名馬に癖ありの読み方
めいばにくせあり
名馬に癖ありの意味
「名馬に癖あり」は、優れた才能や能力を持つ人には、必ずといっていいほど何らかの癖や変わった面があるという意味です。
これは決して批判的な意味ではありません。むしろ、傑出した能力を持つ人の個性や特異性を理解し、受け入れることの大切さを教えています。天才的な芸術家が奇行で知られていたり、優秀な職人が頑固で融通が利かなかったりするのは、その能力の裏返しとして自然なことだという考え方です。
このことわざを使う場面は、才能ある人の扱いにくい面に直面した時です。「あの人は確かに優秀だけれど、ちょっと変わっているよね」という状況で、その人を否定するのではなく、「名馬に癖ありというからね」と理解を示すために使われます。
現代でも、スポーツ選手や研究者、芸術家など、特定の分野で卓越した能力を発揮する人々の個性的な面を理解する際に、この表現が生きています。優秀な人材を活かすためには、その癖も含めて受け入れる度量が必要だということを教えてくれるのです。
由来・語源
「名馬に癖あり」の由来は、古くから馬が人間の生活に深く関わってきた日本の歴史と密接に結びついています。
このことわざが生まれた背景には、平安時代から戦国時代にかけての武士社会における馬の重要性があります。当時、優れた馬は戦場での生死を分ける重要な存在でした。武将たちは名馬を求め、その能力を熟知していたのです。
興味深いのは、実際に優秀な馬ほど独特の性格や行動パターンを持っていたという事実です。名馬と呼ばれる馬たちは、一般的な馬とは違う気性の激しさや、特定の条件でしか本領を発揮しないといった特徴を持っていました。例えば、戦場では無敵の強さを見せるのに、普段は扱いにくかったり、特定の人にしか懐かなかったりする馬が多かったのです。
このような実体験から、「優れた能力を持つ者には、必ずといっていいほど何らかの癖や特異な面がある」という観察が生まれました。馬の世界で培われたこの知見が、やがて人間社会にも当てはめられるようになったのです。
江戸時代の文献にもこのことわざが登場しており、武士だけでなく一般庶民の間でも広く使われるようになっていたことがうかがえます。
豆知識
馬の世界では、実際に優秀な競走馬ほど気性が激しいことが多いとされています。これは、勝負への執着心や闘争本能が強いことの表れで、まさに「名馬に癖あり」を体現していると言えるでしょう。
江戸時代の馬術書には、名馬の見分け方として「性格に特徴がある馬を選べ」という記述があります。おとなしすぎる馬よりも、多少癖があっても気性の強い馬の方が、いざという時に力を発揮するという考え方が実際にあったのです。
使用例
- 新しく来た部長は仕事はできるけど、会議で急に立ち上がって歩き回るんだよね、まさに名馬に癖ありだよ
- あの画家の作品は素晴らしいけれど、締切を全く守らないのは名馬に癖ありということかしら
現代的解釈
現代社会において「名馬に癖あり」は、多様性を重視する時代の価値観と深く結びついています。かつては「変わり者」として敬遠されがちだった個性的な人材が、今では企業や組織にとって貴重な存在として認識されるようになりました。
IT業界では特にこの傾向が顕著です。プログラマーやエンジニアの中には、コミュニケーションは苦手だけれど技術力は抜群という人材が多く存在します。従来の日本企業では協調性を重視するあまり、こうした人材を活かしきれないことがありましたが、現在では彼らの「癖」も含めて受け入れる環境づくりが進んでいます。
一方で、SNSやメディアの発達により、有名人や専門家の私生活や個性的な面が以前より見えやすくなりました。これにより「名馬に癖あり」への理解が深まった面もあれば、逆に過度に個人の癖に注目が集まりすぎる傾向も生まれています。
また、現代では「癖」の捉え方も変化しています。発達障害への理解が進む中で、かつて単なる「変わった癖」とされていたものが、実は脳の特性による行動パターンだったと分かるケースも増えています。このことわざは、そうした多様な特性を持つ人々への理解を促す言葉としても機能しているのです。
AIが聞いたら
現代の完璧主義は、実は「名馬」を見つけられない仕組みを作り出している。
心理学の研究によると、創造性の高い人ほど「認知的脱抑制」という特性を持つ。これは、普通の人なら無視する情報まで取り込んでしまう「欠点」だ。しかし、この一見邪魔な特性こそが、斬新なアイデアを生む源泉になる。つまり、天才の「癖」は単なる副産物ではなく、優秀さの本質的な部分なのだ。
たとえば、Googleの採用で話題になった「完璧な履歴書症候群」がある。企業が求める理想的な人材像に合わせて自分を作り上げた候補者たちは、確かに欠点がない。しかし、同時に突出した個性も失っている。結果として、安定はしているが革新を生まない「普通の馬」ばかりが集まってしまう。
SNSでも同じ現象が起きている。「いいね」を集めるために個性的な部分を隠し、万人受けする投稿ばかりする人は、確かに炎上しない。でも、記憶に残る魅力的なコンテンツも生まれない。
現代社会は「癖のない名馬」を求めているが、それは矛盾した要求だ。本当に価値のある人材や作品は、必ず何かしらの「扱いにくさ」を持っている。完璧主義の罠にはまると、平凡という名の失敗に終わる。
現代人に教えること
「名馬に癖あり」が現代人に教えてくれるのは、完璧な人間などいないということ、そして個性と能力は表裏一体だということです。
私たちはつい、優秀な人には完璧さを求めがちです。しかし、このことわざは「優れた人にも必ず癖がある」と教えてくれます。大切なのは、その癖を欠点として批判するのではなく、その人の能力の一部として理解することです。
職場や家庭で、才能ある人の扱いにくい面に直面した時、このことわざを思い出してみてください。相手を変えようとするのではなく、その個性を活かす方法を考える。そんな視点の転換が、より良い人間関係を築く鍵となります。
また、自分自身についても同じです。自分の癖や変わった面を恥じる必要はありません。それらは、あなたの才能や個性と深く結びついているかもしれないのです。
多様性が重視される現代だからこそ、このことわざの教えは輝きを増しています。お互いの違いを認め合い、それぞれの良さを引き出し合える関係性を築いていきたいものですね。


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