好言は口よりし、莠言も口よりすの読み方
こうげんはくちよりし、ゆうげんもくちよりす
好言は口よりし、莠言も口よりすの意味
このことわざは、良い言葉も悪い言葉も同じ一つの口から出るという、人間の持つ二面性を表現しています。私たちは同じ口で、ある時は人を励まし勇気づける温かい言葉を発し、またある時は人を傷つけたり貶めたりする冷たい言葉を発してしまうという現実を指摘しているのです。
この表現は、自分の発する言葉に対して常に自覚的であるべきだという戒めとして使われます。人を褒めることができる口は、同時に人を非難することもできる。感謝の言葉を述べる口は、不平不満を言うこともできる。このように、言葉の善し悪しは口そのものではなく、それを使う人の心のあり方次第だということを教えています。現代でも、言葉遣いの大切さや、発言に責任を持つことの重要性を説く際に、この普遍的な真理は変わらず通用します。
由来・語源
このことわざは、古い時代の日本語の形を色濃く残した表現です。「好言」は良い言葉、「莠言」は悪い言葉を意味し、「莠」という字は雑草の一種である「はぐさ」を指す漢字で、転じて「悪い」「よくない」という意味を持つようになりました。「口よりす」は「口から出る」という意味の古い表現です。
このことわざの由来について明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から考えると、仏教思想や儒教思想の影響を受けている可能性が考えられます。特に仏教では「口業」という概念があり、口から発する言葉が善悪の業を生むという教えが古くから説かれてきました。同じ一つの口から、人を励ます言葉も、人を傷つける言葉も出てくるという人間の二面性への深い洞察が、このことわざには込められていると考えられています。
また、このことわざは対句の形式を取っており、「好言」と「莠言」、そして同じ「口よりす」という表現を繰り返すことで、対比を際立たせています。このような対句表現は、中国の古典文学の影響を受けた可能性もあり、教訓を印象深く伝えるための工夫だったと推測されます。
豆知識
「莠」という漢字は、現代ではほとんど使われなくなった珍しい文字です。この字が表す「はぐさ」は、稲に似ているため田んぼに生えると見分けがつきにくく、稲の成長を妨げる厄介な雑草でした。そのため「莠」は「悪いもの」「望ましくないもの」の象徴として使われるようになったのです。
このことわざと似た構造を持つ表現として、聖書の「ヤコブの手紙」にも「同じ口から賛美と呪いが出てくる」という一節があります。東西を問わず、人間の言葉の持つ二面性は、古くから多くの人々が気づいていた普遍的なテーマだったことがわかります。
使用例
- あの人は普段は優しいのに怒ると暴言を吐く、まさに好言は口よりし莠言も口よりすだ
- 同じ口から感謝の言葉も文句も出るのだから、好言は口よりし莠言も口よりすで、自分の言葉には気をつけないといけない
普遍的知恵
このことわざが示す最も深い真理は、人間という存在の根本的な不完全さと可能性の両面性です。私たちは誰もが、聖人でもなければ完全な悪人でもありません。同じ一つの口、同じ一つの心から、美しいものも醜いものも生まれてくる。これは人間であることの避けられない現実なのです。
なぜこのことわざが長く語り継がれてきたのか。それは、人間の本質を見事に言い当てているからでしょう。朝には家族に優しい言葉をかけた人が、昼には同僚に厳しい言葉を投げかける。夕方には友人を励ましながら、夜には誰かの悪口を言ってしまう。このような矛盾を、私たちは日々生きています。
しかし、このことわざは単なる人間批判ではありません。むしろ、だからこそ自分の言葉に意識的になれという希望のメッセージでもあるのです。悪い言葉が出る口は、良い言葉も出せる口なのです。同じ器官から両方が出るということは、どちらを選ぶかは自分次第だということを意味しています。人間の不完全さを認めつつ、それでも良い言葉を選び取ろうとする努力の大切さ。これこそが、このことわざが何百年も生き続けてきた理由なのではないでしょうか。
AIが聞いたら
言葉は頭の中にある間、まだ善でも悪でもない。量子力学で電子が観測される前に「ここにもあそこにもある」重ね合わせ状態にあるように、発話前の言葉も「良い言葉にも悪い言葉にもなりうる」曖昧な状態で存在している。たとえば「君は変わっているね」という言葉は、頭の中では褒め言葉にも皮肉にもなる可能性を同時に持っている。
ところが口から出た瞬間、その言葉は観測される。声のトーン、表情、文脈という「観測装置」を通じて、聞き手の意識に触れる。すると量子が観測された瞬間に一つの位置に確定するように、言葉も「善」か「悪」かのどちらかに収縮してしまう。もう重ね合わせ状態には戻れない。シュレーディンガーの猫が箱を開けた瞬間に生か死か決まるように、言葉も発声という不可逆的な行為によって社会的現実として固定される。
興味深いのは、同じ言葉でも観測者、つまり聞き手によって収縮する結果が異なる点だ。量子力学でも観測装置の設定次第で粒子の振る舞いが変わる。言葉も相手との関係性や状況という観測条件によって、善にも悪にも確定する。発話は取り消せない量子測定なのだ。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、言葉を発する前の「一呼吸」の大切さです。SNSで瞬時に世界中に言葉が拡散される今だからこそ、同じ口から良い言葉も悪い言葉も出るという自覚が必要なのです。
あなたが誰かを励ますことができる口は、同時に誰かを傷つけることもできる口です。この事実を知っているだけで、言葉を選ぶ意識が変わってきます。怒りに任せてメッセージを送る前に、その言葉が本当に自分が発したい言葉なのか、一度立ち止まって考えてみる。そんな小さな習慣が、あなたの人間関係を大きく変えていくでしょう。
大切なのは、完璧を目指すことではありません。時には感情的になって、後悔する言葉を発してしまうこともあるでしょう。それも人間です。でも、同じ口から謝罪の言葉も、感謝の言葉も出せるのです。失敗したら、また良い言葉を選び直せばいい。その繰り返しの中で、あなたの言葉はきっと、より多くの人を温かく照らすものになっていくはずです。


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