騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かずの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かずの読み方

ききのきょくちょくするはどばのあんぽにしかず

騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かずの意味

このことわざは、優れた才能を持つ人が躊躇して行動を起こさないでいる間に、平凡な能力の人が着実に努力を続けることで、結果的により良い成果を得るという意味です。能力の高さだけでは成功は約束されず、実際に行動を起こし続けることの方が重要だという教えを示しています。

使われる場面としては、才能はあるのに慎重すぎて動けない人を励ます時や、自分の能力に自信がない人に勇気を与える時などが挙げられます。また、完璧を求めすぎて一歩を踏み出せない状況に対して、まずは動き出すことの大切さを伝える際にも用いられます。現代では、スタートアップ企業の世界や学習の場面で、完璧な準備を待つよりも、まず始めてみることの価値を説く文脈でも理解されています。

由来・語源

このことわざは、中国の古典に由来すると考えられています。「騏驥」とは一日に千里を走ると言われる優れた名馬のことで、「駑馬」は足の遅い平凡な馬を指します。「跼躅」は足踏みをして進まない様子、「安歩」は安定した歩みを意味しています。

中国の古い文献には、優れた馬と平凡な馬を対比させて、才能と実行の関係を説く教えが見られます。このことわざもそうした思想の流れを汲んでいると考えられます。どんなに優れた能力を持っていても、その場で躊躇して動かなければ、たとえ能力は劣っていても着実に歩み続ける者に追い越されてしまうという教訓です。

日本には漢文の素養とともに伝わったと推測されますが、明確な伝来の時期や経緯については定かではありません。ただ、能力の高さよりも実行力の大切さを説くこの教えは、日本でも広く受け入れられてきました。才能に恵まれながらも行動を起こせない人と、才能は平凡でも一歩一歩進む人を対比させる構図は、時代を超えて人々の心に響く普遍的なメッセージを持っています。

豆知識

このことわざに登場する「騏驥」という名馬は、古代中国で実在したとされる伝説的な馬の名前でもあります。その速さは神話的なレベルで語られ、一日に千里という途方もない距離を走ることができたと言われています。

一方の「駑馬」は、単に遅いだけでなく、農耕や荷物運びなど日常的な仕事に使われる実用的な馬を指していました。華やかさはありませんが、人々の生活を支える存在として欠かせない働き手だったのです。

使用例

  • 彼は才能があるのに慎重すぎる、騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かずで、私のような凡人が先に結果を出してしまった
  • 完璧な企画書を作ろうと悩んでいるうちに、騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かずで、他社が先に市場に参入してしまった

普遍的知恵

このことわざが語り継がれてきた理由は、人間の本質的な矛盾を鋭く突いているからでしょう。優れた能力を持つ人ほど、その才能ゆえに慎重になり、完璧を求めすぎて動けなくなってしまう。一方で、自分の限界を知る人は、できる範囲で着実に進むことができる。この皮肉な真実は、いつの時代も変わりません。

才能がある人が躊躇する理由は、失敗への恐れです。期待が大きいほど、その期待を裏切ることへの不安も大きくなります。「これだけの能力があるのだから、完璧にやらなければ」というプレッシャーが、かえって行動を妨げてしまうのです。一方、平凡だと自覚している人は、失うものが少ない分、気軽に挑戦できます。

人生において、完璧なタイミングや完璧な準備などというものは存在しません。待っている間に機会は過ぎ去り、時代は変わっていきます。先人たちは、才能よりも行動力、完璧さよりも継続性こそが、最終的に人を目的地へと導くことを見抜いていました。この知恵は、能力主義が強調される現代においてこそ、より深い意味を持つのではないでしょうか。

AIが聞いたら

工学の最適制御理論では、ロケットや機械を最速で目的地に到着させるには「最大出力と最小出力を瞬時に切り替える」バンバン制御が数学的に最適解となります。つまり全力で加速して、次の瞬間に全力でブレーキをかける。これが理論上は最速です。

ところが実際の工場や輸送システムでは、この方法はほとんど採用されません。なぜなら、エネルギー消費が膨大になり、機械の摩耗が激しく、故障率が跳ね上がるからです。たとえば自動車で考えてみましょう。アクセル全開とブレーキ全開を繰り返せば確かに平均速度は上がるかもしれませんが、燃費は最悪で、ブレーキパッドはすぐ交換が必要になり、エンジンも早く壊れます。

実用的な制御システムでは、むしろ一定出力の定常制御が選ばれます。最高速度は出ませんが、エネルギー効率が良く、システムの寿命が長く、予測可能で安定しています。これを「総合効率」と呼びます。

このことわざが面白いのは、古代中国の人々が数式なしでこのパラドックスを見抜いていた点です。瞬間最大能力ではなく、時間積分した総合パフォーマンスこそが重要だという洞察。これは現代の制御工学が数百年かけて数学的に証明した原理そのものなのです。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、完璧を目指して立ち止まるより、今できることから始める勇気の大切さです。SNSで他人の成功を見て、自分にはまだ準備が足りないと感じることがあるかもしれません。でも、その準備期間にも時間は流れ、機会は移り変わっていきます。

大切なのは、自分の能力を過大評価することでも過小評価することでもなく、今この瞬間にできる一歩を踏み出すことです。その一歩は小さくても構いません。ブログを書きたいなら、完璧な文章を目指すより、まず一記事を公開してみる。新しいスキルを学びたいなら、最適な教材を探し続けるより、手元にある本を開いてみる。

あなたの中にある才能は、行動という形を取って初めて世界に影響を与えます。躊躇している時間も、着実に歩む人は前進しています。完璧でなくても、あなたが今日踏み出す一歩は、明日のあなたを確実に前に進めてくれるのです。

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