糸麻有りと雖も菅蒯を棄つること無かれの読み方
いとまありといえどもかんかいをすつることなかれ
糸麻有りと雖も菅蒯を棄つること無かれの意味
このことわざは、優れたものや価値の高いものがあったとしても、一見粗末に見えるものや劣っているように思えるものを軽視したり捨て去ったりしてはならない、という意味を持っています。
使用場面としては、新しい技術や優秀な人材が登場した時に、古い方法や地味な存在を軽んじてしまいがちな状況で用いられます。また、華やかなものに目を奪われて、基礎的なものや地道な努力を疎かにしようとする時の戒めとしても使われます。
この表現を使う理由は、すべてのものにはそれぞれの役割と価値があり、優劣だけで判断してはならないという深い洞察を伝えるためです。現代では、効率性や見た目の華やかさが重視されがちですが、目立たないものや古いものにも、それぞれの場面で必要とされる価値があることを思い起こさせてくれる言葉として理解されています。
由来・語源
このことわざは、中国の古典に由来すると考えられています。糸麻(しま)とは、絹糸や麻糸といった上質な繊維のことを指し、菅蒯(かんかい)とは、菅(すげ)や蒯(わらび)といった粗末な草のことを意味しています。
古代中国では、衣服の材料として絹や麻が珍重されていましたが、同時に菅や蒯のような粗末な植物も、縄や敷物、日用品の材料として人々の生活に欠かせないものでした。上質な素材があるからといって、粗末な素材を捨ててしまえば、いざという時に困ることになります。
この言葉の背景には、儒教的な思想の影響があると考えられます。儒教では、物を大切にする精神や、身分の高低にかかわらず万物にはそれぞれの価値があるという考え方が重視されました。優れたものだけを尊び、劣ったものを軽んじる態度は、バランスを欠いた偏った見方として戒められたのです。
また、実用的な知恵としても、この教えは重要でした。農業を基盤とした社会では、あらゆる資源を無駄にせず活用することが生き延びるための知恵でした。高級品があっても、日常的に使える素朴なものを粗末にしてはならないという、生活の実感に根ざした教訓だったと言えるでしょう。
豆知識
このことわざに登場する菅(すげ)は、日本でも古くから笠や蓑、草履などの材料として重宝されてきました。特に菅笠は雨具として庶民の生活に欠かせないものでしたが、高級な絹の傘が手に入る身分の人でも、旅や農作業では菅笠を使うことが多かったのです。つまり、高級品と粗末なものは対立するのではなく、それぞれの場面で使い分けられる共存関係にあったのです。
糸麻の「麻」は、日本では神事に用いられる神聖な繊維でもありました。高級な素材でありながら、同時に日常的な衣料としても広く使われ、庶民から貴族まであらゆる階層の人々の生活を支えていました。一つの素材が多様な価値を持つという点で、このことわざの教えを体現する存在だったと言えるでしょう。
使用例
- 新しいシステムを導入するのはいいが、糸麻有りと雖も菅蒯を棄つること無かれで、長年使ってきた手法も残しておくべきだ
- 優秀な新人が入ってきたからといって、糸麻有りと雖も菅蒯を棄つること無かれというように、ベテランの経験も大切にしなければならない
普遍的知恵
人間には、優れたものを手に入れると、それまで使っていたものを価値のないものとして切り捨ててしまう傾向があります。新しいスマートフォンを買えば古い機種は不要に思え、優秀な人材が現れれば地道に働いてきた人の貢献が霞んで見える。このことわざは、そうした人間の性質に対する深い洞察から生まれたものです。
なぜ人は優劣で物事を判断し、劣ったものを捨てようとするのでしょうか。それは、限られた時間や資源の中で、より良い選択をしたいという欲求があるからです。効率を求め、最善を追求することは、生き延びるための本能とも言えます。しかし、その本能が行き過ぎると、多様性を失い、予期せぬ状況に対応できなくなってしまいます。
先人たちは、この危うさを見抜いていました。優れたものだけに頼る生き方は、実は脆弱なのです。粗末に見えるものにも、それぞれの場面で発揮される価値があり、多様な選択肢を持つことこそが、変化の激しい世界を生き抜く知恵だと理解していたのです。このことわざが長く語り継がれてきたのは、人間が繰り返し同じ過ちを犯してきたからに他なりません。優れたものに目を奪われ、地味なものを軽視する。その度に痛い目に遭い、改めてこの教えの真理を思い知る。そうした人間の歴史が、この言葉に込められているのです。
AIが聞いたら
情報理論の創始者シャノンは、通信の信頼性を高めるには「冗長性」が不可欠だと証明しました。つまり、同じ情報を複数の方法で持っておくことで、一部が壊れても全体は生き残れるという原理です。このことわざは、まさにこの冗長性の価値を語っています。
たとえばインターネットのデータ送信を考えてみましょう。重要なデータは必ず複数の経路で送られます。光ファイバーという高性能な「糸麻」があっても、無線やケーブルという「菅蒯」を残しておく。なぜなら、どれか一つが切れても通信を維持できるからです。NASAの火星探査機も、メインコンピュータが故障したときのために、性能の劣るバックアップシステムを必ず搭載しています。
生物のDNAも同じ戦略を取っています。遺伝情報は二重らせん構造で、片方が損傷しても修復できます。さらに重要な遺伝子は複数のコピーを持つことが多い。これは何億年もの進化が選んだ「劣るものも捨てない」戦略です。
情報理論では、冗長性を持つシステムほどエントロピー、つまり不確実性に強いと計算されます。優れたものだけに頼るのは、数学的に見れば危険な賭けなのです。
現代人に教えること
現代社会は、常に「より良いもの」を追い求めます。最新のテクノロジー、最高の効率、最優秀の人材。しかし、このことわざは、そうした一方向の価値観に疑問を投げかけています。
あなたの周りにも、地味だけれど確実に仕事をこなす人、古いけれど信頼できる道具、効率は悪いけれど温かみのある方法があるのではないでしょうか。それらは、華やかな新しいものの陰に隠れて、見過ごされがちです。でも、本当に困った時、予想外の事態が起きた時、あなたを救ってくれるのは、そうした地味で確実なものかもしれません。
大切なのは、多様性を保つことです。優れたものを取り入れながらも、基礎的なもの、伝統的なもの、地道なものも大切にする。そのバランス感覚こそが、変化の激しい現代を生き抜く知恵なのです。すべてを新しいもので置き換えるのではなく、古いものと新しいものを組み合わせて使う柔軟さを持ちましょう。それが、あなたの人生に深みと安定をもたらしてくれるはずです。


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