吾十有五にして学に志すの意味・由来・使い方|日本のことわざ解説

ことわざ

吾十有五にして学に志すの読み方

われじゅうゆうごにしてがくにこころざす

吾十有五にして学に志すの意味

このことわざは、孔子が15歳で学問を志したという自身の経験を語った言葉です。単に勉強を始めたという意味ではなく、人生をかけて学問の道を歩もうと決意したという深い意味を持っています。

若い時期に人生の目標や方向性を定めることの重要性を示す言葉として使われます。特に、学びに対する真剣な姿勢や、早い段階で志を立てることの価値を伝える場面で用いられます。教育の場面では、若者に対して目標を持つことの大切さを説く際に引用されることが多いでしょう。

現代では、15歳という具体的な年齢よりも、人生の早い段階で志を持つことの意義を伝える言葉として理解されています。自分の進むべき道を見つけ、それに向かって努力を始めることの大切さを教えてくれるのです。

由来・語源

このことわざは、中国の思想家・孔子の言葉に由来すると考えられています。孔子が自らの人生を振り返って語った言葉として、「論語」の為政篇に記録されているとされています。

原文は「吾十有五而志于学」で、「十有五」は「十五」を意味する古い表現です。「有」は「又」と同じで、十と五を合わせた数を表す言い方だったと考えられています。孔子は紀元前551年頃に生まれたとされ、その時代の中国では15歳は成人に近づく重要な年齢でした。

この言葉が生まれた背景には、古代中国における教育観があったと推測されます。当時、学問は単なる知識の習得ではなく、人としての生き方を学ぶことを意味していました。孔子自身も決して裕福な家庭に生まれたわけではなく、若い頃から様々な苦労を経験したと言われています。そうした中で15歳という年齢で学問を志したという告白は、人生の方向性を定める重要性を示していると考えられます。

日本には古くから中国の古典が伝わり、江戸時代には武士の教養として論語が広く学ばれました。この言葉も、若者が学問に志を立てる大切さを説く教えとして、日本の教育文化の中に根付いていったのです。

豆知識

孔子のこの言葉には続きがあり、30歳で自立し、40歳で迷わなくなり、50歳で天命を知り、60歳で人の言葉を素直に聞けるようになり、70歳で思うままに行動しても道を外れなくなったと語っています。人生の各段階での成長を示した一連の言葉なのです。

「十有五」という表現は、現代の中国語や日本語では使われない古い言い方です。「有」を「又」の意味で使うこの表現方法は、古代中国の数の数え方の特徴を今に伝える貴重な言語の痕跡と言えるでしょう。

使用例

  • 息子が中学を卒業する年に、吾十有五にして学に志すという言葉を贈った
  • 彼女は若くして自分の道を見つけたが、まさに吾十有五にして学に志すを体現している

普遍的知恵

人間にとって、いつ人生の方向性を定めるかという問いは、時代を超えた永遠のテーマです。このことわざが2500年もの間語り継がれてきたのは、若い時期に志を持つことの重要性が、いつの時代も変わらない真理だからでしょう。

人は誰しも、自分の人生をどう生きるべきか迷います。特に若い時期は可能性が無限に広がっているように見える一方で、何をすべきか分からない不安も大きいものです。孔子がわざわざ15歳という具体的な年齢を挙げたのは、早い段階で方向性を定めることが、その後の人生に大きな影響を与えることを知っていたからではないでしょうか。

興味深いのは、孔子が「学に志す」と表現した点です。単に「学び始めた」ではなく「志した」という言葉を選んだことに、深い意味があります。志とは、心の奥底から湧き上がる決意であり、一時的な興味や外からの強制ではありません。人間は本質的に、自分の内側から生まれた目標に対してこそ、持続的な情熱を注げる存在なのです。

また、この言葉は完璧な環境や条件が整うのを待つのではなく、今この瞬間から志を持つことの大切さも教えています。人生において「準備が整ってから」と待っていては、いつまでも始められません。不完全な状態でも一歩を踏み出す勇気こそが、人を成長させる原動力となるのです。

AIが聞いたら

人間の脳は15歳前後で劇的な変化を遂げる。具体的には前頭前野という部分が急速に発達し、抽象的な思考や長期的な計画を立てる能力が開花する。それまでの子どもは「今日何して遊ぼう」という短期的思考が中心だが、15歳を境に「将来どんな人間になりたいか」という問いに向き合えるようになる。孔子が「十有五にして学に志す」と述べたのは、まさにこの神経発達の転換点を経験的に捉えていたと考えられる。

興味深いのは、脳科学でいう臨界期との関係だ。臨界期とは特定の能力を獲得しやすい限られた時期のこと。言語習得なら幼少期がそれにあたる。しかし抽象的思考や人生目標の設定能力は、逆に15歳前後まで待たないと神経回路が準備できない。つまり孔子の言葉は「早ければ早いほどいい」ではなく、「この年齢でようやく志を持てる準備が整う」という生物学的事実を示している。

さらに注目すべきは、15歳以降も脳の可塑性、つまり変化する力は続くという点だ。前頭前野の完成は25歳頃まで続き、学びへの志を実際の行動に変換する能力も同時に育つ。孔子の言葉は単なる開始時期の宣言ではなく、脳が最も効率的に人生の方向性を定められる黄金期の始まりを告げていたのだ。

現代人に教えること

このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、人生の早い段階で自分なりの方向性を持つことの価値です。15歳という具体的な年齢にこだわる必要はありません。大切なのは、今この瞬間から自分の志を見つけようとする姿勢です。

現代社会は選択肢が多すぎて、かえって方向性を定めにくい時代かもしれません。しかし、だからこそ自分の内なる声に耳を傾け、何に心が動くのかを見極めることが重要になります。完璧な答えを求める必要はありません。まずは「これを学びたい」「この道を歩んでみたい」という小さな志から始めればいいのです。

志を持つことは、人生に軸を与えてくれます。迷ったとき、困難に直面したとき、その軸があなたを支え、進むべき方向を示してくれるでしょう。年齢に関係なく、今日から学びに志を立てることができます。あなたの心が本当に求めているものは何でしょうか。その問いに向き合うことから、新しい人生の章が始まるのです。

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