後光より台座が高つくの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

後光より台座が高つくの読み方

ごこうよりだいざがたかつく

後光より台座が高つくの意味

このことわざは、本体より付属品や装飾の方が高価になってしまうことを表しています。本来、主役であるべきものよりも、それを引き立てるための脇役や付属物の方が費用がかかってしまう状況を指すのです。

たとえば、絵画を飾るために購入した額縁の方が絵そのものより高価だったり、パソコン本体よりも周辺機器やソフトウェアにお金がかかったりする場合に使われます。また、結婚式で引き出物や装飾に莫大な費用をかけた結果、肝心の新婚生活の準備資金が足りなくなるような状況も、このことわざで表現できます。

このことわざを使う理由は、本末転倒な状況を皮肉や自嘲を込めて表現するためです。主客が逆転してしまった状況に対する驚きや、ちょっとした苦笑いを含んだ指摘として用いられます。現代でも、物事の優先順位が狂ってしまった場面で、このことわざは的確に状況を言い表す表現として機能しています。

由来・語源

このことわざの由来は、仏像の構造から生まれたと考えられています。仏像は本体である仏様の背後に後光(光背)があり、その下に台座があるという三層構造になっています。後光は仏様の神聖さを表す重要な装飾であり、本来は仏像全体の中でも特別な意味を持つ部分です。

ところが、実際に仏像を制作する際、台座に豪華な装飾を施したり、高価な材料を使ったりすることで、後光よりも台座の方が費用がかかってしまうことがあったようです。台座は仏像を支える土台ですから、安定性や耐久性を考えると、しっかりとした造りが求められます。そこに職人の技術や高級な素材が投入されると、どうしても費用が膨らんでしまうのです。

本来、仏像において最も神聖で重要なのは仏様本体であり、後光はその神々しさを表現する装飾です。しかし実際には、それを支える台座の方が高価になってしまうという逆転現象が起きる。この矛盾した状況が、人々の目に印象的に映り、ことわざとして定着したと考えられています。仏教文化が深く根付いた日本ならではの表現と言えるでしょう。

豆知識

仏像の台座には蓮華座という蓮の花をかたどったものが多く使われますが、これは単なる装飾ではなく、泥の中から美しい花を咲かせる蓮が、煩悩の世界から悟りへと至る仏教の理想を象徴しているためです。そのため台座にも深い意味が込められており、職人たちは台座の制作にも手を抜かなかったのです。

後光(光背)には火焔光背、舟形光背、宝珠形光背など様々な形式があり、それぞれに意味があります。しかし実際の制作では、後光は薄い板状の構造で済むことが多いのに対し、台座は仏像全体の重量を支える必要があるため、構造的にも材料的にもコストがかかりやすい部分でした。

使用例

  • 新しいスマホを買ったら、ケースや保護フィルム、充電器などの付属品で結局本体と同じくらい使ってしまって、まさに後光より台座が高つくだよ
  • 車を買ったのはいいけれど、カーナビやドライブレコーダー、タイヤ交換と、後光より台座が高つく状態で貯金が底をついた

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた背景には、人間の価値判断の難しさという普遍的なテーマがあります。私たちは何かを手に入れようとするとき、つい本体だけに目を奪われがちです。しかし実際には、それを支えるもの、守るもの、引き立てるものにこそ、予想以上の労力や費用がかかるものなのです。

この逆転現象は、決して無駄や失敗を意味するわけではありません。むしろ、本当に大切なものを守り、活かすためには、それを支える基盤こそが重要だという真理を示しています。仏像において台座がしっかりしていなければ、どんなに美しい仏様も安定して立つことができません。見えない部分、地味な部分にこそ、実は本質的な価値があるのです。

人は目に見える華やかなものに惹かれます。しかし、その華やかさを支えているのは、目立たない土台の部分です。このことわざは、表面的な価値と本質的な価値の関係について、先人たちが見抜いていた深い洞察を伝えています。主役を輝かせるために脇役が必要であり、その脇役にこそ真の価値がある。そんな人生の真実を、このことわざは静かに教えてくれているのです。

AIが聞いたら

仏像の後光を輝かせるには、実は台座に膨大なエネルギーを注ぎ込む必要があります。これは熱力学第二法則が示す宇宙の基本原理そのものです。

熱力学第二法則とは、簡単に言えば「秩序あるものを維持するには、必ずどこかで無秩序が増える」という法則です。たとえば冷蔵庫は中を冷たく保ちますが、その代わり背面から大量の熱を放出します。部屋全体で見れば、むしろ熱が増えているのです。つまり局所的な秩序(冷たさ)を作るには、全体としてのコスト(熱の放出)が必ず上回るという仕組みです。

仏像で考えてみましょう。後光という「目に見える秩序」を安定して維持するには、台座という「目に見えない基盤」に、後光以上のエネルギーを投入しなければなりません。不安定な台座では後光はすぐに傾き、秩序が崩壊します。物理法則として、上部の構造を支えるには下部により大きな安定性が必要で、これには必然的にコストがかかるのです。

企業の広告費と基盤システム、スマホの美しい画面と巨大なデータセンター。私たちが目にする洗練された「秩序」の裏側には、必ずそれ以上の「維持コスト」が隠れています。このことわざは、宇宙を支配する物理法則を、仏像という身近な例で直感的に表現していたのです。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、物事の真のコストを見極める目を持つことの大切さです。何かを始めるとき、表面的な価格だけでなく、それを維持し、活かすために必要なすべてを視野に入れる。そんな全体を見渡す視点が、今こそ求められています。

同時に、このことわざは「支えるもの」への敬意も教えてくれます。華やかな主役の陰には、必ず地道に支える存在があります。それは人間関係でも同じです。表舞台に立つ人を支えるスタッフ、家族を支える日々の家事、組織を支える事務作業。目立たないけれど、なくてはならない役割があります。

あなたが何かに投資するとき、本体だけでなく、それを支える基盤にも目を向けてみてください。そして、自分自身が誰かの「台座」として支える立場にあるなら、その役割に誇りを持ってください。主役を輝かせる土台こそが、実は最も価値ある存在なのですから。

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