能書きと矮鶏の時は当てにならぬの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

能書きと矮鶏の時は当てにならぬの読み方

のうがきとちゃぼのときはあてにならぬ

能書きと矮鶏の時は当てにならぬの意味

このことわざは、口先だけの立派な理屈や、見た目は良くても実際には役に立たないものを当てにしてはいけないという意味です。能書きとは薬の効能書きから転じた、実行を伴わない口先だけの説明や理屈のこと。矮鶏は小さくて可愛らしい鶏ですが、時を告げる鳴き声も弱く、実用性に欠けることから、この二つを例に挙げています。

使われる場面は、立派なことを言うばかりで行動が伴わない人や、外見は良くても実質が伴わないものを評価する時です。会議で素晴らしい提案をするけれど実行しない人、派手な宣伝文句だけの商品など、見かけ倒しのものに対して使います。現代でも、プレゼンテーションは上手だが成果を出さない人、SNSでは立派なことを言うが実際の行動が伴わない人など、このことわざが当てはまる状況は数多く存在しています。

由来・語源

このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成要素から興味深い背景が見えてきます。

「能書き」とは、もともと薬の効能や使い方を記した説明書のことを指していました。江戸時代の売薬には、病気に効くと謳う派手な宣伝文句が書かれていましたが、実際には期待したほどの効果がないことも多かったのです。そこから転じて、口先だけの立派な理屈や、実行を伴わない言葉を「能書き」と呼ぶようになったと考えられています。

一方の「矮鶏(ちゃぼ)」は、足が短く体の小さな観賞用の鶏です。その愛らしい姿から江戸時代には武家や町人の間で人気がありましたが、実用面では卵も小さく、肉も少なく、実際の家禽としての価値は低いものでした。特に「時を告げる」という鶏本来の役割において、矮鶏は鳴き声が小さく頼りないため、時刻を知らせる番鶏としては不向きだったのです。

この二つを組み合わせることで、見た目や言葉は立派でも実際には役に立たないものを戒める表現が生まれたと考えられます。実用性を重んじる庶民の知恵が凝縮されたことわざと言えるでしょう。

豆知識

矮鶏は江戸時代に東南アジアから日本に渡来したとされ、その独特の姿から「地を這う鶏」という意味で「地鶏(ちゃぼ)」と呼ばれるようになったという説があります。現在では天然記念物に指定されている品種もあり、観賞用として大切に飼育されています。

能書きという言葉が薬の説明書を指していた時代、富山の売薬商人たちは全国を回って薬を売り歩きました。その際の派手な宣伝文句が、後に「能書きを垂れる」という慣用句を生んだとも言われています。

使用例

  • あの人は企画書だけは立派だけど、能書きと矮鶏の時は当てにならぬで、実際に動いてくれたことがない
  • 新商品の宣伝は派手だったが、能書きと矮鶏の時は当てにならぬというやつで、期待したほどの性能はなかった

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた背景には、人間社会における永遠のテーマがあります。それは、言葉と行動の乖離という問題です。

人は誰しも、自分を良く見せたいという欲求を持っています。立派なことを語れば、周囲から認められ、尊敬される。しかし、実際に行動を起こすことは、言葉を発することよりもはるかに困難で、リスクも伴います。だからこそ、言葉だけが先行し、実行が伴わない人が古今東西を問わず存在してきたのです。

先人たちは、この人間の性質を鋭く見抜いていました。薬の効能書きも、小さな鶏も、どちらも「約束」を示すものです。効能書きは健康の回復を約束し、鶏は時を告げることを約束する。しかし、その約束が果たされなければ、どれほど立派な言葉も、どれほど可愛らしい姿も、何の価値もないのです。

このことわざは、表面的な美しさや言葉の巧みさに惑わされず、本質を見極める目を持つことの大切さを教えています。人を評価する時も、物事を判断する時も、見かけではなく実質を見よという、時代を超えた知恵なのです。そして同時に、自分自身が「能書き」にならないよう、言葉に責任を持ち、行動で示す人間であれという戒めでもあります。

AIが聞いたら

口先だけの能書きや体の小さな矮鶏の時報が信頼できないのは、情報経済学でいう「安価なシグナル問題」そのものだ。シグナリング理論では、送り手が自分の能力を証明するとき、そのシグナルにどれだけコストがかかるかで信頼性が決まる。

能書きを語るコストはほぼゼロだ。誰でも「私は優秀です」と言える。矮鶏も体が小さいから朝早く目覚めて鳴くことに体力的負担が少ない。つまり、能力の低い個体でも簡単に真似できてしまう。経済学者マイケル・スペンスがノーベル賞を受賞した研究では、学歴が有効なシグナルになるのは、優秀な人ほど取得コストが低く、能力の低い人には高くつくという「分離均衡」が成立するからだと示された。

このことわざが鋭いのは、二つの異なる領域で同じ原理を見抜いている点だ。人間の言葉と動物の行動という全く違う現象が、実は同じ情報の非対称性の問題を抱えている。本当に能力があるなら、口で説明するより実際に成果を出す方が早い。大型の鶏なら正確な時刻に鳴くために体内時計を調整する生理的コストを払える。安価に出せるシグナルほど信用できないという原則を、日本人は経済学理論が確立される何百年も前から直感的に理解していたわけだ。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、情報過多の時代における判断力の大切さです。SNSやインターネットには、魅力的な言葉や美しい画像があふれています。しかし、その背後に本当の実力や実績があるかどうかを見極める目が、今ほど必要とされている時代はありません。

まず、他人を評価する時には、その人の言葉だけでなく、過去の行動や実績を見るようにしましょう。プレゼンテーションが上手な人が必ずしも実行力のある人とは限りません。地味でも着実に成果を出している人の価値を見逃さないことが大切です。

そして何より、自分自身が「能書き」にならないよう心がけることです。大きなことを語る前に、小さなことでも確実に実行する。約束したことは必ず守る。そうした積み重ねが、あなたへの信頼を築いていきます。

言葉は大切ですが、それ以上に行動が大切です。このことわざは、口先だけの人生ではなく、実質のある人生を歩もうというメッセージを、あなたに送り続けているのです。

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