便りのないのは良い便りの読み方
たよりのないのはよいたより
便りのないのは良い便りの意味
「便りのないのは良い便り」とは、連絡がないのは無事である証拠だという意味です。遠く離れた場所にいる家族や友人から何の知らせもないとき、私たちはつい心配になってしまいますが、このことわざは逆の見方を教えてくれます。もし何か困ったことや悪い出来事が起きていれば、必ず連絡があるはずです。つまり、連絡がないということは、特に報告すべき問題が起きていない、日常が平穏に過ぎているということなのです。このことわざは、遠方にいる大切な人を心配する家族に対して、過度な不安を和らげるために使われます。現代でも、留学中の子どもや単身赴任中の家族、一人暮らしを始めた子どもなど、離れて暮らす人の安否を気遣う場面で用いられ、連絡がないことをポジティブに解釈する知恵として受け継がれています。
由来・語源
このことわざの由来については、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構造と日本の歴史的背景から、その成り立ちを推測することができます。
江戸時代以前の日本では、遠く離れた家族や親族との連絡手段は非常に限られていました。飛脚による手紙のやり取りは時間もかかり、費用も決して安くはありませんでした。そのため、わざわざ便りを送るのは、何か特別な出来事があったときに限られていたと考えられています。
特に、旅に出た家族や、他国へ奉公に出た子どもの安否を気遣う親の心情から生まれた表現だという説が有力です。便りが届くということは、病気や事故、あるいは金銭的な困窮など、何らかの問題が発生したことを意味する場合が多かったのです。逆に言えば、便りがないということは、日々が平穏無事に過ぎている証拠だと解釈できました。
この考え方は、通信手段が発達していなかった時代特有の知恵とも言えます。連絡がないことを不安に思うのではなく、むしろ安心材料として捉える。そんな前向きな心の持ち方が、このことわざには込められていると考えられています。
使用例
- 息子は留学して半年になるけど、便りのないのは良い便りと思って待っているよ
 - 単身赴任中の夫からメールがないけれど、便りのないのは良い便りだと自分に言い聞かせている
 
普遍的知恵
「便りのないのは良い便り」ということわざには、人間の不安との向き合い方についての深い洞察が込められています。私たち人間は、大切な人の姿が見えないとき、本能的に最悪の事態を想像してしまう傾向があります。これは生存本能の一部であり、危険を予測することで身を守ろうとする心の働きです。しかし、この心配性は時として私たちを苦しめます。
このことわざが教えているのは、不安との付き合い方です。人は本当に困ったとき、助けを求めるときには必ず何らかの形で連絡をするものです。逆に言えば、連絡がないということは、その人が自分の力で日々を乗り越えている証拠なのです。先人たちは、この単純な事実に気づき、不安を希望に変える視点の転換を私たちに示してくれました。
さらに深く考えると、このことわざは信頼の本質についても語っています。離れた場所にいる人を信じること。その人の力を信じ、無事を信じること。この信頼こそが、不安な心を落ち着かせる最良の薬なのです。人間関係において、過度な心配は時として相手への不信を意味します。便りがなくても安心できるということは、その人への深い信頼があるということなのです。
AIが聞いたら
情報を送るにはコストがかかる。電話をかける手間、手紙を書く時間、心理的な負担。だから人間は無意識に「送る価値のある情報」を選別している。ここに面白い非対称性が生まれる。
悪い知らせは必ず送られる。事故、病気、トラブル。これらは受信者の行動を変える必要があるため、送信コストを払ってでも伝える価値がある。情報理論では、こうした予測外の出来事を「高エントロピー情報」と呼ぶ。つまり、情報量が多く、伝える意味が大きい。
一方、良い知らせ、特に「何も起きていない」という状態は低エントロピー情報だ。予測通りの平穏な日常には新しい情報がほとんどない。わざわざ「今日も無事です」と毎日連絡する人は少ない。送信コストに見合わないからだ。
ここで逆説が生まれる。連絡がないという「情報の不在」それ自体が、実は「おそらく無事である」という肯定的な情報になる。ベイズ推定の考え方では、もし悪いことが起きていれば連絡が来る確率が高いため、連絡がない事実から逆算して「悪いことが起きていない確率が高い」と推定できる。
現代のシステム設計でも同じ原理が使われている。サーバー監視では正常時に通知せず、異常時だけアラートを出す。これは「沈黙が正常を意味する」設計だ。情報の不在に意味を持たせる、人間の知恵がここにある。
現代人に教えること
このことわざが現代人に教えてくれるのは、情報過多の時代における心の平穏の保ち方です。現代では、スマートフォンやSNSによって、いつでも誰とでも連絡が取れるようになりました。しかし、その便利さが逆に私たちを不安にさせることもあります。メッセージを送ったのに既読がつかない、返信が来ないと、すぐに心配になってしまうのです。
このことわざは、そんな現代人に「待つ余裕」を思い出させてくれます。すべての沈黙を不安の種にする必要はありません。相手にも相手の生活があり、リズムがあります。連絡がないことを、相手が自分の人生を充実して生きている証拠だと捉えることができれば、あなたの心はずっと軽くなるでしょう。
また、このことわざは、大切な人への信頼を育てることの大切さも教えてくれます。心配することと信頼することは違います。信頼とは、相手の力を信じ、見守ることです。便りがなくても安心できる関係こそが、本当に深い絆なのかもしれません。今日から、沈黙を不安ではなく、平穏の証として受け止めてみませんか。
  
  
  
  

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