比近説ばざれば修遠を務むる無かれの読み方
ひきんせつばざればしゅうえんをつとむるなかれ
比近説ばざれば修遠を務むる無かれの意味
このことわざは、身近な人や物事を大切にしない者が、遠くのことばかりに気を取られるべきではないという戒めを表しています。まず足元の人間関係をしっかりと固めることの重要性を説いているのです。
使用場面としては、家族や身近な友人をないがしろにしながら、遠方の人脈作りや大きな目標ばかりを追い求めている人に対して使われます。また、地元や身の回りの問題を放置したまま、遠大な理想を語る人への忠告としても用いられるでしょう。
現代では、SNSで遠くの人とつながることに夢中になりながら、隣にいる家族との会話が減っている状況や、グローバルな活動を志しながら地域社会への貢献を怠っている姿勢などに当てはまります。このことわざは、物事には順序があり、基礎を固めてこそ遠くまで届く力が生まれるという真理を教えてくれているのです。
由来・語源
このことわざは、中国の古典的な思想、特に儒教の教えに影響を受けていると考えられています。「比近」とは身近なもの、近しいものを指し、「説ぶ」は親しむ、大切にするという意味です。「修遠」は遠方を修める、つまり遠くのことに心を砕くことを表しています。
儒教では「修身斉家治国平天下」という言葉があり、まず自分自身を修め、次に家を整え、それから国を治め、最後に天下を平和にするという段階的な秩序を説いています。この思想と「比近説ばざれば修遠を務むる無かれ」は深く通じるものがあると言えるでしょう。
言葉の構造を見ると、「ざれば〜無かれ」という古典的な否定の形式が使われており、かなり古い時代の日本で形成されたことわざであることが分かります。おそらく江戸時代以前、漢文の素養を持つ知識人の間で使われ始めたと推測されます。
この表現が生まれた背景には、人間が持つ「遠くのものを美化し、身近なものを軽視する」という普遍的な傾向への戒めがあったと考えられています。足元を固めずに大きなことを成そうとする人への警告として、長く語り継がれてきたのでしょう。
使用例
- 海外展開を考える前に、比近説ばざれば修遠を務むる無かれというように、まずは地元の顧客を大切にすべきだ
- 新しい友達を作ることばかり考えているけれど、比近説ばざれば修遠を務むる無かれで、今いる仲間との関係をもっと深めないとな
普遍的知恵
人間には不思議な性質があります。それは、手の届くところにあるものの価値を見落とし、遠くにあるものを過大に評価してしまう傾向です。なぜ私たちはこのような行動を取るのでしょうか。
心理学的に見れば、身近なものは「いつでも手に入る」という錯覚を生み、その価値を当たり前のものとして軽視してしまいます。一方で、遠くにあるもの、まだ手に入れていないものは、想像の中で美化され、実際以上に魅力的に映るのです。これは人間の欲望のメカニズムそのものと言えるでしょう。
しかし、先人たちはこの人間の性を深く理解していました。どんな立派な建物も、基礎が弱ければ崩れてしまいます。どんな遠くへの旅も、最初の一歩から始まります。身近な人間関係という土台がなければ、遠大な目標は砂上の楼閣に過ぎないのです。
このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間が何度も同じ過ちを繰り返してきたからに他なりません。新しい時代が来るたびに、人々は遠くの輝かしいものに目を奪われ、足元をおろそかにしてきました。そして失敗してから、ようやく身近なものの大切さに気づくのです。この普遍的な人間の弱さを、先人たちは見抜いていたのですね。
AIが聞いたら
複雑系科学では、システム全体の性質は部分の単純な足し算では説明できない。これを「創発」と呼ぶ。たとえば、一つの蟻は単純な行動しかしないのに、集団になると驚くほど効率的な道を作り出す。これは各蟻が目の前の仕事(近き)を積み重ねた結果、予測できなかった全体の秩序(遠き)が生まれる現象だ。
興味深いのは、このプロセスを飛ばして結果だけ真似しようとしても機能しない点だ。フラクタル図形を思い浮かべてほしい。海岸線の形は、10メートルで見ても1キロメートルで見ても似た複雑さを持つ。これをスケール不変性という。つまり、小さなスケールでの構造が大きなスケールの性質を決定している。途中の段階を省略すると、この構造自体が形成されない。
バタフライ効果も同様だ。初期条件のわずかな違いが、後に巨大な差を生む。近くの一歩一歩が、実は遠くの結果に非線形的に影響している。だから「近道」は存在しない。各段階での微細な調整や学習が、次の段階の土台となり、それが積み重なって初めて、遠い目標という創発的な成果が現れる。古人は経験的に、複雑系の自己組織化原理を見抜いていたのだ。
現代人に教えること
現代社会では、テクノロジーの発達によって物理的な距離の意味が変わりました。しかし、だからこそこのことわざの教えは一層重要になっています。
あなたがもし大きな夢を持っているなら、それは素晴らしいことです。でも、その夢への階段は、今あなたの隣にいる人との関係から始まっているのです。家族との食卓での会話、同僚との何気ない雑談、地域の小さな活動への参加。これらは決して夢への遠回りではありません。むしろ、あなたという人間の根を深く張り、嵐が来ても倒れない強さを育てる栄養なのです。
実践的には、まず今日から始められることがあります。スマートフォンを置いて、目の前にいる人の話に耳を傾けてみてください。遠くの誰かへのメッセージを書く前に、隣の席の人に声をかけてみてください。グローバルな課題について考える前に、自分の住む街の小さな問題に目を向けてみてください。
これは決して視野を狭めることではありません。本当の広がりは、確かな中心から生まれるのです。あなたの足元が固まったとき、あなたはどこまでも遠くへ行けるようになるでしょう。

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