人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪うの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪うの読み方

ひとをもてあそべばとくをうしない、ものをもてあそべばこころざしをうしなう

人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪うの意味

このことわざは、人や物事に溺れると徳や志を失ってしまうという本来の意味を持っています。人をもてあそぶとは、他者を自分の楽しみや利益のための道具として扱うことです。そうした行為を続けると、人として大切にすべき品格や道徳心が失われていきます。また、物をもてあそぶとは、物質的な楽しみや贅沢品に心を奪われることを指します。高価な品々の収集や享楽に没頭すると、本来目指していた高い理想や目標を見失ってしまうのです。

このことわざは、地位のある人が権力を濫用したり、成功した人が物質的豊かさに溺れたりする場面で使われます。また、自分自身を戒める言葉としても用いられます。現代でも、人間関係を軽んじたり、物質的な満足ばかりを追い求めたりすることへの警告として、その意味は色褪せていません。

由来・語源

このことわざは、中国の古典『書経』の「旅獒(りょごう)」という章に由来すると考えられています。周の時代、西方の国から珍しい犬が献上された際に、召公という賢臣が王に向けて諫めた言葉として記されているという説が有力です。

「玩」という字には、もてあそぶ、楽しむという意味があります。ここでの「人を玩ぶ」とは、人を道具のように扱ったり、権力を使って人をもてあそんだりすることを指しています。「物を玩ぶ」は、物質的な楽しみや贅沢品に心を奪われることを意味します。そして「徳」は人としての品格や道徳心、「志」は目指すべき高い目標や理想を表しています。

古代中国では、為政者が贅沢や享楽に溺れることで国を滅ぼした例が数多くありました。珍しい宝物や美しい品々、あるいは人を意のままに操る快楽に心を奪われると、本来持っていた高潔な心や大きな志が失われていくという教訓が、この言葉には込められています。日本にも早くから伝わり、特に武士階級の間で、自らを戒める言葉として重んじられてきました。人や物に執着することの危険性を、簡潔でありながら深い洞察をもって表現した言葉なのです。

使用例

  • 最近、部下を自分の出世の道具としか見ていない自分に気づいた。人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪うというが、本当にその通りだ
  • ブランド品ばかり集めているうちに、起業したいという夢をすっかり忘れていた。人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪うとはこのことだね

普遍的知恵

人間には、手に入れたものを楽しみたいという自然な欲求があります。しかし、このことわざが何千年も語り継がれてきたのは、その欲求が持つ危険性を先人たちが深く理解していたからです。

人や物を「玩ぶ」状態とは、それらが目的ではなく手段になってしまった状態を指しています。人を道具として扱い始めると、相手の痛みや喜びが見えなくなります。すると、人として最も大切な共感する力や思いやりの心が徐々に失われていくのです。これが「徳を喪う」ということです。

同様に、物質的な楽しみに心を奪われると、日々の小さな満足が目的となり、かつて抱いていた大きな夢や理想がぼやけていきます。高級車を手に入れることが目標になり、その車で何を成し遂げたかったのかを忘れてしまう。これが「志を喪う」状態です。

興味深いのは、このことわざが「失う」ではなく「喪う」という字を使っている点です。喪うとは、大切なものが死んでしまうような深刻な喪失を意味します。徳や志は、一度失うと取り戻すのが極めて難しいのです。

人間は誰しも、目の前の快楽や所有の喜びに心を奪われやすい生き物です。だからこそ、本当に大切なものは何かを常に問い続ける必要がある。この普遍的な真理を、このことわざは教えてくれているのです。

AIが聞いたら

脳の報酬系は使えば使うほど強化される仕組みを持っている。人をからかったり物に夢中になったりすると、ドーパミンという快楽物質が放出される。問題はここからだ。この快楽回路は繰り返すほど神経結合が太く強固になり、逆に使わない回路は細く弱くなっていく。これが神経可塑性と呼ばれる脳の性質だ。

たとえばスマホゲームに没頭する人の脳を調べると、短期的な報酬に反応する神経回路が肥大化している。一方で長期的な目標達成に関わる前頭前野の活動は低下する。つまり「志」を実現するための我慢強さや計画性を司る回路が、物理的に萎縮してしまうのだ。研究では、即時報酬型の刺激を毎日2時間以上受けると、わずか8週間で前頭前野の灰白質密度が測定可能なレベルで減少することが分かっている。

人を見下して優越感を得る行為も同じ構造だ。他者への共感や信頼関係を築く神経回路よりも、短期的な快感回路ばかりが強化される。すると徳を積むために必要な、相手の立場で考える能力そのものが神経レベルで衰える。

このことわざの恐ろしさは、意志の弱さではなく脳の物理的変化を指摘していた点にある。玩ぶ行為は脳を文字通り作り変え、戻るには同じだけの時間と努力が必要になる。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、何を大切にするかという優先順位の問題です。SNSで「いいね」の数を追いかけることに夢中になったり、最新のガジェットを集めることが目的になったりしていませんか。それ自体は悪いことではありません。でも、そこに心を奪われすぎると、本当に大切なものが見えなくなってしまうのです。

人間関係においても同じです。相手を利用価値で判断したり、自分の都合のいいように扱ったりすることに慣れてしまうと、誰かと心から信頼し合う関係を築く力が失われていきます。

大切なのは、時々立ち止まって自分に問いかけることです。今、自分が追いかけているものは、本当に自分が望んでいたものだろうか。人として大切にしたい価値観を見失っていないだろうか。そう問いかける習慣を持つことで、あなたは自分の人生の主導権を取り戻すことができます。

物や快楽に振り回されるのではなく、それらを上手に楽しみながらも、自分の核となる価値観や目標を見失わない。そんなバランス感覚を持つことが、このことわざが現代を生きるあなたに贈るメッセージなのです。

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