逢えば五厘の損がいくの読み方
あえばごりんのそんがいく
逢えば五厘の損がいくの意味
「逢えば五厘の損がいく」とは、人と会うことで必ず何らかの出費や損失が生じるという意味です。どんなに親しい間柄でも、会えばお茶代や食事代、交通費、手土産など、大小さまざまな出費が発生します。
このことわざは、人付き合いの経済的側面を率直に表現しています。使用場面としては、頻繁な外出や人との約束を控えようとするとき、あるいは節約を心がけているときなどに用いられます。決して人付き合いを否定しているわけではなく、むしろ社会生活における現実的なコストを認識し、それを受け入れた上で人間関係を大切にしようという姿勢が込められています。
現代でも、友人とのランチ、取引先との接待、冠婚葬祭など、人と会うことには必ず何らかの出費が伴います。このことわざは、そうした社会的コストを当然のものとして受け止める、現実的な人生観を示しているのです。
由来・語源
このことわざの由来については、明確な文献上の記録は残されていないようですが、江戸時代の庶民の生活感覚から生まれた表現だと考えられています。
「五厘」という単位に注目してみましょう。江戸時代から明治時代にかけて、五厘は非常に小さな金額の単位でした。一厘は一銭の十分の一、五厘はその五倍ですから、本当にわずかな金額です。しかし、当時の庶民にとっては、この五厘すら無視できない価値を持っていました。
このことわざが興味深いのは、人と会うという行為に必ず経済的コストが伴うという、極めて現実的な観察に基づいている点です。友人と会えば茶代がかかり、知人と会えば手土産が必要になる。たとえ家で会っても茶菓子を出す必要があります。江戸時代の人々は、こうした社会的な付き合いにかかる細かな出費を、日々の暮らしの中で実感していたのでしょう。
「五厘」というごく少額を持ち出すことで、このことわざは皮肉や批判ではなく、むしろユーモアを含んだ人生の知恵として表現されています。人付き合いには必ずコストがかかるという現実を、笑いとともに受け入れる庶民の知恵が込められているのです。
使用例
- また友達と会う約束をしてしまったけど、逢えば五厘の損がいくから今月の小遣いがピンチだな
- 親戚の集まりは楽しいけれど、逢えば五厘の損がいくというから、お祝いやお土産の準備も考えないといけない
普遍的知恵
「逢えば五厘の損がいく」ということわざは、人間関係の本質的な特性を見事に言い当てています。それは、人とのつながりには必ずコストが伴うという真実です。
なぜこのことわざが生まれ、長く語り継がれてきたのでしょうか。それは、人間が社会的な生き物である以上、避けられない現実を表しているからです。私たちは一人では生きていけません。しかし、他者と関わりを持つことには、必ず何らかの代償が必要になります。それは金銭だけでなく、時間や労力、気遣いといった形でも現れます。
興味深いのは、このことわざが人付き合いを否定していない点です。むしろ「損がいく」と分かっていながらも、人は会うことを選び続けてきました。なぜなら、その損失を上回る価値が人との交わりにあることを、私たちは本能的に知っているからです。
先人たちは、人間関係における「与えること」の必然性を理解していました。何も差し出さずに関係を維持することはできません。しかし同時に、その小さな損失を受け入れることで得られる豊かさがあることも知っていたのです。このことわざには、人間社会の経済原理と、それでもなお人とつながろうとする人間の本質が凝縮されています。
AIが聞いたら
人が会うたびに「五厘の損」が生じるのは、情報理論で考えると、関係の状態数が減少していくプロセスだと捉えられます。つまり、会う前は相手の反応や関係の展開に無限の可能性があるのに、実際に会って情報を交換すると、その可能性が一つの現実に確定してしまうのです。
情報理論では、不確実性が高い状態ほどエントロピーが高く、確定すると低くなります。たとえば、コインを投げる前は表か裏か分からない状態で情報量は1ビットですが、投げた後は0ビットになります。人間関係も同じで、会うたびに「相手がどう思っているか」「関係がどう進むか」という不確実性が減り、具体的な情報に置き換わります。この情報の確定は元に戻せません。
興味深いのは、この確定プロセスが必ずしも望ましい結果を生まないことです。会う前の期待や想像は最良のシナリオを含む全ての可能性を保持していますが、実際に会えば平均的な現実に収束します。統計的に見れば、無限の可能性の平均値は、最良のケースより必ず低くなります。これが「損」の正体です。
さらに、一度確定した情報は記憶として蓄積し、次回以降の関係の自由度を制約します。過去の発言や態度との整合性を保つ必要が生じ、選択肢が狭まっていくのです。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、人間関係には必ずコストがかかるという現実を受け入れることの大切さです。SNSで簡単につながれる時代だからこそ、実際に会うことの価値を再認識する必要があります。
大切なのは、そのコストを惜しむべきか、投資すべきかを見極める判断力です。すべての人間関係に同じだけの時間とお金を使うことはできません。本当に大切にしたい関係には、喜んでコストを払う。そうでない関係は、無理に維持しようとしない。このメリハリが、充実した人間関係を築く鍵となります。
また、このことわざは「会うことの重み」を教えてくれます。気軽に会えないからこそ、一度の出会いを大切にする。わずかな出費を惜しまないからこそ、その時間に価値が生まれる。コストを意識することは、決してケチになることではなく、むしろ人との時間を大切にすることなのです。
あなたが誰かと会う約束をするとき、そこには必ず何らかの投資が伴います。でも、その投資が豊かな関係を育み、人生を彩ることを忘れないでください。
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