始めあるものは必ず終わりありの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

始めあるものは必ず終わりありの読み方

はじめあるものはかならずおわりあり

始めあるものは必ず終わりありの意味

このことわざは、始まったものは必ず終わりがあるという、世の中の避けられない摂理を表しています。どんなに素晴らしいことも、どんなに辛いことも、永遠に続くものはないという真理を示しているのです。

使われる場面は主に二つあります。一つは、良いことが続いているときに、いつかは終わりが来ることを心に留めておくべきだという戒めとして。もう一つは、苦しい状況にある人に対して、今の辛さも必ず終わりが来るという慰めや励ましとして使われます。

現代では、プロジェクトの完了、人間関係の変化、人生の節目など、様々な場面でこの言葉が引用されます。永遠に続くものはないという認識は、物事に執着しすぎず、変化を受け入れる心の準備を促してくれます。同時に、今この瞬間を大切にしようという気持ちも生まれてくるのです。

由来・語源

このことわざの由来については、仏教思想、特に「諸行無常」の教えとの関連が指摘されています。仏教では、この世のあらゆる現象は生まれては滅び、始まっては終わるという無常の理を説いており、この考え方が日本人の世界観に深く浸透していったと考えられています。

平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節は、まさにこの思想を象徴的に表現したものとして知られています。栄華を極めた平家一門の盛衰を描いたこの物語は、始まりがあれば必ず終わりが訪れるという真理を、歴史的事実を通して示しています。

また、中国の古典思想にも同様の考え方が見られます。老子の思想には「有無相生」という概念があり、始まりと終わり、生と死が対をなして存在するという世界観が示されています。こうした東洋思想全般に共通する循環的な時間観念が、このことわざの背景にあると言えるでしょう。

言葉の構造自体も非常にシンプルで、「始め」と「終わり」という対概念を「あるもの」という普遍的な主語で結びつけることで、例外のない絶対的な真理として表現されています。この簡潔さが、長く人々の心に残る理由の一つとなっているのでしょう。

使用例

  • この幸せな日々も始めあるものは必ず終わりありだから、今を大切に過ごそう
  • 辛い受験勉強も始めあるものは必ず終わりありだと思えば、もう少し頑張れる

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた理由は、人間が本質的に「永遠」を求めながらも、それが叶わない存在だからでしょう。私たちは幸せな瞬間を永遠に続けたいと願い、苦しみからは一刻も早く解放されたいと望みます。しかし現実は、どちらも必ず終わりを迎えるのです。

この真理を受け入れることは、実は人間にとって非常に難しいことです。愛する人との別れ、栄光の終焉、青春の終わり。私たちはしばしば、終わりを認めたくないという気持ちから、現実から目を背けてしまいます。逆に、苦しみの最中にいるときは、この状態が永遠に続くような絶望感に襲われることもあります。

しかし先人たちは、この避けられない真理を直視することこそが、人生を豊かに生きる知恵だと気づいていました。終わりがあるからこそ、今この瞬間が貴重なのです。永遠に続くものなら、私たちはその価値を感じることができないでしょう。

さらに深く考えれば、終わりは新しい始まりでもあります。一つの章が閉じることで、次の章が開かれる。この循環こそが人生の本質であり、変化を恐れず受け入れる勇気を、このことわざは静かに教えてくれているのです。人間は変化する存在であり、その変化の中にこそ成長があるという普遍的な真理が、ここには込められています。

AIが聞いたら

部屋を片付けても放っておくと必ず散らかります。これは単なる怠け者の問題ではなく、宇宙の根本法則である熱力学第二法則が働いているからです。この法則は「エントロピー、つまり無秩序さは必ず増大する」と宣言しています。

きれいに整頓された部屋は、実は極めて不自然な状態です。本が本棚に並び、服がタンスに収まっている状態は、数えきれない配置パターンの中のたった一つの特殊な状態にすぎません。一方、散らかった部屋には無数の配置パターンがあります。確率的に考えれば、物は圧倒的に散らかる方向に向かうのが自然なのです。コーヒーカップを落とせば割れますが、床に散らばった破片が自然に元のカップに戻ることは絶対にありません。

このことわざの本質は、始まりとは意図的にエネルギーを注ぎ込んで作った低エントロピー状態だということです。新しい建物、新品の機械、若い生命体、どれも高度に組織化された特殊な状態です。しかし宇宙の法則は容赦なく、これらを平凡な高エントロピー状態へ押し戻します。終わりは選択肢ではなく、物理法則が保証する必然なのです。時間が一方向にしか流れないのも、このエントロピー増大が理由です。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、変化を恐れず、今を大切に生きる姿勢です。SNSで他人の華やかな生活を見て焦ったり、自分の幸せがいつまでも続くと過信したりすることがありますが、全てには終わりがあるという事実を知っていれば、もっと冷静に人生を見つめられるでしょう。

特に現代社会では、終わりを受け入れる勇気が求められています。転職、引っ越し、人間関係の変化。私たちは人生の中で何度も「終わり」を経験します。それを失敗や喪失としてだけ捉えるのではなく、次の始まりへの準備期間として前向きに受け止めることができれば、人生はもっと軽やかになります。

同時に、辛い時期にある人には大きな希望を与えてくれます。今の苦しみは永遠ではありません。必ず終わりが来ます。その確信があれば、もう少し頑張れる力が湧いてくるはずです。

そして何より、このことわざは「今」の価値を教えてくれます。終わりがあるからこそ、今この瞬間が輝くのです。大切な人との時間、夢中になれる仕事、心から笑える瞬間。それらを当たり前だと思わず、一つ一つを味わって生きていく。それこそが、このことわざが私たちに贈る最大の贈り物なのです。

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