四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬの読み方

よそじすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ

四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬの意味

このことわざは、中年以降に始めた道楽や趣味は、一時的なものに見えて実は長く続くものだという意味を表しています。同時に、降り止みそうに見える雨が結局は長引くように、物事の終わりが近いように見えても、実際にはなかなか終わらないという状況を言い表しています。

四十歳を過ぎてから始めた趣味や遊びは、若い頃と違って生活の責任から解放され、経済的余裕も生まれているため、思いのほか深くのめり込んでしまいます。「ちょっとだけ」と思って始めたことが、気づけば生活の中心になっているという経験は、多くの人に共感されるでしょう。

また、雨が弱まってきて「もうすぐ止むだろう」と思っていても、結局は降り続けるという自然現象に例えることで、人間の行動パターンの予測の難しさを表現しています。現代でも、定年後の趣味に没頭する人や、「そろそろやめよう」と思いながら続けてしまう習慣など、この言葉が当てはまる場面は数多くあります。

由来・語源

このことわざの明確な出典は定かではありませんが、江戸時代の庶民の生活観察から生まれた表現だと考えられています。二つの異なる現象を並べて語る形式は、江戸期の川柳や俗諺によく見られる特徴です。

前半の「四十過ぎての道楽」は、人生の折り返し地点を過ぎてから始めた趣味や遊びを指しています。江戸時代、四十歳は人生の大きな節目とされ、家督を譲ったり、隠居を考えたりする年齢でした。この年齢から新しい楽しみに目覚めると、若い頃とは違い、時間的にも経済的にも余裕があるため、かえって深くのめり込んでしまう傾向があったのでしょう。

後半の「七つ下がって降る雨」は、午後四時頃から降り始める雨のことです。江戸時代の時刻の数え方では、午後四時頃を「七つ時」と呼んでいました。この時間帯から降り始める雨は、夕立のようにすぐ止むように見えて、実は長雨になることが多いという気象観察が背景にあると思われます。

この二つを組み合わせることで、「止みそうで止まない」という共通点を見出し、人間の行動と自然現象を重ね合わせた、江戸庶民の観察眼の鋭さが光ることわざとなっています。

使用例

  • 父は定年後に始めた盆栽が四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬで、今では庭中が盆栽だらけだ
  • 彼女の韓流ドラマ熱は四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬというやつで、もう三年も続いている

普遍的知恵

このことわざが語る真理は、人間の情熱と時間の関係性についての深い洞察です。若い頃の情熱は激しくても短命なことが多いのに対し、人生経験を積んだ後の情熱は、静かに、しかし確実に人生に根を下ろしていきます。

なぜ中年以降の道楽が長続きするのか。それは、若い頃には「やらなければならないこと」に追われて、本当に「やりたいこと」を見失っていたからかもしれません。四十歳を過ぎて初めて、自分の心の声に素直に耳を傾けられるようになり、そこで出会った楽しみは、魂の奥底から湧き出る本物の喜びなのです。

また、このことわざは「終わりそうで終わらない」という人生の不思議なリズムも教えてくれます。私たちは常に物事の終わりを予測しようとしますが、人間の情熱も、自然現象も、私たちの予想を裏切り続けます。それは決して悪いことではありません。むしろ、予想外に続く喜びこそが、人生を豊かにしてくれるのです。

先人たちは、降り続く雨を眺めながら、自分の中に芽生えた新しい情熱を重ね合わせたのでしょう。「もうすぐ止むだろう」と思いながら降り続く雨のように、「そろそろ飽きるだろう」と思いながら続く楽しみ。その予測不可能性こそが、人生の醍醐味なのだと、このことわざは静かに語りかけています。

AIが聞いたら

四十過ぎの道楽も小降りの雨も、実は人間の脳が陥る二つの罠が同時に働いている状態を表しています。

まず注目すべきは「もうすぐ終わるかも」という期待が判断を狂わせる仕組みです。行動経済学の実験では、人は「あと10分で終わる」と感じると、すでに費やした時間を無駄にしたくないという心理が強く働きます。たとえば映画館で、つまらない映画を1時間見た後、残り30分という段階では「ここまで見たのだから」と最後まで座り続ける人が大半です。これがサンクコストの誤謬です。

さらに興味深いのは、四十代という年齢と小降りの雨という状況に共通する「中途半端さ」です。完全に土砂降りなら誰も待ちません。六十代なら道楽を諦める決断もつきやすい。ところが「まだ引き返せる範囲」に見えるからこそ、脳は「次の5分で状況が変わる」という近い未来を過大評価してしまいます。

実際、時間割引率の研究では、人は「今すぐ」と「5分後」の差は敏感に感じますが、「1年後」と「1年5分後」はほぼ同じと認識します。つまり目の前の短い時間ほど、その価値を実際より大きく見積もってしまうのです。このことわざは、その認知の歪みを二つの場面で鋭く突いています。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、人生の後半で見つけた情熱を大切にすることの価値です。「今さら新しいことを始めても」と躊躇する必要はありません。むしろ、人生経験を積んだ今だからこそ、本当に心から楽しめるものに出会える可能性があるのです。

同時に、このことわざは自分自身の情熱の持続性を見くびらないことも教えています。「ちょっとだけ」と思って始めたことが、あなたの人生を豊かにする大きな柱になるかもしれません。それは決して時間の無駄ではなく、あなたの人生に新しい意味を与えてくれる贈り物です。

また、周りの人が中年以降に新しい趣味に没頭している姿を見たとき、温かい目で見守ることの大切さも教えてくれます。それは単なる気まぐれではなく、その人の人生を輝かせる本物の情熱なのかもしれません。予想外に長く続く雨のように、予想外に長く続く喜びを、私たちは否定するのではなく、祝福すべきなのです。

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