始めて俑を作る者は其れ後なからんかの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

始めて俑を作る者は其れ後なからんかの読み方

はじめてよう(俑)をつくるものはそれのちなからんか

始めて俑を作る者は其れ後なからんかの意味

このことわざは、悪い先例を作った者は必ず報いを受けるという意味です。新しい悪習や好ましくない慣習を最初に始めた人は、その行為によって後世に悪影響を与えることになり、結果として自分自身も不幸な結果を招くという戒めを表しています。

使用場面としては、誰かが組織や社会において好ましくない新しい慣習や規則を作ろうとしているとき、あるいはすでに悪い前例を作ってしまった人を批判するときに用いられます。「最初にルールを破った人の責任は重い」という文脈で使われることが多いでしょう。

現代では、職場での不正な慣習、学校でのいじめの始まり、社会的な悪習の発端など、さまざまな場面でこの教訓が当てはまります。悪い前例は後に続く人々に影響を与え、やがてそれが当たり前になってしまう危険性があるのです。だからこそ、最初に悪い道を開いた者の罪は深く、その報いは避けられないという厳しい警告なのです。

由来・語源

このことわざは、中国の古典『孟子』に由来すると考えられています。「俑」とは、古代中国で死者とともに埋葬された人形のことです。もともとは生きた人間を殉死させる風習がありましたが、それに代わって人形を埋葬するようになったのです。

孟子は、この俑を作り始めた者を批判しました。なぜなら、たとえ人形であっても人間の形をしたものを死者とともに埋めるという行為は、いずれ再び生きた人間を埋葬する風習に戻ってしまう危険性があると考えたからです。つまり、悪しき風習への第一歩となる可能性を危惧したのです。

「其れ後なからんか」という言葉には、「その者に子孫はいなくなるだろう」という強い非難の意味が込められています。古代中国では子孫が絶えることは最大の不幸とされていましたから、これは最も厳しい呪いの言葉だったのです。

このことわざは、悪い前例を作ることの恐ろしさを、俑という具体的な例を通して警告しています。一見すると改善のように見える行為でも、それが将来的に悪い結果を招く可能性があるなら、その最初の一歩を踏み出した者の責任は重大だという、孟子の深い洞察が込められた言葉なのです。

使用例

  • 新しい不正な会計処理を始めた前任者は、始めて俑を作る者は其れ後なからんかで、結局会社とともに破滅した
  • 安易な規則違反を最初に許してしまえば、始めて俑を作る者は其れ後なからんかというように、組織全体が腐敗する原因を作ることになる

普遍的知恵

人間社会において、最初の一歩がいかに重要かを、このことわざは教えてくれます。私たちは往々にして「これくらいなら」「一度だけなら」と考えがちですが、その小さな逸脱が後に続く人々への許可証となり、やがて取り返しのつかない悪習へと発展していくのです。

なぜ人は悪い前例を作ってしまうのでしょうか。それは目先の利益や便利さに目を奪われ、長期的な影響を想像する力が欠けているからです。あるいは「自分だけは特別」という思い上がりがあるのかもしれません。しかし、歴史が証明しているように、悪い先例を作った者は必ずその報いを受けます。それは超自然的な罰ではなく、社会の信頼を失い、後世から批判され、自らが作った悪習の犠牲者となるという、極めて現実的な因果応報なのです。

このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間が持つ「楽な道を選びたい」という弱さと、「前例があれば従ってしまう」という集団心理の危険性を、先人たちが深く理解していたからでしょう。一人の行動が社会全体に波及する力を持つこと、そしてその責任の重さを、このことわざは時代を超えて私たちに問いかけ続けているのです。

AIが聞いたら

このことわざが警告する「人形を作る」という行為を、複雑系科学の視点で見ると驚くべき構造が見えてくる。葬儀用の人形という「死者の代用品」は、システムに新しいパラメータを一つ追加しただけに見える。しかし複雑系では、たった一つの初期条件の変化が、時間経過とともに指数関数的に影響を拡大させる。これが「初期条件の敏感性」だ。

数学的に表現すると、二つの状態の差が時間とともにe^(λt)で拡大する。λが正なら、最初は0.001だった差が、時間が経つと1000にも10000にもなる。人形という「模倣」の導入は、まさにこの小さな差だった。それが「では生きた人間を埋めてもいいのでは」という論理の連鎖を生み、殉死という巨大な悲劇へと増幅された。

現代のAI開発も同じ構造を持つ。最初は「人間の知能を少しだけ模倣しよう」という小さな一歩だった。しかしこのシステムは非線形だ。ある閾値を超えた瞬間、制御不能な自己増殖や予期しない振る舞いが生まれる可能性がある。気象学者ローレンツが発見したように、北京の蝶の羽ばたきがニューヨークの嵐を引き起こすように、研究室での小さな技術的決定が、人類全体の未来を不可逆的に変えてしまうかもしれない。

孔子は数式なしで、この非線形的因果の恐ろしさを直観していた。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、自分の行動が持つ「前例としての力」への自覚です。あなたが今日選ぶ行動は、明日の誰かの基準になるかもしれません。職場で、家庭で、地域社会で、あなたが最初に示す姿勢は、周囲の人々に大きな影響を与えるのです。

特に立場のある人、影響力のある人は、この教訓を心に刻む必要があります。リーダーの小さな不正や手抜きは、組織全体に「これでいいんだ」というメッセージを送ってしまいます。逆に言えば、良い前例を作ることで、周囲に良い影響を与えることもできるのです。

現代社会では、SNSの発達により、一人の行動がかつてないほど広く伝播します。だからこそ、「最初の一人」になることの責任は、より重くなっているとも言えるでしょう。あなたが今日、正しい選択をすることは、見えないところで誰かの勇気になり、社会をより良い方向へ導く力になります。悪い前例を作らない勇気と、良い前例を作る覚悟を持つこと。それが、このことわざが現代を生きる私たちに贈る、大切な贈り物なのです。

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