出日拝む者はあっても、入り日拝む者なしの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

出日拝む者はあっても、入り日拝む者なしの読み方

でびはおがむものはあっても、いりびおがむものなし

出日拝む者はあっても、入り日拝む者なしの意味

このことわざは、勢いがあり栄えている時には多くの人が集まり従うけれど、衰退して力を失うと誰も寄り付かなくなるという、人間社会の冷徹な現実を表しています。

権力を持つ人や成功している人の周りには、自然と多くの人が集まってきます。助けを求める人、利益を得ようとする人、ただ強い者に従いたい人など、理由は様々ですが、その人が輝いている間は賑わいが絶えません。しかし、いったんその勢いが衰え始めると、人々は潮が引くように離れていってしまうのです。

このことわざは、栄枯盛衰における人間関係の移ろいやすさ、そして人の心の現実的な側面を指摘しています。批判的なニュアンスを含みながらも、これは人間社会の避けがたい性質として、冷静に観察した言葉なのです。

由来・語源

このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から興味深い考察ができます。

「出日」とは昇る朝日のことを指し、「入り日」は沈む夕日を意味します。古来より日本では、太陽は神聖なものとして崇められてきました。特に朝日は新しい一日の始まりを告げる希望の象徴として、多くの人々が手を合わせて拝む習慣がありました。一方、夕日は一日の終わりを告げるものであり、確かに美しいものの、わざわざ拝む対象とはされにくかったのです。

この自然現象における人々の行動パターンが、人間社会の本質を見事に表す比喩として使われるようになったと考えられています。権力者や成功者が勢いのある時には多くの人が集まり、頭を下げて従う様子は、まさに朝日を拝む人々の姿と重なります。しかし、その勢いが衰え、力を失っていく様子は、誰も振り返らない沈みゆく夕日のようだというわけです。

太陽の動きという誰もが目にする普遍的な現象を用いることで、人間社会の冷徹な現実を分かりやすく、そして印象深く伝えることに成功したことわざだと言えるでしょう。

豆知識

朝日を拝む習慣は日本だけでなく、世界中の多くの文化に見られます。太陽が東から昇る瞬間は、闇が光に変わる神秘的な時間として、古代から人々の心を捉えてきました。一方、夕日については美しさを愛でる文化は発達しましたが、宗教的に拝む習慣は朝日ほど一般的ではありません。この非対称性が、このことわざの説得力を高めているのです。

興味深いことに、権力者の栄枯盛衰を太陽の動きに例える表現は、日本以外の文化にも存在します。人間が太陽の動きから人生の教訓を読み取ることは、文化を超えた普遍的な知恵の表れと言えるでしょう。

使用例

  • あれほど慕われていた社長も引退したら誰も訪ねてこない、出日拝む者はあっても入り日拝む者なしとはよく言ったものだ
  • 人気絶頂の時はちやほやされたのに、今は誰も連絡してこない、出日拝む者はあっても入り日拝む者なしだね

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた理由は、人間の本質的な性質を鋭く突いているからです。私たちは理性では平等や義理を重んじるべきだと理解していても、感情や本能のレベルでは、強いものに引き寄せられ、弱いものから離れていく傾向があります。

なぜ人はこのような行動を取るのでしょうか。それは生存本能に根ざした合理的な判断だからです。勢いのある人や組織に近づくことで、自分も恩恵を受けられる可能性が高まります。逆に衰退していく相手に関わり続けることは、自分にとってもリスクになりかねません。この冷徹な計算は、意識的なものではなく、むしろ無意識のうちに働く人間の生存戦略なのです。

しかし、だからこそこのことわざには深い意味があります。人間のこうした性質を知ることで、私たちは二つの重要な教訓を得られます。一つは、自分が栄えている時の人気や支持を過信してはいけないということ。もう一つは、衰退していく人を見捨てる自分自身の心の動きに気づき、それでも義理や人情を貫くかどうかを意識的に選択できるということです。

先人たちは、この避けがたい人間の性を見抜きながらも、それを単に批判するのではなく、知恵として後世に伝えたのです。

AIが聞いたら

朝日を拝む人は多いのに夕日を拝む人が少ないのは、実は宇宙の根本法則と関係している。熱力学第二法則によれば、エントロピー、つまり無秩序さは時間とともに必ず増加する。コーヒーに入れたミルクは混ざるけれど、決して元に戻らない。この「時間の矢」は一方向にしか進まない。

人間の脳も同じ物理法則に従っている。私たちは記憶として過去を保存できるが、未来は予測するしかない。つまり、過去は情報量が多く確定的で、未来は情報量が少なく不確定だ。この非対称性が重要なのだ。朝日は「これから何が起きるか分からない」という高い情報エントロピーの状態を象徴する。対して夕日は「もう結果が出た」という低い情報エントロピーの状態だ。

情報理論では、不確定性が高いほど情報の価値は大きい。サイコロを振る前はワクワクするが、結果が出た後は興味が薄れる。人間が朝日に価値を感じるのは、脳が「未来の不確定性には投資する価値がある」と判断するからだ。これは生存戦略として合理的だ。過去を変えることはできないが、未来には介入できる。

つまり、私たちが朝日を拝むのは、単なる文化や習慣ではなく、時間が不可逆的に流れるという物理法則に脳が最適化された結果なのだ。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、人間関係における「真の価値」を見極める目を持つことの大切さです。

もしあなたが今、多くの人に囲まれ、順調な時期を過ごしているなら、その賑わいの中に本当の友や支援者がどれだけいるのか、冷静に見つめてみてください。同時に、今の成功を謙虚に受け止め、いつか訪れるかもしれない困難な時期に備えて、誠実な人間関係を大切に育てておくことが重要です。

逆に、もしあなたが誰かの衰退を目の当たりにしているなら、自分の心の動きを観察してみてください。離れていこうとする気持ちは自然なものですが、それでもなお手を差し伸べることができるかどうか。その選択が、あなた自身の人間としての深みを決めるのです。

そして最も大切なのは、人からの評価や支持に依存しすぎない自分の軸を持つことです。朝日も夕日も、人が拝もうが拝むまいが、変わらずに輝き続けています。あなたも同じように、周囲の反応に左右されない自分自身の価値を信じて生きていけたら、それこそが本当の強さではないでしょうか。

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