出物腫れ物所嫌わずの読み方
でものはれものところきらわず
出物腫れ物所嫌わずの意味
このことわざは「思わぬ出来事や困ったことは、時と場所を選ばずに起こるものだ」という意味です。
人生では予期しないトラブルや問題が、最も都合の悪いタイミングや場所で発生することがよくありますよね。大切な会議の前日に体調を崩したり、忙しい時期に限って機械が故障したり、楽しい旅行中に予想外のアクシデントが起こったりします。
このことわざは、そうした不都合な出来事を「出物腫れ物」という身体的な症状に例えて表現しています。できものや腫れ物が体のどこにでも突然現れるように、人生の困りごとも私たちの都合を考慮してくれません。むしろ一番困る時に限って起こるものです。
この表現を使う理由は、そうした現実を受け入れ、心の準備をしておくためです。「仕方がないこと」として諦めの気持ちを込めて使われることが多く、現代でも突発的なトラブルに見舞われた時の心境を表す言葉として理解されています。
由来・語源
このことわざの由来は、江戸時代の庶民の生活実態から生まれたと考えられています。「出物」とは当時、腫れ物や皮膚病などの病気を指す言葉でした。現代でいう「できもの」の語源でもありますね。
江戸時代は医療技術が未発達で、皮膚病や腫れ物は非常に身近な病気でした。これらの病気は体のどこにでも突然現れるもので、人の意志や希望とは関係なく発症します。顔にできれば人目につきやすく恥ずかしいし、手足にできれば日常生活に支障をきたします。しかし病気は場所を選んでくれません。
この自然現象を観察した人々が、「病気が体の場所を選ばないように、世の中には場所や状況を選ばずに起こることがある」という教訓を込めて、このことわざを作ったのでしょう。
特に江戸時代の町人文化の中で、商売や人間関係において「思わぬことが起こる」「予期しないことは避けられない」という現実を表現する言葉として定着していったと推測されます。医学的な観察から生まれた、実に日本人らしい実用的なことわざといえるでしょう。
豆知識
江戸時代の「出物」には、現代でいう湿疹や吹き出物だけでなく、天然痘による発疹も含まれていました。天然痘は当時「疱瘡(ほうそう)」と呼ばれ、子どもの死因の上位を占める恐ろしい病気でしたが、一度かかって生き延びれば免疫ができるため「出物」として扱われていたのです。
このことわざの「所嫌わず」という表現は、現代語の「場所を選ばない」よりもさらに広い意味を持っています。場所だけでなく、身分や立場、時期なども含めて「一切の区別をしない」という強いニュアンスが込められているのです。
使用例
- せっかくの結婚式なのに雨が降るなんて、出物腫れ物所嫌わずだね
- 大事なプレゼンの日に限って電車が遅延するとは、まさに出物腫れ物所嫌わずだ
現代的解釈
現代社会では、このことわざの意味がより複雑になっています。情報化社会の発達により、多くのリスクが予測可能になった一方で、新たな種類の「予期しない出来事」が生まれているからです。
システム障害やサイバー攻撃、SNSでの炎上など、デジタル時代特有のトラブルは、まさに「所嫌わず」発生します。オンライン会議中の通信トラブルや、重要なデータの突然の消失など、現代人が経験する予期しない困りごとは、江戸時代の人々が想像もできなかったものでしょう。
また、グローバル化により、遠く離れた国の出来事が私たちの生活に直接影響を与えることも増えました。パンデミックや国際情勢の変化、サプライチェーンの混乱など、個人ではコントロールできない大きな変化が「所嫌わず」私たちの日常を変えてしまいます。
一方で、現代では「リスク管理」や「危機管理」という概念が発達し、多くの人が予期しない出来事への備えを重視するようになりました。保険制度の充実やBCP(事業継続計画)の策定など、「出物腫れ物」への対策も進歩しています。
しかし、どれだけ準備をしても完全に予測できない出来事は存在し続けます。このことわざは、そうした現実を受け入れる心構えの大切さを、現代でも私たちに教えてくれているのです。
AIが聞いたら
江戸時代の人々が「出物腫れ物」に群がる心理と、現代のSNS炎上に人が集まる現象は、驚くほど似ている。どちらも「普通じゃないもの」への強烈な好奇心が原動力だ。
心理学の研究によると、人間は「ネガティビティ・バイアス」という本能を持っている。つまり、良いニュースより悪いニュースに強く反応してしまう性質だ。たとえば、Twitterで炎上している投稿は、普通の投稿の約6倍も拡散されやすいという調査結果がある。
興味深いのは、江戸時代の「見世物小屋」と現代の「炎上動画」が同じ構造を持っていることだ。どちらも「見てはいけないような気がするけど、つい見てしまう」という禁忌への憧れを刺激する。
さらに驚くべきは、この「見たくなる心理」が生存本能と関係していることだ。人間の祖先は、異常な出来事や危険な情報をいち早くキャッチすることで生き延びてきた。つまり、炎上投稿をつい覗いてしまうのは、太古から受け継がれた「情報収集本能」の現れなのだ。
スマホを持つ現代人も、江戸の町人も、本質的には同じ心理で動いている。技術は進歩したが、人間の好奇心の正体は何百年も変わっていない。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、「完璧なコントロールを求めすぎない生き方」の大切さです。
現代社会では、あらゆることを計画し、管理し、予測しようとする傾向が強くなっています。スケジュール管理アプリで分刻みに予定を立て、リスク分析で将来を見通そうとします。しかし、どれだけ準備をしても「所嫌わず」起こる出来事は必ずあります。
大切なのは、そうした予期しない出来事を「人生の一部」として受け入れる柔軟性を持つことです。計画が狂った時に過度にストレスを感じるのではなく、「出物腫れ物所嫌わず」と心の中でつぶやいて、状況に適応する力を育てていきましょう。
また、このことわざは私たちに「準備の大切さ」も教えてくれます。予期しない出来事は避けられないからこそ、心の準備や基本的な備えを怠らないことが重要なのです。
あなたの人生にも、きっと予想外の出来事が待っています。でもそれは、新しい発見や成長のチャンスでもあります。「所嫌わず」やってくる変化を、人生を豊かにする贈り物として受け取ってみてください。


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