七皿食うて鮫臭いの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

七皿食うて鮫臭いの読み方

ななさらくうてさめくさい

七皿食うて鮫臭いの意味

このことわざは、さんざん食べたあげくにまずいと文句を言う、身勝手な態度を戒める表現です。七皿も食べておきながら、食べ終わってから「鮫臭い」と不平を言う。その矛盾した行動を指摘しているのです。

使う場面は、十分に恩恵を受けたり、利益を得たりした後になって、文句や不満を言い出す人に対してです。食べている最中は何も言わず、お腹がいっぱいになってから味について批判する。そんな都合の良い態度を批判する時に使われます。

この表現が使われる理由は、行動と発言の矛盾を鮮明に示すためです。本当に不満があるなら、一皿目か二皿目で気づいて止めるはずです。七皿も食べ続けたということは、それなりに満足していたはずなのに、後から文句を言うのは筋が通りません。現代でも、サービスを受けた後でクレームをつける人や、恩恵を受けておきながら批判する人の態度を表す時に、この本質は変わらず通用します。

由来・語源

このことわざの明確な由来は文献上はっきりとは残されていないようですが、言葉の構成から興味深い背景が見えてきます。

「七皿」という表現は、たくさんの皿数を食べたこと、つまり十分な量を食べたことを示しています。日本では古くから、数の「七」は多さを表す象徴的な数として使われてきました。七転び八起き、七福神など、七という数字には特別な意味が込められています。

そして「鮫臭い」という表現が重要です。鮫は海の魚の中でも独特の臭みがあることで知られています。新鮮なうちは美味しく食べられますが、時間が経つと特有のアンモニア臭が強くなります。この臭いは好き嫌いが分かれる特徴的なものです。

このことわざは、おそらく沿岸部の漁村などで生まれたと考えられています。魚を食べる文化が根付いた地域で、実際の食事の場面から生まれた表現なのでしょう。七皿も食べておきながら、最後になって「鮫臭い」と文句を言う。その矛盾した態度を、具体的な食事の場面で表現したものと思われます。

さんざん恩恵を受けておきながら、後から不平を言う人間の身勝手さを、日常的な食事という分かりやすい場面で切り取った、庶民の知恵から生まれたことわざだと言えるでしょう。

豆知識

鮫は実は古くから日本の食文化に深く関わってきた魚です。特に山間部では、海の魚が届きにくい時代に、鮫は干物や塩漬けにして保存食として重宝されました。鮫の身には尿素が含まれており、これが時間とともにアンモニアに変化するため、独特の臭いが生まれます。しかしこの臭いこそが、保存性を高める要因でもあったのです。

七という数字は、日本の文化において「たくさん」を意味する代表的な数です。一週間が七日であることや、七草粥、七夕など、完全性や充足を表す数として古くから使われてきました。このことわざでも、単に数が多いというだけでなく、十分すぎるほど食べたという意味が込められています。

使用例

  • 散々会社の福利厚生を利用しておいて、辞める時になって待遇が悪かったと言うなんて、七皿食うて鮫臭いとはこのことだ
  • 無料で何度も相談に乗ってもらっておきながら、最後になってあの人は冷たいと文句を言うのは、七皿食うて鮫臭いというものだよ

普遍的知恵

このことわざが映し出すのは、人間の持つ「後出しの不満」という普遍的な弱さです。なぜ人は、恩恵を受けている最中には何も言わず、すべてを享受した後になって文句を言うのでしょうか。

その背景には、人間の複雑な心理があります。まず、目の前の利益を手放したくないという欲望です。不満があっても、それを口にすれば利益を失うかもしれない。だから黙って受け取り続けます。そして十分に得た後、もう失うものがなくなった時に初めて、批判の言葉を口にするのです。

また、人は自分の選択を正当化したい生き物でもあります。七皿も食べ続けたという自分の判断を認めたくない。だから責任を外に転嫁し、「まずかったから仕方ない」と理由をつけるのです。自分が満足して食べていたという事実を、後から書き換えようとする心の働きです。

さらに深く見れば、これは感謝の欠如とも言えます。与えられたものの価値を、受けている時には当然のものとして感じ、失ってから初めて気づく。いや、失った後でさえ気づかず、不満だけを口にする。人間の傲慢さが、ここに凝縮されています。

このことわざが長く語り継がれてきたのは、こうした人間の性質が時代を超えて変わらないからでしょう。先人たちは、この矛盾した態度の中に、戒めるべき人間の本質を見抜いていたのです。

AIが聞いたら

七皿目まで食べ続けてしまう人間の判断には、二つの認知バイアスが同時に働いている。一つ目は「ここまで食べたのだから」という既に投じた労力への執着、つまりサンクコストの誤謬だ。本来なら一皿目で鮫だと気づいた時点でやめるのが合理的なのに、食べた分がもったいないという感情が判断を狂わせる。カジノで負けが込んでも「ここまで使ったのだから取り戻さないと」と続けてしまう心理と全く同じ構造だ。

さらに興味深いのは、七皿という具体的な数字が示す限界効用逓減の実態だ。一皿目は空腹を満たす喜びがあるが、二皿目、三皿目と進むにつれて満足度は確実に下がっていく。行動経済学の研究では、人は損失を利益の約2.5倍重く感じることが分かっている。つまり七皿目あたりでは、食べる満足感よりも「無駄にした」という損失感の方がはるかに大きくなっているはずだ。

このことわざが鋭いのは、七という数字で人間の我慢の限界を表現している点だ。実験心理学では、人は平均して5回から7回の失敗で初めて行動を変えることが知られている。つまり江戸時代の人々は経験的に、人間が非合理な行動から抜け出すまでの試行回数を正確に把握していたことになる。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、「受けている時に気づく力」の大切さです。

私たちは日々、多くのものを受け取っています。仕事の機会、人からの親切、サービス、時間。それらを受けている最中に、その価値に気づいているでしょうか。それとも、当たり前のものとして流してしまっているでしょうか。

このことわざは、後から文句を言う前に、今この瞬間に自分の気持ちに正直になることを教えています。もし本当に不満があるなら、一皿目で気づくべきです。そして、もし七皿も食べ続けたのなら、それは満足していた証拠なのです。その事実を認める誠実さを持つこと。

現代社会では、SNSなどで後から批判することが簡単になりました。しかし、本当に大切なのは、受けている時にきちんと評価し、感謝すべきは感謝し、不満があれば適切なタイミングで伝える誠実さです。

あなたが今受けているものの価値に、今気づいてください。後になって「あの時は良かった」と懐かしむのではなく、今この瞬間に感謝する。それが、七皿食うて鮫臭いと言わない生き方なのです。

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