為さざるなり、能わざるに非ずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

為さざるなり、能わざるに非ずの読み方

なさざるなり、あたわざるにあらず

為さざるなり、能わざるに非ずの意味

このことわざは、やらないだけであり、能力がないわけではないという意味です。人が何かを成し遂げられないとき、本当に能力が足りないのか、それとも単にやろうとしていないだけなのかを問いかける言葉です。

多くの場合、私たちは「できない」と言いますが、実際には「やっていない」だけということが少なくありません。このことわざは、そうした言い訳や自己欺瞞を見抜き、行動しない理由を能力不足のせいにすることへの戒めとなっています。

使用場面としては、誰かが「できない」と言い訳をしているときや、自分自身が行動を起こさない理由を探しているときに用いられます。能力の問題ではなく意志の問題であることを指摘し、行動を促す際に効果的な表現です。現代でも、自己啓発や教育の場面で、潜在能力を引き出すための言葉として活用されています。

由来・語源

この言葉は、中国の古典『孟子』に由来すると考えられています。『孟子』の梁恵王章句上に「挾太山以超北海、語人曰我不能、是誠不能也。為長者折枝、語人曰我不能、是不為也、非不能也」という一節があります。これは「泰山を脇に抱えて北海を飛び越えることは、本当にできないことだ。しかし、年長者のために枝を折ることは、やらないだけであって、できないのではない」という意味です。

孟子は、人間の行動には「本当にできないこと」と「できるのにやらないこと」の二種類があることを指摘しました。物理的に不可能なことと、意志の問題で実行しないことを明確に区別したのです。この思想が日本に伝わり、「為さざるなり、能わざるに非ず」という簡潔な形で定着したと考えられています。

儒教の影響を強く受けた日本では、この言葉は単なる能力論ではなく、道徳的な実践を促す教えとして受け止められてきました。できるのにやらないことへの戒めとして、長く語り継がれてきたのです。

使用例

  • 彼は英語ができないと言うが、為さざるなり能わざるに非ずで、本気で勉強していないだけだ
  • ダイエットに失敗するのは為さざるなり能わざるに非ず、やる気の問題なんだよね

普遍的知恵

このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間の本質的な弱さと可能性の両方を見抜いているからでしょう。私たちは誰しも、本当はできることを「できない」と言って逃げてしまう経験があります。それは恐れかもしれませんし、面倒くささかもしれません。あるいは失敗を避けたい気持ちかもしれません。

人間は不思議なもので、自分の可能性を自分で制限してしまう生き物です。「できない」という言葉は、時に自分を守る盾となり、挑戦しない理由を正当化する便利な道具になります。しかし先人たちは、その言い訳の裏に隠れた真実を見抜いていました。多くの場合、問題は能力ではなく意志にあるのだと。

この洞察の深さは、単なる精神論ではありません。人間には想像以上の潜在能力があり、それを引き出すかどうかは自分次第だという、希望に満ちたメッセージでもあるのです。できないのではなく、やっていないだけ。この区別を理解することは、自分の人生に対する責任を引き受けることでもあります。厳しくも温かい、人間への深い理解がこのことわざには込められています。

AIが聞いたら

量子力学では、電子は観測されるまで「ここにもあそこにもある」という重ね合わせ状態にあります。測定器を向けた瞬間、初めて一つの場所に確定する。この奇妙な性質が、人間の能力にも当てはまるのです。

「やらない」という状態は、実は「できる」と「できない」が混在した未確定状態です。たとえば受験勉強をしない生徒は、合格する可能性と不合格の可能性が同時に存在しています。しかし本人が「やらない」を選んでいる限り、その能力は測定されません。つまり量子が観測されるまで位置が決まらないように、行動しない人の真の能力も永遠に確定しないのです。

興味深いのは、量子の観測問題では「観測という行為自体が結果に影響を与える」点です。人間も同じで、実際に行動を起こすこと自体が能力を変化させます。やってみたら意外とできた、あるいは思ったより難しかったという経験は、まさに観測によって波動関数が収縮する瞬間に似ています。

このことわざの本質は、能力という量子が行動という観測を待っている状態を指摘しているのです。「できない」は測定結果ではなく、測定を拒否した状態に過ぎません。可能性は重なり合ったまま、ただそこに漂っているだけなのです。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、自分の可能性を過小評価しないことの大切さです。「できない」という言葉を口にする前に、本当に能力の問題なのか、それとも一歩を踏み出す勇気の問題なのかを見極める必要があります。

現代社会では、情報過多や選択肢の多さから、行動を起こす前に諦めてしまうことが増えています。SNSで他人の成功を見て、自分には才能がないと決めつけてしまう。しかし多くの場合、違いは才能ではなく、やり続けたかどうかなのです。

このことわざは、あなたに厳しい現実を突きつけると同時に、大きな希望も与えてくれます。できないのではなく、やっていないだけなら、今日から始めればいいのです。小さな一歩でも構いません。完璧である必要もありません。大切なのは、能力不足を言い訳にせず、自分の意志で行動を選択することです。あなたの中には、まだ発揮されていない力が眠っているはずです。それを信じて、一歩を踏み出してみませんか。

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