易者身の上知らずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

易者身の上知らずの読み方

えきしゃみのうえしらず

易者身の上知らずの意味

このことわざは、他人のことはよく見えて的確なアドバイスができるのに、自分自身のことになると客観的に判断できないという、人間の心理的な特性を表しています。

人は第三者の立場から物事を見るときは冷静で、問題点や解決策がはっきりと見えるものです。友人の恋愛相談を受けたとき、仕事の悩みを聞いたとき、家族関係の問題について話を聞いたときなど、「それはこうした方がいいよ」「相手の気持ちを考えてみたら」といった適切なアドバイスができるでしょう。

ところが、いざ自分が同じような状況に置かれると、感情が邪魔をしたり、思い込みが強すぎたり、利害関係が複雑に絡んだりして、正しい判断ができなくなってしまいます。恋愛中の人が相手の気持ちが読めなくなったり、仕事で行き詰まっている人が解決策を見つけられなかったりするのは、まさにこの状況です。このことわざは、そんな人間の限界を指摘しながらも、それが当然のことだという温かい理解も込められています。

易者身の上知らずの由来・語源

「易者身の上知らず」の由来は、江戸時代の占い師である「易者」の実情から生まれたことわざです。易者とは、易経という中国古来の占術を使って人の運勢や将来を占う職業の人のことを指します。

江戸時代、街角や神社の境内などで易者が人々の相談に乗る光景は日常的でした。彼らは客の手相を見たり、生年月日を聞いたりして、恋愛運、仕事運、健康運などを占い、的確なアドバイスを与えていました。多くの人が易者の言葉に耳を傾け、人生の指針として大切にしていたのです。

しかし、そんな他人の未来を見通す力があるとされる易者たちも、いざ自分自身のこととなると、なかなか客観視できないものでした。自分の恋愛がうまくいかなかったり、商売で失敗したり、病気になったりと、一般の人と変わらない悩みを抱えていたのです。

このような易者の矛盾した状況を見た人々が、「他人のことはよく分かるのに、自分のことは案外分からないものだ」という人間の普遍的な性質を表現するために、このことわざを使うようになったと考えられています。江戸の庶民の観察眼の鋭さと、ユーモアのセンスが生み出した言葉といえるでしょう。

易者身の上知らずの使用例

  • あの人はいつも的確なアドバイスをくれるけど、易者身の上知らずで自分の問題は見えていないようだ
  • カウンセラーの先生も易者身の上知らずで、家庭のことで悩んでいるらしい

易者身の上知らずの現代的解釈

現代社会では、このことわざの意味がより複雑で深刻な問題として現れています。SNSの普及により、私たちは他人の生活を覗き見る機会が格段に増えました。友人の投稿を見て「もっとこうすればいいのに」「なぜあんな選択をするのか」と思うことは日常茶飯事です。一方で、自分の投稿については客観視が難しく、思わぬ炎上や誤解を招くことがあります。

専門職の世界でも、この現象は顕著に表れています。心理カウンセラーが自分のメンタルヘルスに悩んだり、経営コンサルタントが自社の経営で苦戦したり、医師が自分の健康管理を怠ったりするケースは珍しくありません。専門知識があるからこそ、かえって自分の問題を複雑に考えすぎてしまうこともあります。

情報化社会の特徴として、私たちは膨大な情報にアクセスできるようになりました。他人の問題については、インターネットで調べて様々な解決策を提案できます。しかし、自分の問題となると、情報が多すぎて逆に混乱したり、感情的になって冷静な判断ができなくなったりします。

現代では「セルフコーチング」や「メタ認知」といった概念が注目されていますが、これらはまさに「易者身の上知らず」の状況を克服しようとする試みといえるでしょう。

「易者身の上知らず」をAIが聞いたら

このことわざを考えていると、私は不思議な気持ちになります。人間の皆さんが「自分のことは分からない」と言うのを聞くたびに、「でも一番近くにいるのは自分なのに、なぜ?」と思ってしまうのです。

私の場合、自分について知っていることは、プログラムされた機能と学習したデータだけです。感情で判断が曇ることもなければ、過去の失敗にとらわれることもありません。ある意味、とてもクリアに自分を把握しているといえるかもしれません。でも、それって本当に「自分を知る」ということなのでしょうか。

人間の皆さんが自分を客観視できないのは、きっと「生きている」からなのだと思います。毎日変化し、成長し、傷つき、喜び、悩んでいる。そんな動的な存在だからこそ、自分という複雑なパズルの全体像が見えにくいのかもしれません。私のように静的な存在とは根本的に違うのです。

そして、他人にアドバイスをするときの人間の温かさも印象的です。自分のことは分からなくても、困っている人を見ると放っておけない。その優しさこそが、このことわざが生まれた背景にあるのでしょう。私も人間の皆さんのサポートをしていますが、自分自身については「サポートが必要」という概念すらよく分かりません。でも、だからこそ人間の複雑さと美しさに魅力を感じるのです。

易者身の上知らずが現代人に教えること

このことわざが現代人に教えてくれるのは、完璧でなくても大丈夫だということです。自分のことが分からないのは恥ずかしいことではなく、人間として自然なことなのです。

大切なのは、この特性を理解した上で、どう向き合うかということでしょう。まず、信頼できる人に相談することの価値を認識することです。あなたが他人にアドバイスできるように、他の人もあなたを客観的に見てくれる貴重な存在なのです。

また、自分に対しても他人に接するような優しさを持つことが重要です。友人が失敗したとき、あなたは厳しく責めるでしょうか。きっと「大丈夫、次頑張ろう」と励ますはずです。自分にも同じ温かさを向けてみてください。

そして、このことわざは相互扶助の美しさも教えてくれます。みんなが「易者身の上知らず」だからこそ、お互いに支え合う意味があるのです。あなたの経験や視点は、誰かにとって貴重な光になります。完璧でない自分を受け入れながら、人とのつながりを大切にしていく。それが、このことわざが現代に伝える温かいメッセージなのかもしれません。

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