碁で負けたら将棋で勝ての読み方
ごでまけたらしょうぎでかて
碁で負けたら将棋で勝ての意味
このことわざは、一度の敗北に挫けず、場を変えて巻き返せという励ましの言葉です。碁で負けてしまったなら、今度は将棋で勝負すればいい。つまり、一つの分野でうまくいかなかったからといって諦める必要はなく、別の土俵で勝負すれば良いという前向きな姿勢を示しています。
このことわざを使う理由は、失敗や挫折に直面した人を励まし、視野を広げてもらうためです。人は一つのことに失敗すると、そこに固執してしまいがちですが、世の中には無数の可能性があります。自分の得意分野や、まだ試していない新しい挑戦の場があるはずだという希望を伝えるのです。
現代では、受験や就職活動、仕事での失敗など、様々な場面で使われます。第一志望の大学に落ちた友人に、別の道もあると励ます時や、営業で成果が出ない同僚に、企画部門など別の分野での活躍を勧める時などに用いられます。
由来・語源
このことわざの明確な文献上の初出は定かではありませんが、碁と将棋という二つの盤上遊戯が日本で広く親しまれるようになった江戸時代以降に生まれたと考えられています。
碁も将棋も、江戸時代には庶民から武士まで幅広い層に愛された娯楽でした。当時の人々は、一日に何局も対局することが珍しくなく、碁で負けた悔しさを将棋で晴らす、あるいはその逆といった光景が日常的に見られたのでしょう。そうした実際の遊びの場面から、自然と生まれた言葉だと推測されます。
興味深いのは、なぜ「碁」と「将棋」という二つのゲームが選ばれたのかという点です。どちらも盤上で駒や石を動かす知的な遊戯ですが、その性質は大きく異なります。碁は陣地の取り合いで全体を見渡す大局観が求められ、将棋は相手の王を詰める直接的な戦いです。つまり、まったく異なる能力や戦略が必要とされるのです。
この対比こそが、このことわざの本質を表しています。一つの分野で失敗しても、別の分野では成功できる可能性があるという希望を、具体的なゲームの名前を使って表現したのです。同じ土俵で勝負するのではなく、自分の得意な場所を見つけて勝負しろという、先人たちの実践的な知恵が込められていると言えるでしょう。
豆知識
碁と将棋は、どちらも古くから日本で親しまれてきましたが、その歴史的な位置づけは時代によって変化してきました。江戸時代には幕府が碁所と将棋所という公式の役職を設け、両方の遊戯を文化として保護していました。このため、武家社会では両方を嗜むことが教養の一つとされ、一方だけでなく両方に通じていることが理想とされたのです。
このことわざに登場する碁と将棋の順序にも意味があるという説があります。一般的に碁の方が習得に時間がかかり、より高度とされていたため、「碁で負けたら」が先に来ているのではないかと考えられています。つまり、難しい方で負けても、別の方法があるという構造になっているのです。
使用例
- 今回のプロジェクトは失敗だったけど、碁で負けたら将棋で勝てだよ、次は別の企画で勝負しよう
- 入試に落ちて落ち込んでいる息子に、碁で負けたら将棋で勝てって言い聞かせたんだ
普遍的知恵
このことわざが語り継がれてきた理由は、人間が持つ「執着」と「柔軟性」という相反する性質を見事に捉えているからでしょう。
人は一度失敗すると、そこに固執してしまう傾向があります。同じ場所で何度も挑戦し、同じ方法で失敗を繰り返す。それは、負けを認めたくないという自尊心や、これまでの努力を無駄にしたくないという心理から来るものです。しかし、その執着が時として自分を追い詰め、さらなる失敗を招くこともあります。
一方で、人間には環境に適応し、新しい道を見出す柔軟性も備わっています。この柔軟性こそが、人類が様々な困難を乗り越えてきた原動力です。しかし、失敗の渦中にいる時、その柔軟性を発揮することは容易ではありません。視野が狭くなり、他の可能性が見えなくなってしまうのです。
このことわざは、そんな人間の弱さを理解した上で、「別の場所で勝負すればいい」という単純明快な解決策を示しています。碁と将棋という具体的なゲームの名前を使うことで、抽象的な助言ではなく、実践的な行動指針として心に響くのです。
先人たちは知っていました。人生は一つの勝負だけで決まるものではなく、無数の戦いの場があることを。そして、自分に合った戦場を選ぶ知恵こそが、人生を豊かにする秘訣だということを。
AIが聞いたら
碁と将棋という二つのゲームを同時に考えると、面白い数学的構造が見えてくる。仮にあなたが碁の勝率30パーセント、将棋の勝率70パーセントだとしよう。相手は逆に碁が70パーセント、将棋が30パーセントだ。もし碁だけで勝負し続けたら、あなたは長期的に負け越す。これをゲーム理論では「支配戦略」と呼ぶ。相手にとって碁を選び続けることが常に有利なのだ。
ところが両方のゲームを交互にプレイする取り決めにすると、期待値は50パーセント対50パーセントになる。つまり互角だ。これは単なる気休めではなく、競技空間を複数持つことで一方的な支配関係を数学的に解消している。さらに重要なのは、どちらのゲームをプレイするか選択権を持つことだ。相手が碁を提案してきたら将棋を提案し返す。この交渉プロセス自体が第三のゲームになり、最終的には両者が受け入れ可能な均衡点、つまりナッシュ均衡に落ち着く。
実社会でも企業間競争で同じ現象が見られる。価格競争で不利な企業がサービス競争に土俵を変えるのは、まさに支配戦略の回避だ。一つの評価軸だけで勝負すれば序列は固定されるが、複数の評価軸を持ち込むことで、誰もが何かしらの強みを発揮できる多次元的な均衡状態が生まれる。このことわざは、競争の次元を増やすことが対等な関係を作る数学的手段であることを示している。
現代人に教えること
現代社会は、専門性を求める一方で、変化のスピードも速く、一つのスキルだけでは生き残りにくい時代です。このことわざが教えてくれるのは、失敗を恐れず、むしろ失敗を次の可能性への扉として捉える柔軟な思考です。
特に重要なのは、「負け」を認める勇気です。うまくいかないことに固執し続けることは、時として美徳とされますが、それが本当に正しい選択なのか、冷静に見極める必要があります。撤退は敗北ではなく、次の勝利への戦略的な移動なのです。
あなたが今、何かに行き詰まりを感じているなら、視野を広げてみてください。あなたの能力を発揮できる場所は、今いる場所だけではありません。別の分野、別の方法、別の環境があなたを待っているかもしれません。
大切なのは、一つの失敗で自分の価値を決めつけないことです。碁で負けても将棋で勝てるように、人生には無数の勝負の場があります。自分に合った場所を見つけ、そこで全力を尽くす。その柔軟さと前向きさこそが、現代を生き抜く力になるのです。


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