父父たらずと雖も子は以て子たらざるべからずの読み方
ちちちちたらずといえどもこはもってこたらざるべからず
父父たらずと雖も子は以て子たらざるべからずの意味
このことわざは、父親が父親としての役割や責任を十分に果たしていなくても、子は子としての本分を尽くすべきだという意味です。親が理想的な親でなかったとしても、それを理由に子が子としての道を外れてよいわけではないという教えですね。
使われる場面としては、親の行動に不満を持つ子に対して、それでも親を敬い、自分の道を歩むべきだと諭すときなどが考えられます。また、親の欠点を言い訳にせず、自分自身の人格を磨くことの大切さを説く際にも用いられます。
現代では、親子関係の在り方が多様化していますが、このことわざの本質は「他者の行動を自分の行動の言い訳にしない」という主体性の重要さを示しています。親が完璧でなくても、それは自分が正しく生きることを放棄する理由にはならないという、厳しくも自立を促す教えなのです。
由来・語源
このことわざは、中国の古典である『孝経』に由来すると考えられています。『孝経』は儒教の重要な経典の一つで、親子関係における子の道を説いた書物です。その中に「父不父、子不可以不子」という一節があり、これが日本に伝わって「父父たらずと雖も子は以て子たらざるべからず」という形で定着したとされています。
儒教思想では、親子関係を社会秩序の基本と考えていました。しかし現実には、親が親としての責任を果たさないこともあります。そうした状況でも、子は子としての道を守るべきだという教えが必要だったのでしょう。これは単なる服従を説くのではなく、むしろ自分の行動は他者の行動に左右されるべきではないという、主体的な生き方を示していると解釈できます。
日本では江戸時代に儒教教育が広まる中で、このことわざも武士階級を中心に浸透していったと考えられています。親が理想的でなくても、子は自らの品格を保つべきだという考え方は、個人の責任と尊厳を重んじる武士道の精神とも通じるものがあったのかもしれません。
使用例
- 父親は家族を顧みなかったが、父父たらずと雖も子は以て子たらざるべからずで、私は親孝行を心がけている
- 親の生き方に納得できない部分もあるけれど、父父たらずと雖も子は以て子たらざるべからずという言葉を胸に、自分は自分の道を歩もうと思う
普遍的知恵
このことわざが示す普遍的な知恵は、人間の尊厳は他者の行動によって左右されるものではないという真理です。私たちは誰しも、完璧な環境や完璧な親のもとに生まれるわけではありません。むしろ、何らかの不完全さや理不尽さを抱えた状況で生きることの方が普通でしょう。
人は苦しいとき、自分の行動を他者のせいにしたくなる生き物です。親が悪いから、環境が悪いから、社会が悪いから、自分はこうなったのだと。そう考えることで、一時的に心は楽になるかもしれません。しかし、そこには大きな落とし穴があります。他者を責任の源泉にした瞬間、私たちは自分の人生の主導権を手放してしまうのです。
このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間の主体性こそが尊厳の源であることを、先人たちが深く理解していたからでしょう。親が親らしくなくても、子が子であることをやめる必要はない。なぜなら、子であることは親によって与えられた役割ではなく、自分自身が選び取る生き方だからです。
これは厳しい教えに聞こえるかもしれません。しかし同時に、どんな境遇にあっても自分の品格は自分で守れるという、希望のメッセージでもあるのです。
AIが聞いたら
このことわざは、ゲーム理論で最も有名な「囚人のジレンマ」の最悪シナリオを回避する仕組みとして読み解けます。囚人のジレンマでは、お互いが協調すれば両者に利益があるのに、相手の裏切りを恐れて両者とも裏切ってしまい、最悪の結果に陥ります。父子関係でこれが起きると、父が子を裏切り、子も父を裏切り、家族システムが完全に崩壊します。
興味深いのは、このことわざが完全な対称性を意図的に壊している点です。つまり「父が父らしくなくても、子は子であれ」という一方的なルールです。これは不公平に見えますが、ゲーム理論では「誰か一人でも協調戦略を貫けば、システムの崩壊は防げる」という原理があります。両者が裏切れば利益はマイナス10ですが、片方だけが協調すればマイナス5で済む。完全崩壊よりはマシな状態を確保できるわけです。
さらに重要なのは、子の側に「無条件の協調戦略」をコミットさせることで、父親側の計算を変える効果です。子が絶対に裏切らないと分かれば、父親が協調に戻るインセンティブが生まれます。これは「一方的コミットメント」が相手の行動を変える力を持つという、ゲーム理論の応用例なのです。非対称な義務が、実は関係修復の可能性を残す戦略的な設計だったと言えます。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、自分の人生の質は自分で決められるという力強い真実です。あなたの周りには、理想的でない人がいるかもしれません。期待を裏切る人、責任を果たさない人、あなたを傷つける人。そうした人々の存在は、確かにあなたの人生を困難にします。
しかし、ここで立ち止まって考えてみてください。その人たちの行動を、あなた自身の品格を下げる理由にしてしまったら、結局誰が損をするのでしょうか。相手ではなく、あなた自身です。相手の低い基準に自分を合わせることは、相手に人生の主導権を渡すことと同じなのです。
現代社会では、親子関係だけでなく、職場の上司、学校の先生、友人関係など、あらゆる場面でこの知恵が活きてきます。相手が誠実でなくても、あなたは誠実でいられます。相手が責任を果たさなくても、あなたは自分の責任を果たせます。それは相手のためではなく、あなた自身の尊厳のためです。
他者の行動に左右されない自分を持つこと。それこそが、真の自由であり、真の強さなのです。


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