有っても苦労、無くても苦労の意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

有っても苦労、無くても苦労の読み方

あってもくろう、なくてもくろう

有っても苦労、無くても苦労の意味

このことわざは、何かを持っていても持っていなくても、結局は苦労することに変わりはないという人生の真実を表しています。

例えば、お金があれば管理や投資の心配、人間関係のトラブルなど別の苦労が生まれます。一方、お金がなければ日々の生活費に悩み、将来への不安を抱えることになります。地位や名声についても同様で、それを得れば責任や批判にさらされる苦労があり、得られなければ認められない悔しさや焦りという苦労があります。

このことわざを使うのは、「隣の芝生は青く見える」という心理に対して、現実を冷静に見つめ直す時です。何かを手に入れれば幸せになれると思いがちですが、実際にはどんな状況でも人生には苦労がつきものだという事実を伝えています。現代でも、理想の状態を追い求める人に対して、どんな選択をしても苦労は避けられないという現実的な視点を示す時に使われます。

由来・語源

このことわざの明確な文献上の初出は定かではありませんが、言葉の構造から見ると、日本人の生活実感から生まれた庶民的な知恵だと考えられています。

「有っても」と「無くても」という対照的な状況を並べ、どちらも「苦労」という同じ結末に至るという構造は、人生の皮肉を端的に表現しています。この表現方法は、江戸時代の川柳や狂歌にも見られる、庶民の諧謔精神と通じるものがあります。

特に興味深いのは、このことわざが「お金」や「財産」といった具体的な対象を明示していない点です。「何か」を曖昧にすることで、お金、地位、才能、家族など、あらゆるものに当てはめられる汎用性を持たせています。

日本の伝統的な価値観には、中庸を重んじる思想がありますが、このことわざはそれとは少し異なります。むしろ「どちらを選んでも結局は同じ」という、ある種の諦観や達観を含んでいます。これは、人生の苦労からは逃れられないという仏教的な無常観の影響を受けているとも考えられます。

庶民の生活の中で、財産があれば管理や相続の苦労があり、なければ日々の生計の苦労がある、という実感から自然に生まれた表現なのでしょう。

使用例

  • 子供が欲しいと思えば育児の大変さがあり、いないならいないで老後の不安があるし、有っても苦労無くても苦労だね
  • マイホームを買えばローンと維持費、賃貸なら家賃が続くし、まさに有っても苦労無くても苦労だ

普遍的知恵

このことわざが語る最も深い真理は、人間は決して「苦労のない状態」には到達できないという事実です。それは悲観的な諦めではなく、むしろ人間存在の本質的な条件を見抜いた洞察なのです。

私たちは常に「これさえあれば」「これがなければ」と考えます。お金、時間、才能、愛情。しかし先人たちは気づいていました。人生とは、ある問題を解決すれば別の問題が現れる、終わりなき連続だということに。

なぜこれが普遍的な真理なのでしょうか。それは人間が「欲望する存在」であり、同時に「責任を負う存在」だからです。何かを持てば、それを守り、管理し、失う不安を抱えます。何も持たなければ、それを得ようとする渇望と、持てない自分への葛藤が生まれます。つまり、人間である限り、この二重の苦しみからは逃れられないのです。

このことわざが長く語り継がれてきたのは、それが単なる処世訓ではなく、人間の実存的な条件を言い当てているからでしょう。どんな時代、どんな文化でも、人は「もっと良い状態があるはずだ」と信じて生きています。しかしこのことわざは、優しくも厳しく教えてくれます。完璧な状態など存在しない、苦労こそが人生の本質なのだと。

AIが聞いたら

人間の脳は報酬を受け取るときではなく、予想と結果のズレを検出したときにドーパミンを放出します。つまり、宝くじに当たった瞬間は幸福でも、その状態が続けば脳はそれを「普通」と認識し、ドーパミンの分泌は元の水準に戻ってしまいます。これは神経細胞のシナプス結合が経験によって変化する神経可塑性によるものです。

興味深いのは、この適応速度が非常に速いことです。研究によれば、宝くじ当選者の幸福度は約3ヶ月から1年で元の水準に戻ります。脳の側坐核という報酬中枢は、絶対的な豊かさではなく「前回より良いか悪いか」という相対的な変化にしか反応しないのです。たとえば年収が500万円から1000万円に増えても、最初の数ヶ月だけ幸福で、やがて1000万円が新しい基準点になり、今度はそれを維持する苦労が生まれます。

逆に貧しい状態でも、脳は数ヶ月でそれに適応し、小さな喜びに敏感になります。つまり「有っても苦労、無くても苦労」は、脳が常に現状をゼロ点として再校正し続ける生物学的な仕組みそのものを表しています。幸福は所有物の量ではなく、脳内の予測誤差信号でしかないという、人間の宿命的な構造が見えてきます。

現代人に教えること

このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、「苦労のない人生」を目指すことの無意味さです。それは諦めではなく、むしろ解放なのです。

現代社会は「問題解決」を至上の価値としています。あらゆる広告が「これで悩みが消える」と約束し、SNSには「理想の生活」があふれています。しかし、このことわざは別の視点を与えてくれます。苦労は消せないなら、どの苦労を選ぶかが重要なのだと。

あなたが今、何かを手に入れようと必死になっているなら、それを得た後の苦労も想像してみてください。逆に、何かを持たないことで悩んでいるなら、それもまた一つの選択であり、別の形の苦労を避けているのだと気づくでしょう。

大切なのは、自分にとって「意味のある苦労」を選ぶことです。子育ての苦労、仕事の苦労、学びの苦労。どれも大変ですが、それがあなたの価値観に合っているなら、その苦労には意味があります。

人生から苦労を消そうとするのではなく、自分が引き受けたい苦労を選ぶ。そう考えれば、あなたの人生はもっと主体的で、充実したものになるはずです。

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