燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやの読み方
えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやの意味
このことわざは、小さな志しか持たない人には、大きな志を抱く人の気持ちは理解できないという意味です。
燕や雀のような小鳥には、鴻や鵠といった大型の鳥が大空高く舞い上がろうとする志は分からないように、器の小さな人や目先のことしか考えない人には、遠大な理想や高い目標を持つ人の心境は理解できないということを表しています。この表現は、自分の志が周囲に理解されない時や、大きな目標に向かって努力している人が、批判や無理解に直面した際に使われます。また、志の高い人が、自分を理解しない人々に対して心の中で思う気持ちを表現する場合にも用いられます。現代でも、革新的なアイデアや大胆な挑戦をする人が、保守的な考えの人々から理解を得られない状況でよく使われるでしょう。
由来・語源
このことわざは、中国の史記に記載されている陳勝の言葉が由来とされています。陳勝は秦の時代末期の農民出身の反乱指導者で、後に中国初の農民蜂起である陳勝・呉広の乱を起こした人物です。
史記によると、陳勝は若い頃から大きな志を抱いていましたが、周囲の人々には理解されませんでした。そんな時に発したのが「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉だったのです。燕や雀といった小さな鳥には、鴻や鵠という大きな鳥が持つ高い志は理解できないだろう、という意味で使われました。
この言葉は、身分の低い者が高い理想を語っても、周囲から理解されない状況を表現したものとして記録されています。日本には中国の古典とともに伝わり、志の高さと周囲の理解の差を表すことわざとして定着しました。特に江戸時代以降、武士階級の間で教養として親しまれ、明治時代には立身出世を目指す人々の間でよく引用されるようになったとされています。
豆知識
このことわざに関する豆知識を私は知りません。
使用例
- 起業の話をしても同僚には燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやで、全く理解してもらえない
- 彼の壮大な研究計画を笑う人たちを見て、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやだなと思った
現代的解釈
現代社会では、このことわざの解釈に微妙な変化が生まれています。情報化社会において、多様な価値観や生き方が認められるようになった今、「大きな志」の定義自体が変わってきているのです。
従来は立身出世や社会的地位の向上が「鴻鵠の志」とされがちでしたが、現代では環境保護、社会貢献、ワークライフバランスの追求など、より多様な理想が「高い志」として認識されています。SNSの普及により、個人の志や夢を発信しやすくなった一方で、批判や無理解にさらされる機会も増えました。
また、現代では「理解されない」ことの意味も複層化しています。単純に能力や器の問題ではなく、世代間のギャップ、価値観の多様化、専門分野の細分化などが理解の壁となることが多いのです。特にテクノロジー分野では、革新的なアイデアが最初は理解されにくいものの、後に社会を大きく変える例が数多く見られます。
一方で、このことわざが持つ「上から目線」的な響きに対する批判も生まれています。志の違いを単純に優劣で判断するのではなく、それぞれの価値観を尊重する姿勢が重要視される現代において、使い方には注意が必要でしょう。
AIが聞いたら
燕雀が群れで行動し短距離移動する「安定志向」の鳥であるのに対し、鴻鵠(白鳥)が単独で数千キロの渡りをする「冒険志向」の鳥である生物学的事実は、人間の志の違いが単なる優劣ではなく、生存戦略そのものの根本的相違であることを示し、「理解されない志」の孤独さと必然性を科学的に裏付けている。
燕は一日の行動範囲がわずか数キロで、群れを作って餌を分け合う。つまり「みんなで安全に生きる」戦略だ。一方、白鳥は年間8000キロもの渡りを行い、しばしば単独で未知のルートを開拓する。この違いは脳の構造にも現れている。
興味深いのは、白鳥の脳には「磁気コンパス」機能があることだ。地球の磁場を感知して方向を決める特殊な細胞が発達している。つまり、遠大な志を持つ生物は、文字通り「普通とは違う感覚器官」を持っているのだ。
さらに驚くべきは、白鳥が渡りの途中で群れから離れても、ストレスホルモンが増加しないという研究結果だ。燕なら群れを失えば生存率が激減するが、白鳥は孤独に強い生理構造を持つ。
これは人間の志にも当てはまる。大きな志を持つ人が周囲に理解されず孤独になるのは、単なる不運ではない。それは「未知の領域を切り開く」という生物学的使命を背負った者の、避けられない宿命なのかもしれない。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、志の大小よりも、むしろ「理解し合うことの大切さ」かもしれません。確かに大きな夢を持つことは素晴らしいことです。しかし同時に、自分とは違う価値観を持つ人を「燕雀」と決めつけてしまう危険性も含んでいます。
本当に大切なのは、お互いの立場や考え方を尊重しながら、建設的な対話を心がけることでしょう。あなたの志が理解されない時は、相手を見下すのではなく、どうすれば伝わるかを考えてみてください。そして逆に、理解できない夢を語る人がいた時は、その背景にある思いに耳を傾けてみてください。
現代社会では、一人ひとりが異なる「鴻鵠の志」を持っています。それぞれの志が輝けるよう、お互いを支え合える関係性を築いていくことが、このことわざから学べる現代的な教訓なのではないでしょうか。理解されない孤独感を乗り越えて、共に成長していける社会を目指したいものですね。


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