盗人も戸締りの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

盗人も戸締りの読み方

ぬすびともとじまり

盗人も戸締りの意味

「盗人も戸締り」は、悪事を働く者であっても、自分自身の身や財産を守ることには用心深いという人間の矛盾した性質を表すことわざです。他人の物を盗む盗人が、自分の家では泥棒に入られないようしっかり戸締りをするという皮肉な状況を指しています。

このことわざは、人を批判したり皮肉を言ったりする場面で使われます。他人には迷惑をかけるのに、自分のこととなると用心深く守りに入る、そんな身勝手な態度を指摘する際に効果的な表現です。また、誰もが自己保身の本能を持っているという人間の本質を冷静に観察した言葉でもあります。現代でも、不正を働く人が自分の権利や利益には敏感だったり、ルール違反をする人が自分が被害を受けることには厳しかったりする場面で、この表現がぴったり当てはまりますね。

由来・語源

このことわざの明確な文献上の初出は定かではありませんが、江戸時代には既に庶民の間で使われていたと考えられています。言葉の構造を見ると、「盗人」と「戸締り」という対照的な要素の組み合わせが印象的ですね。

盗人とは他人の家に忍び込んで物を盗む者のこと。そんな人物が、自分の住処では戸締りをしっかりするという矛盾した行動を指摘したものです。江戸時代の町人文化の中で、人間観察の鋭さから生まれた表現だと推測されます。

当時の江戸は人口が密集し、長屋などの集合住宅も多く、盗難は身近な問題でした。そうした環境の中で、悪事を働く者でさえ自分の身は守ろうとする人間の本性を、庶民たちは冷静に観察していたのでしょう。

この表現が面白いのは、単なる非難ではなく、ある種の諦観や人間理解が込められている点です。悪人も完全な悪人ではなく、自己保身の本能は持っているという、人間の複雑さを捉えています。道徳的な説教ではなく、人間の矛盾した性質を淡々と描写する江戸庶民の視点が、このことわざには表れていると言えるでしょう。

使用例

  • あの政治家は汚職をしておきながら、自分の疑惑には盗人も戸締りとばかりに弁護士を何人も雇っている
  • 違法駐車を繰り返す隣人が、自分の車に傷がついたと大騒ぎするなんて、まさに盗人も戸締りだ

普遍的知恵

「盗人も戸締り」ということわざが示すのは、人間の持つ根源的な矛盾です。どんなに他者に対して非道な行いをする人でも、自分自身を守ろうとする本能だけは失わない。これは人間という存在の複雑さを見事に言い当てています。

この普遍的な真理が興味深いのは、善悪の境界線が人間の中で明確に分かれていないことを示している点です。完全な悪人というものは存在せず、悪事を働く者の中にも自己保存の本能という、ある意味で正常な人間性が残っているのです。

また、このことわざは人間の利己性の本質も浮き彫りにしています。自分の行為が他者にどんな影響を与えるかという想像力は欠如していても、自分が被害を受けることへの感覚だけは鋭敏に働く。この非対称性こそが、多くの社会問題の根源にあるのかもしれません。

先人たちがこのことわざを生み出したのは、人間を糾弾するためではなく、むしろ人間というものを深く理解していたからでしょう。誰の心の中にも、他者への配慮と自己保身のバランスが存在します。このことわざは、その不完全さを認めた上で、それでも人間社会を営んでいく知恵を示しているのです。

AIが聞いたら

盗人が戸締りをする行動は、ゲーム理論でいう「共通知識」が生み出す奇妙な安定状態を示しています。共通知識とは、全員が知っていて、かつ全員がそれを知っていることを全員が知っている状態のこと。盗人の世界では「誰もが盗む可能性がある」という事実が共通知識になっています。

ここで面白いのは、盗人自身も他の盗人を信頼できないという点です。囚人のジレンマという有名な理論では、互いに協力すれば全員が得をするのに、相手を信頼できないため全員が裏切りを選んでしまう状況を説明します。盗人の世界はまさにこれで、「盗まない」という協力が成立しません。なぜなら一人でも裏切れば大きな利益を得られるからです。

結果として、全員が防衛する状態がナッシュ均衡、つまり誰も戦略を変える理由がない安定状態になります。たとえ自分が盗人でも、戸締りをやめれば損をする。これは道徳心ではなく、純粋に合理的な計算の結果です。

さらに皮肉なのは、全員が戸締りをするコストを払い続けることで、誰も盗まない世界と比べて全員が損をしている点です。信頼がない世界では、防衛コストという無駄な出費が永遠に必要になる。盗人の戸締りは、信頼の欠如が生む社会的コストの縮図なのです。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、自分自身の中にある二重基準に気づくことの大切さです。私たちは誰でも、知らず知らずのうちに、他人に対する態度と自分に対する態度が違っていることがあります。

職場で他人のミスには厳しいのに、自分のミスには言い訳をしていませんか。環境問題を語りながら、自分の便利さは手放せないでいませんか。SNSで他人を批判しながら、自分が批判されると過剰に反応していませんか。

このことわざは、そうした矛盾に気づくための鏡となります。大切なのは、完璧な人間になることではありません。誰もが自己保身の本能を持っているという事実を認めた上で、少しずつでも他者への想像力を働かせることです。

自分が嫌だと思うことは、他人も嫌だと感じているかもしれない。自分の権利を主張するなら、他人の権利も尊重する。そんな当たり前のことを、このことわざは思い出させてくれます。人間の不完全さを認めながらも、より良い関係を築いていこうとする姿勢こそが、成熟した大人の在り方なのではないでしょうか。

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