えて序盤の一手を選ぶように、最終的な大きな獲得物を得るには、今この瞬間に困難を引き受けるべきだと計算できます。
興味深いのは、困難を先送りにすると選択肢が時間とともに減っていく点です。難題は放置するほど複雑化し、解決コストが指数関数的に増大します。つまり「難しいことの先送り」は、実は将来の自分に利子付きの借金を負わせているのと同じ。逆向き帰納法で考えれば、困難の総量を最小化するには早期着手が合理的です。このことわざは人間の認知バイアスを見抜き、数学的に正しい時間戦略を言語化した知恵なのです。
現代人に教えること
現代社会では、効率や成果が重視され、いかに楽に早く結果を出すかが評価される傾向があります。しかし、このことわざは私たちに別の価値観を思い出させてくれます。それは、真の信頼は困難を共に乗り越える過程で生まれるということです。
あなたが職場で新しいプロジェクトに直面したとき、誰もやりたがらない地味な作業を率先して引き受けてみてください。すぐに評価されなくても、その姿勢は必ず周囲の目に留まります。学校や家庭でも同じです。面倒な役割を避けずに引き受けることで、あなたは単なる能力以上のもの、つまり人間としての器の大きさを示すことができるのです。
大切なのは、これを計算ずくでやらないことです。見返りを期待して困難を引き受けるのでは、結局は「獲るを先にする」のと同じになってしまいます。純粋に、今やるべきことをやる。その積み重ねが、気づいたときにはあなたの周りに信頼という財産を築いているでしょう。現代だからこそ、この古い知恵が新鮮な輝きを放つのです。


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