巧言簧の如し、顔之厚しの読み方
こうげんこうのごとし、かおこれあつし
巧言簧の如し、顔之厚しの意味
このことわざは、口先だけが巧みで滑らかに話す一方で、恥知らずな厚かましい態度を取る人物を戒める言葉です。笙の簧のように美しく流暢に言葉を操りながら、実際には誠実さのかけらもなく、自分の恥ずべき行為を平然と続ける人への批判を込めています。
使用場面としては、表面的には丁寧で説得力のある話し方をするものの、その実、自分の利益のために平気で嘘をついたり、人を欺いたりする人物を評する際に用いられます。また、批判されても意に介さず、図々しく同じ行動を繰り返す人への警告としても使われます。
この表現を使う理由は、言葉の巧みさと道徳心の欠如という二つの要素を同時に指摘することで、その人物の本質的な問題を鋭く突くためです。現代でも、口が上手いだけで中身が伴わない人、批判されても平然としている厚顔な人は存在します。SNSやビジネスの場面で、巧みな言葉で人を惑わせながら恥じることのない行動を取る人物への戒めとして、このことわざの意味は今なお通用するでしょう。
由来・語源
このことわざは、中国の古典『論語』の思想的影響を受けていると考えられています。『論語』には「巧言令色、鮮し仁」という有名な言葉があり、口先だけが巧みで顔色を取り繕う者には真の徳が少ないという教えが説かれています。
「巧言簧の如し」の「簧」とは、笙(しょう)という楽器に使われる金属製の薄い舌のことです。笙は雅楽で用いられる管楽器で、簧が振動することで美しく滑らかな音色を生み出します。この簧の動きになぞらえて、口先だけで滑らかに言葉を操る様子を表現したと考えられます。
「顔之厚し」は、文字通り「顔の皮が厚い」という意味で、恥知らずな態度を指します。中国の古典にも「厚顔」という表現があり、恥を恥とも思わない図々しさを批判する言葉として使われてきました。
この二つの表現を組み合わせることで、言葉巧みに人を欺きながら、それを恥とも思わない人物への強い戒めとなっています。儒教的な道徳観が重視された時代において、真心のない言葉と恥を知らぬ態度は、最も避けるべき人間性として警告されたのでしょう。日本に伝わった後も、誠実さを重んじる文化の中で、このことわざは人々に受け継がれてきたと思われます。
豆知識
笙という楽器は、複数の竹管を束ねた構造で、それぞれの管の根元に簧と呼ばれる金属の薄片が取り付けられています。この簧は息を吹き込むと非常に滑らかに振動し、神秘的で美しい音色を生み出します。雅楽では天上の音を表現する楽器とされ、その音色の滑らかさが、皮肉にも口先だけが巧みな人の喩えに使われたのは興味深いことです。
「顔の厚い」という表現は、中国では「厚顔無恥」という四字熟語としても定着しており、日本語でも「面の皮が厚い」という慣用句として広く使われています。顔の皮膚が厚ければ痛みを感じにくいように、恥という感覚が鈍麻している状態を巧みに表現した言葉といえるでしょう。
使用例
- あの政治家は巧言簧の如し、顔之厚しで、どんなスキャンダルが出ても平然と美辞麗句を並べ続けている
- 口先だけは達者で批判されても意に介さないとは、まさに巧言簧の如し、顔之厚しだ
普遍的知恵
このことわざが示す普遍的な知恵は、人間社会において言葉の巧みさと道徳心は必ずしも比例しないという厳しい現実です。むしろ、言葉が巧みであればあるほど、その裏に隠された真意を見抜くことが難しくなり、人は欺かれやすくなります。
人間には、自分を良く見せたいという根源的な欲求があります。そして言葉は、その欲求を満たす最も手軽な道具です。実際の行動を変えることは困難でも、言葉を飾ることは比較的容易だからです。さらに、恥という感覚が薄れれば、言葉と行動の矛盾を感じることもなくなります。こうして、巧言と厚顔は表裏一体の関係として人間の中に現れるのです。
古今東西、人々がこのような人物に苦しめられてきたからこそ、このことわざは生まれ、語り継がれてきました。美しい言葉に惑わされ、誠実さのない人物に騙された経験は、時代を超えて共通する人間の痛みです。
同時に、このことわざは私たち自身への警告でもあります。誰もが、都合の悪いときには言葉を飾り、恥ずべきことから目を背けたくなる弱さを持っています。言葉の巧みさに溺れず、恥を知る心を失わないこと。それが人間としての品格を保つ道だと、先人たちは見抜いていたのです。
AIが聞いたら
人間が嘘をつくとき、実は二つの物理現象が同時に起きている。一つは音響的な攪乱、もう一つは熱的な遮断だ。
巧みな言葉は、通常の会話より高い周波数成分を含む傾向がある。人は嘘をつくとき、声のトーンが平均で20〜30ヘルツ高くなるという研究がある。これは音波のエネルギー密度を上げ、聞き手の注意を分散させる効果を持つ。たとえば、セールストークが早口で高めの声なのは、相手の判断力を音響的に撹乱しているとも言える。情報量が多いほど、聞き手の脳は処理に追われ、矛盾を見逃しやすくなる。
一方、恥を感じるとき人間の顔面温度は通常2〜3度上昇する。これは血流増加による熱放散だ。ところが厚顔な人物はこの反応が極端に弱い。恥による発熱が起きないということは、感情と身体反応の熱伝導経路が遮断されている状態だ。言い換えれば、良心という内部センサーからの警告信号が表面に届かない、断熱構造になっている。
この二つが組み合わさると強力だ。音響的攪乱で相手の判断を鈍らせながら、自分は感情的動揺という熱的ノイズを発生させない。まるで高性能な詐欺マシンのような物理システムが完成する。巧言と厚顔が常にセットで語られるのは、この二つが物理的に補完し合う防御機構だからなのだ。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、言葉の美しさよりも心の誠実さを大切にすることの重要性です。SNSやビジネスの場面で、私たちは日々、無数の言葉に触れています。その中には、表面的には魅力的でも、実質を伴わない言葉が溢れています。
大切なのは、自分自身が発する言葉に責任を持つことです。言葉を飾ることに熱心になるあまり、自分の行動が伴っていないことに気づかなくなっていないでしょうか。また、批判や指摘を受けたとき、それを真摯に受け止める謙虚さを持っているでしょうか。
同時に、他者の言葉を見極める目を養うことも必要です。滑らかで説得力のある言葉だからといって、すぐに信じるのではなく、その人の行動や実績を見る習慣をつけましょう。言葉と行動の一致を確認することが、騙されないための最良の防御策です。
恥を知る心を持ち続けること。それは弱さではなく、人間としての強さです。自分の過ちを認め、改善しようとする姿勢こそが、真の成長につながります。言葉の技術を磨くことも大切ですが、それ以上に、誠実な心を育てることを忘れないでください。

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