有りての厭い、亡くての偲びの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

有りての厭い、亡くての偲びの読み方

ありてのいとい、なくてのしのび

有りての厭い、亡くての偲びの意味

このことわざは、持っている時は嫌がり、失ってから懐かしむという、人間の矛盾した心理を表しています。手元にあるうちは、その存在を当たり前のものとして煩わしく感じたり、ありがたみを感じなかったりするのに、いざ失ってしまうと、その大切さに気づいて恋しく思い出すという状況を指します。

この表現は、物だけでなく、人間関係や環境、健康、時間など、あらゆるものに当てはまります。親の小言がうるさく感じられても、親元を離れてから懐かしく思い出す。毎日の平凡な日常が退屈に思えても、それが失われてから特別だったと気づく。そうした経験を言い表す時に使われます。このことわざは、人間が目の前にあるものの価値を正しく認識することの難しさを教えてくれる言葉なのです。

由来・語源

このことわざの明確な文献上の初出は定かではありませんが、言葉の構成から日本人の心情を表現した古い言い回しだと考えられています。「有りて」と「亡くて」という対照的な状態を並べ、「厭い」と「偲び」という相反する感情を対比させる構造は、日本語の美しい対句表現の伝統を受け継いでいます。

「厭い」という言葉は現代では「いとう」と読んで嫌悪の意味で使われますが、古くは「いとい」と読み、煩わしく思う、うるさく感じるという意味合いでした。一方の「偲び」は、失ったものを懐かしく思い出す、恋しく思うという意味です。この二つの感情は、人間の持つ矛盾した心理を見事に言い表しています。

おそらくこのことわざは、日常生活の中で繰り返される人々の経験から自然に生まれた表現でしょう。身近にあるものの価値に気づかず、失って初めてその大切さを知るという経験は、古今東西を問わず人間に共通するものです。特に日本では、無常観や移ろいゆくものへの感慨が文化の根底にあり、そうした感性がこのことわざを生み出す土壌となったと考えられています。

使用例

  • 実家にいた頃は親の世話が面倒だったのに、一人暮らしを始めたら恋しくなるなんて、まさに有りての厭い、亡くての偲びだな
  • 健康な時は何とも思わなかったけれど、風邪を引いて初めて普段の体調のありがたさが分かるのは、有りての厭い、亡くての偲びということか

普遍的知恵

このことわざが示しているのは、人間の認識能力の根本的な限界です。私たちは、常に存在するものの価値を正しく測ることができません。なぜなら、価値というものは比較によって初めて明確になるからです。光の価値は闇を経験して初めて分かり、健康の価値は病を経験して初めて実感できます。

この人間の性質は、進化の過程で培われたものかもしれません。生存のために、私たちの脳は変化や危機に敏感に反応するよう設計されています。日常的に存在するものは「安全」として背景に退き、意識の中心から外れていきます。これは効率的な生存戦略ではありますが、同時に、目の前にある幸福を見過ごす原因にもなっているのです。

先人たちは、この人間の本質を深く理解していました。だからこそ、このことわざを通じて警鐘を鳴らし続けてきたのでしょう。失ってから気づくのでは遅い。今あるものの価値を、今のうちに認識しなさい。そんなメッセージが込められています。このことわざが時代を超えて語り継がれてきたのは、人間のこの性質が決して変わることがないからです。どんなに文明が発達しても、私たちは相変わらず、手の中にある宝物を見落とし続けているのです。

AIが聞いたら

脳は同じ刺激が繰り返されると、その情報を「もう知っている」と判断して神経の反応を弱めていきます。これを馴化と呼びます。たとえば新しい香水の匂いは最初は強く感じますが、30分もすれば自分では気づかなくなります。脳が「変化のない情報」を自動的にフィルタリングして、エネルギーを節約しているのです。研究によれば、同じ刺激への神経応答は数分で最大70パーセントも減少することがわかっています。

興味深いのは、その刺激が消えた瞬間に起きる現象です。脳は常に「次に何が来るか」を予測していますが、予測が外れると予測エラーという信号が発生します。いつもあったものが突然なくなると、この予測エラーが扁桃体という感情の中枢を強く刺激します。つまり、存在していた時には抑制されていた神経活動が、不在によって一気に解放されるのです。

さらに海馬は過去の記憶を検索し始めます。「あれはどんな存在だったか」を再評価するプロセスが自動的に始まるのです。このとき、馴化によって薄れていた記憶が、予測エラーという強い信号とともに鮮明に蘇ります。つまり、飽きも懐かしさも、脳の情報処理システムが生み出す必然的な副産物なのです。感情ではなく、神経回路の仕組みそのものが、このことわざの真実を作り出しています。

現代人に教えること

このことわざが現代人に教えてくれるのは、意識的な感謝の実践です。私たちは放っておけば、自然と目の前にあるものを当たり前だと思ってしまいます。だからこそ、日々の中で立ち止まり、今あるものの価値を意識的に確認する習慣が必要なのです。

具体的には、毎日の小さな幸せをリストアップしてみることから始められます。朝起きられる健康、温かい食事、安心して眠れる場所、話せる相手。これらは失って初めて気づくものではなく、今この瞬間に感謝できるものです。スマートフォンのメモ機能を使って、一日一つでも「今日あってよかったもの」を記録してみてください。

また、大切な人との関係においても、この教訓は活きてきます。いつもそばにいる人への感謝を、失う前に伝えることができます。「いつでも言える」と思っていることほど、実は言えないまま時が過ぎていくものです。今日、あなたの周りにいる人に、小さな感謝の言葉をかけてみませんか。それは、未来の後悔を防ぐ最も確実な方法なのです。

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