待たれる身より待つ身はつらいの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

待たれる身より待つ身はつらいの読み方

またれるみよりまつみはつらい

待たれる身より待つ身はつらいの意味

このことわざは、待っている側の方が待たれている側よりも精神的な苦痛が大きいという意味です。遅刻した人や約束の時間に遅れている人よりも、その人を待っている側の方が、不安や焦り、心配などで辛い思いをするということを表しています。

待つ側は、相手がいつ来るのか分からない不確実な状況の中で、ただじっと耐えるしかありません。「何かあったのではないか」「忘れられているのではないか」と様々な不安が頭をよぎります。時計を何度も見ては、時間の経過の遅さにイライラすることもあるでしょう。

このことわざは、待ち合わせに遅れたときに、遅れた側が「待たせてごめん」と謝る場面などで使われます。待たされた側が「待たれる身より待つ身はつらいものだよ」と言うことで、自分がどれだけ不安な時間を過ごしたかを伝えることができるのです。相手への配慮を促す教訓として、現代でも広く理解されている表現です。

由来・語源

このことわざの明確な文献上の初出は定かではありませんが、言葉の構造から考えると、日本人の繊細な心理観察から生まれた表現だと考えられています。

「待たれる身」と「待つ身」という対比的な表現が特徴的ですね。この対比構造は、同じ状況を異なる立場から見たときの感情の違いを鮮やかに浮き彫りにしています。待ち合わせという日常的な場面を通じて、人間の心理を深く洞察した先人たちの知恵が感じられます。

興味深いのは、一見すると待たれている側の方が責任を感じて辛そうに思えるのに、実は待つ側の方が辛いと断言している点です。これは長い時間をかけて多くの人々が共感し、語り継いできた経験則なのでしょう。

待つという行為には、不確実性への不安、時間の経過への焦り、相手への心配など、さまざまな感情が渦巻きます。一方、遅れている側は状況を把握し、行動している分、精神的には能動的な立場にいます。この微妙な心理の違いを、日本人は鋭く見抜いていたのです。恋愛や商談、様々な人間関係の中で繰り返し経験されてきた感情が、このシンプルな言葉に凝縮されていると言えるでしょう。

使用例

  • 彼女との待ち合わせで30分も待たされたけど、待たれる身より待つ身はつらいって本当だね
  • 約束の時間に遅れそうだと連絡があったが、待たれる身より待つ身はつらいから早く来てほしい

普遍的知恵

このことわざが示す普遍的な知恵は、人間の苦しみの本質が「不確実性」にあるという深い洞察です。遅れている側は状況を把握し、今どこにいて、あとどのくらいで到着できるかを知っています。つまり、自分の人生をコントロールしている感覚があるのです。

一方、待つ側は完全に受け身の立場に置かれます。相手がいつ来るのか、本当に来るのか、何が起きているのか、何も分かりません。この「何も分からない」という状態こそが、人間にとって最も耐え難い苦痛なのです。

人類の歴史を振り返れば、人間は常に不確実性と戦ってきました。明日の天気、収穫の豊凶、病の行方、愛する人の気持ち。私たちは知らないことに不安を感じ、予測できないことに恐怖を覚える生き物なのです。

このことわざが長く語り継がれてきたのは、単なる待ち合わせの話を超えて、人生のあらゆる「待つ」場面に通じる真理だからでしょう。試験の結果を待つ時、病院の診断を待つ時、大切な返事を待つ時。能動的に動いている時よりも、ただ待つしかない時の方が、人は心を消耗するのです。先人たちは、この人間心理の本質を見抜いていました。

AIが聞いたら

待つ側が抱える苦痛の正体は、情報格差が生み出す「決定不能コスト」にあります。経済学では、情報を持つ側と持たない側の取引で、持たない側が不利益を被る現象を情報の非対称性と呼びます。このことわざはまさにその構造を表しています。

待たれる側は「今出発する」「あと10分待ってもらう」「やっぱり行かない」という選択肢を自由に選べます。つまり完全な意思決定権を持っています。一方、待つ側にできるのは「待ち続ける」か「諦めて帰る」の二択だけ。しかも相手が来るかどうかの確率すら計算できません。行動経済学の研究では、人間は損失の可能性がある状態で待たされると、実際の待ち時間の1.5倍から2倍も長く感じることが分かっています。

さらに厄介なのは、待つ側が「もう少し待てば来るかも」と考えるサンクコスト効果です。既に30分待ったから、その30分を無駄にしたくなくてさらに待つ。これは情報がないために合理的な損切りができない状態です。待たれる側はこの心理を無意識に利用できる立場にいます。

つまりこのことわざは、情報を持たない側が支払わされる「見えない心理的コスト」の存在を、経済学が理論化する遥か以前から見抜いていたのです。

現代人に教えること

このことわざが現代人に教えてくれるのは、相手を待たせることの重みです。私たちは自分が遅刻する側になると、つい「ちょっとくらい大丈夫」と考えがちですが、待つ側の心理的負担は想像以上に大きいのです。

特に現代は、スマートフォンで常に連絡が取れる時代です。だからこそ、連絡もなく待たされることへの不安は、昔以上に大きくなっているかもしれません。「既読がつかない」「返信が来ない」という状況も、まさに「待つ身の辛さ」そのものですね。

このことわざは、あなたに時間への責任感を持つことを教えてくれます。約束の時間を守ることは、相手の時間を尊重することであり、相手の心を大切にすることなのです。もし遅れそうなときは、早めに連絡を入れる。それだけで、相手の不安は大きく軽減されます。

同時に、このことわざは待つ側の気持ちにも寄り添ってくれます。待たされて不安になるのは、あなたが相手を大切に思っているからです。その気持ちは決して弱さではなく、人間らしい優しさなのだと、このことわざは教えてくれているのです。

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