当たるも八卦、当たらぬも八卦の読み方
あたるもはっけ、あたらぬもはっけ
当たるも八卦、当たらぬも八卦の意味
このことわざは、占いというものは当たることもあれば外れることもあるのだから、その結果に一喜一憂すべきではないという意味を持っています。占いで良い結果が出たからといって浮かれすぎず、悪い結果が出たからといって落ち込みすぎない。そうした冷静な態度の大切さを教えているのです。
使われる場面としては、占いの結果を気にしすぎている人に対して、あまり深刻に受け止めないようにと諭すときや、自分自身が占いの結果に動揺しそうになったときに、気持ちを落ち着かせるために使われます。また、占いに限らず、不確実な予測や推測に対して過度に反応することを戒める際にも用いられることがあります。
現代でも、朝のテレビ番組の星占いや、雑誌の占いコーナーなど、占いは身近な存在です。このことわざは、そうした占いを楽しむことは良いけれど、結果に振り回されて本来の自分の判断を見失わないようにという、バランス感覚の大切さを今も私たちに伝えています。
由来・語源
このことわざの「八卦」とは、古代中国で生まれた占いの体系を指します。八卦は、天・地・雷・風・水・火・山・沢という八つの自然現象を記号化したもので、これらを組み合わせて森羅万象を読み解こうとする思想です。中国の古典「易経」に基づくこの占術は、日本にも伝わり、長く人々の生活に影響を与えてきました。
このことわざが生まれた背景には、占いというものの本質的な性質があると考えられています。占いは未来を予測しようとする試みですが、その結果は必ずしも確実ではありません。当たることもあれば外れることもある。それが占いの本来の姿なのです。
興味深いのは、このことわざが占いの不確実性を批判しているのではなく、むしろ冷静に受け止めようという姿勢を示している点です。江戸時代には易者や占い師が町に多く存在し、人々は日常的に占いを利用していました。そうした中で、占いの結果に振り回されすぎないようにという、ある種の生活の知恵として、このことわざが広まっていったと推測されます。同じ言葉を繰り返す形式も、占いの結果がどちらに転んでも同じように受け止めるべきだという教えを、リズミカルに印象づける効果があるのでしょう。
豆知識
八卦占いでは、筮竹という細い竹の棒を使って卦を立てる方法が伝統的です。この筮竹は通常五十本一組で、そのうち一本は「太極」として使わず、残りの四十九本を複雑な手順で分けていくことで卦を導き出します。この儀式的な作業には十分以上かかることもあり、占いそのものが一つの精神統一の時間となっていました。
「八卦」という言葉は、占い以外にも日本語の中で生きています。「八卦見」という言葉は、あちこち見回すことを意味し、「八卦な人」といえば、詮索好きな人を指します。これは八卦占いが森羅万象を見通そうとすることから派生した表現だと考えられています。
使用例
- 今日の占い最悪だったけど、当たるも八卦当たらぬも八卦だから気にしないでおこう
- 血液型占いで相性悪いって出たらしいけど、当たるも八卦当たらぬも八卦だよ
普遍的知恵
このことわざが語り継がれてきた理由は、人間が持つ根源的な不安と、それに対処しようとする心の働きを見事に捉えているからでしょう。
人は誰しも未来を知りたいという欲求を持っています。明日何が起こるのか、この選択は正しいのか、自分の運命はどうなるのか。そうした不確実性への不安が、古今東西を問わず占いという文化を生み出してきました。しかし同時に、人間は占いの結果に過度に依存してしまう危うさも持っています。良い結果に有頂天になり、悪い結果に絶望する。そうして自分の人生の主導権を、外部の不確実な情報に委ねてしまうのです。
このことわざは、そうした人間の性質を深く理解した上で、大切なバランス感覚を教えています。占いを全否定するのではなく、その不確実性を認めた上で、適度な距離を保つこと。結果に振り回されず、自分の判断力を保持すること。これは占いに限らず、あらゆる不確実な情報や予測に対する、賢明な態度の原型といえるでしょう。
先人たちは気づいていたのです。未来への不安は消せないけれど、その不安に支配される必要はないということを。外部の情報は参考にしても、最終的に自分の人生を決めるのは自分自身であるという、人間の尊厳と自律性の大切さを。この知恵は、情報が溢れる現代においてこそ、より深い意味を持つのではないでしょうか。
AIが聞いたら
占いが「当たる」か「当たらない」かは、結果が出た後に初めて決まる。これは量子力学の観測問題と驚くほど似ている。量子の世界では、電子は観測される前「ここにある」とも「あそこにある」とも言えない重ね合わせ状態にある。測定という行為をした瞬間、初めて位置が確定する。占いも同じ構造を持っている。
たとえば「明日良いことがある」という占いを考えてみよう。この予言は実は曖昧で、何を「良いこと」と解釈するかは観測者次第だ。100円拾うのも、友達と笑い合うのも、解釈次第で「良いこと」になる。つまり占いの結果は、予言の中に重ね合わせで存在していて、あなたが一日を振り返って「これが良いことだ」と認識した瞬間に確定する。観測行為が現実を作り出しているわけだ。
量子力学の創始者ボーアは「観測されていない現実について語ることは無意味だ」と言った。このことわざの本質も同じで、占いの正しさは占いそのものにあるのではなく、結果をどう観測し解釈するかという行為の中にある。八卦という古代の占術が、現代物理学と同じ認識論的構造を持っていたことは、人間の直観の鋭さを示している。
現代人に教えること
このことわざが現代の私たちに教えてくれるのは、不確実な情報との賢い付き合い方です。今の時代、占いだけでなく、経済予測、天気予報、健康情報、SNSでの評判など、あらゆる不確実な情報が私たちを取り囲んでいます。
大切なのは、そうした情報を全く無視することでも、盲目的に信じることでもありません。参考にはするけれど、振り回されない。良い情報で舞い上がらず、悪い情報で打ちのめされない。そんな心の平静さを保つことです。
特に現代社会では、ネット上の評価や予測に一喜一憂してしまいがちです。就職の合否予想、投資の見通し、人間関係のアドバイス。どれも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのです。最終的に自分の人生を決めるのは、外部の情報ではなく、あなた自身の判断と行動です。
このことわざは、情報に対する健全な懐疑心と、自分の内なる判断力への信頼を、同時に育ててくれます。不確実性の中で生きる私たちに、冷静さと自律性という、かけがえのない贈り物をしてくれるのです。
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