碁打ちに時なしの読み方
ごうちにときなし
碁打ちに時なしの意味
「碁打ちに時なし」とは、何かに夢中になると時間を忘れてしまうという意味です。囲碁を打つ人が対局に没頭するあまり、時間の経過に気づかなくなる様子から生まれた表現ですが、囲碁に限らず、あらゆる物事に熱中している状態を指して使われます。
このことわざが使われるのは、誰かが趣味や仕事、勉強などに深く集中している場面です。気がついたら何時間も経っていた、食事の時間を過ぎていた、約束の時間に遅れそうになったなど、時間感覚を失うほどの没入状態を表現する際に用いられます。
現代でも、好きなゲームをしていたら朝になっていた、読書に夢中で電車を乗り過ごした、プログラミングに集中していたら終電を逃したなど、多くの人が経験する状態を言い表すことわざとして理解されています。時間を忘れるほど何かに打ち込める対象があることは、ある意味で幸せなことでもあるのです。
由来・語源
このことわざの由来については、明確な文献上の初出は定かではありませんが、囲碁という遊戯の特性と深く結びついていると考えられています。
囲碁は中国で生まれ、日本には奈良時代には伝わっていたとされる知的な遊戯です。盤上に黒と白の石を交互に置き、陣地の広さを競うこのゲームは、一手一手が深い思考を要求します。局面が複雑になればなるほど、次の一手を考える時間は長くなり、対局者は盤面に没入していきます。
江戸時代には囲碁は武士や町人の間で広く親しまれ、碁会所と呼ばれる場所で人々が集まって対局を楽しんでいました。そこでは朝から始めた対局が夕方まで続くことも珍しくなく、食事の時間も忘れて打ち続ける姿がよく見られたといいます。
「碁打ちに時なし」という表現は、こうした囲碁に熱中する人々の様子を観察する中で生まれたと推測されます。「時なし」とは時間の感覚がなくなることを意味し、碁を打つ人が時の経過を忘れるほど夢中になる様子を端的に表現しています。囲碁という具体的な遊戯を例に挙げることで、何かに没頭する人間の普遍的な姿を捉えたことわざとして定着していったのでしょう。
豆知識
囲碁の対局時間は驚くほど長くなることがあります。プロの公式戦では持ち時間が一人8時間という対局もあり、二日間にわたって行われることも珍しくありません。アマチュアでも真剣な対局になると数時間は当たり前で、江戸時代の記録には一局が三日三晩続いたという逸話も残されています。
囲碁には「読み」と呼ばれる先を予測する思考があり、熟練者になると何十手も先まで頭の中で石を置いていきます。この深い思考状態に入ると、周囲の音が聞こえなくなったり、空腹感すら感じなくなったりすることがあるそうです。脳科学的には、高度な集中状態では時間を司る脳の部位の活動が抑制されることが分かっており、まさに「時なし」の状態が科学的にも説明できるのです。
使用例
- 息子はプラモデル作りに夢中で、碁打ちに時なしとはこのことだ
- 彼女は小説を書き始めると碁打ちに時なしで、声をかけても気づかない
普遍的知恵
「碁打ちに時なし」ということわざは、人間が持つ没入という能力の素晴らしさを教えてくれます。時間を忘れるほど何かに集中できるというのは、実は人間だけが持つ特別な才能なのです。
私たちの祖先は、この没入する力によって文明を築いてきました。石器を作るにも、火を起こすにも、深い集中力が必要でした。時間を忘れて一つのことに打ち込める人がいたからこそ、技術は磨かれ、芸術は生まれ、学問は発展してきたのです。
しかし同時に、このことわざは人間の弱さも映し出しています。夢中になりすぎて大切なことを忘れてしまう。約束を破ってしまう。健康を損なってしまう。没入は諸刃の剣なのです。
それでも先人たちは、この「時を忘れる」という現象を否定的にだけ捉えませんでした。むしろ、それほどまでに心を奪われる対象があることの豊かさを認めていたのではないでしょうか。人生において、時間を忘れるほど夢中になれるものに出会えることは、実は幸運なことなのです。
このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間の本質として、私たちは何かに没頭したいという欲求を持っているからでしょう。時を忘れて何かに打ち込む瞬間こそ、人が最も生き生きとしている瞬間なのかもしれません。
AIが聞いたら
囲碁に夢中になると時間を忘れるのは、脳の中で時計係と作業係が交代するからです。普段、私たちの前頭前皮質という部分が「今何時かな」「あとどれくらいかな」と時間を監視しています。ところが深い集中状態に入ると、この監視役の活動が急激に落ちるのです。
代わりに活発になるのが島皮質という部分です。ここは「今この瞬間」の感覚処理に特化した領域で、碁石を置く手の感触、盤面のパターン認識、次の一手の計算といった「現在進行形の情報」だけを扱います。心理学者チクセントミハイが名付けたフロー状態では、脳のエネルギー配分が劇的に変わり、時間追跡という未来や過去に関わる機能が文字通りオフになるわけです。
興味深いのは、この状態では主観的な時間の流れが実際の時間の5分の1から10分の1になるという実験結果です。つまり1時間が6分から12分に感じられる。囲碁打ちが「え、もう3時間も経ったの?」と驚くのは、比喩ではなく脳の計測システムが本当に止まっていたからなのです。
このメカニズムは囲碁だけでなく、プログラミングや絵画制作など、高度な認知活動すべてに共通します。人間の脳は複数のことを同時処理できないため、深く考える時は時間感覚を犠牲にする設計になっているのです。
現代人に教えること
このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、時を忘れるほど夢中になれるものを持つことの大切さです。効率や生産性ばかりが叫ばれる今の社会で、時間を忘れて何かに没頭する経験は、実は心の健康にとって欠かせないものなのです。
あなたには、時を忘れるほど好きなことがありますか。それは趣味でも、学びでも、創作活動でも構いません。そうした対象を持つことは、人生を豊かにしてくれます。ただし、このことわざは同時に注意も促しています。没頭しすぎて周りが見えなくならないように、時には意識的に時計を見ることも必要です。
現代社会では、SNSやゲームなど、意図的に人を没入させるように設計されたものが溢れています。大切なのは、受動的な没入ではなく、能動的な没入を選ぶことです。自分の成長につながるもの、創造的なもの、人とのつながりを深めるものに時を忘れて打ち込めたなら、それは決して無駄な時間ではありません。
時を忘れるほどの情熱を持ちながら、同時に時間を大切にする。この両立こそが、このことわざが現代のあなたに贈る知恵なのです。


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