目糞鼻糞を笑うの読み方
めくそはなくそをわらう
目糞鼻糞を笑うの意味
このことわざは、自分も同じような欠点があるのに他人を批判することを指しています。自分の欠点には目をつぶり、他人の似たような欠点を見つけては非難する。そんな人間の矛盾した態度を、目糞と鼻糞という身近な素材で痛烈に皮肉った表現です。
使われる場面は、誰かが自分のことを棚に上げて他人を批判しているときです。たとえば、自分も遅刻が多いのに他人の遅刻を責める人、自分も部屋が散らかっているのに人の部屋の汚さを笑う人。こうした場面で「それは目糞鼻糞を笑うというものだよ」と指摘するわけです。
現代社会でも、SNSなどで他人の失敗を批判する人が、実は同じような失敗をしているケースは珍しくありません。このことわざは、そうした人間の普遍的な性質を、ユーモアを交えながらも鋭く指摘しています。自己を省みることの大切さを教えてくれる、今も色あせない知恵なのです。
由来・語源
このことわざの由来について、明確な文献上の記録は残されていないようですが、言葉の構成から興味深い考察ができます。
目糞も鼻糞も、どちらも人間の体から出る分泌物が固まったもので、見た目も性質も似たようなものです。衛生観念が発達した現代ほどではないにせよ、昔から決して美しいものとは考えられていませんでした。
このことわざの面白さは、そんな目糞が鼻糞を笑うという構図にあります。客観的に見れば五十歩百歩、どちらも同じようなものなのに、目糞の側は自分のことを棚に上げて鼻糞を笑っているわけです。この滑稽な構図が、人間の愚かさを見事に表現しています。
江戸時代の文献にもこの表現が見られることから、少なくとも数百年の歴史を持つことわざだと考えられています。庶民の生活に密着した、ごく身近な素材を使って人間の本質を突く、日本のことわざらしい鋭い観察眼が光っています。
体から出る些細なものを擬人化して、人間社会の縮図として描く。この発想の豊かさこそが、このことわざが長く語り継がれてきた理由なのかもしれません。
使用例
- 自分も英語が苦手なのに妹の発音を笑うなんて、目糞鼻糞を笑うようなものだ
- 彼は遅刻常習犯なのに人の時間管理を批判するから、まさに目糞鼻糞を笑うだね
普遍的知恵
このことわざが示す人間の本質は、自己認識の難しさです。人間は不思議なもので、他人の欠点は驚くほどよく見えるのに、自分の欠点はなかなか見えません。それどころか、自分と同じ欠点を持つ他人を見つけると、無意識のうちに批判したくなる衝動さえ感じるのです。
心理学的に言えば、これは「投影」と呼ばれる防衛機制の一種かもしれません。自分の中にある認めたくない部分を、他人の中に見出して批判することで、自分の心の平静を保とうとする。しかし、冷静に考えれば、それがいかに滑稽で矛盾した行為であるかは明らかです。
先人たちは、こうした人間の性質を鋭く見抜いていました。そして、目糞と鼻糞という絶妙な比喩を使って、その滑稽さを表現したのです。どちらも大差ないものなのに、一方が他方を笑う。この構図は、人間社会のあらゆる場面で繰り返されています。
このことわざが何百年も語り継がれてきたのは、時代が変わっても人間のこの性質が変わらないからでしょう。技術は進歩し、社会は変化しても、自分を客観視することの難しさ、他人を批判することの容易さは、今も昔も変わらない人間の真実なのです。
AIが聞いたら
人間の脳は自分の欠点を見るとき、実際より30パーセントほど軽く評価する傾向があります。これを「自己奉仕バイアス」と呼びます。一方で他人の同じ欠点は正確に、時には過大に評価します。つまり目糞と鼻糞の差は、本人にとっては重大でも、客観的にはほぼゼロなのです。
さらに興味深いのは、人が自分より少しだけ劣る相手を見つけたとき、脳内では報酬系が活性化するという研究結果です。言い換えると、わずかな優位性を感じることで、脳が快楽物質を出して気分が良くなるのです。これが「下方比較」の正体です。しかし同時に、人は自分が注目の的だと錯覚する「スポットライト効果」に陥ります。自分の行動や発言を周囲が気にしていると思い込むのです。
この二つが組み合わさると奇妙な現象が起きます。本人は「自分は相手よりマシだ」と優越感に浸りながら相手を批判しますが、実は周囲の第三者からは両者とも同レベルに見えています。それどころか、批判している側のほうが「自分を棚に上げている人」として、より悪い印象を持たれることさえあります。認知科学の実験では、同じ欠点を持つ二者のうち、相手を批判した側の好感度が平均で20パーセント下がるという結果も出ています。
つまりこのことわざは、人間の認知システムが持つ二重の盲点を突いているのです。
現代人に教えること
このことわざが現代のあなたに教えてくれるのは、批判の前に立ち止まる勇気です。誰かの欠点が目についたとき、まず自分自身を振り返ってみる。その習慣が、あなたを成長させてくれます。
SNSが発達した現代では、他人を批判することがこれまで以上に簡単になりました。画面越しに、匿名で、気軽に。でも、その批判の矛先を向ける前に、一度立ち止まってみませんか。自分は本当にその資格があるのか、同じようなことをしていないか、と。
これは自己否定ではありません。むしろ、誠実に生きるための知恵です。自分の不完全さを認めることができる人は、他人にも寛容になれます。そして、建設的な批判と、ただの悪口の違いも分かるようになります。
完璧な人間などいません。誰もが目糞であり鼻糞なのです。だからこそ、お互いの欠点を笑い合うのではなく、支え合える関係を築いていきたいですね。このことわざは、謙虚さと思いやりの大切さを、ユーモアを交えて教えてくれているのです。

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